第2話 宮原家へようこそ

 国内線ターミナルの駐輪場は電車の駅に隣接した地下1階にあり、今日みたいな暴風でもなぎ倒されずに済んでいた。自転車のカギを開けてカゴへ女子高生の荷物を載せ、彼女を身軽にさせる。


「よし。それじゃ、行こうか」

「はい、よろしくお願いします」


 女子高生と並んでゆっくりと自転車を押しながら自分の家路を進む。歩道には強風で飛ばされてきた小枝があちこちに転がっており、時折足元でパキっと折れる音がする。


 それにしても、ほぼ初対面の女子高生と自宅で一夜を過ごすことになるとは。下心なく彼女を助けたい一心で返答したものの、それが許されることなのか冷静に考えて不安に駆られる。

 なんの話をしようか悩んでいると、少女が恐る恐る問いかけてきた。


「・・・・・・あの、空港の喫茶店で働いていますよね?宮原さん、で合ってますか?」


 やはり接客した影響もあったのか、彼女に名前を覚えられていた。胸の内で細やかな喜びを噛みしめ、緊張が少しほぐれる。


「そうだよ。宮原優翔って言うから、優翔でいいよ。君は竹英の新入生?」

「はい。吉塚よしづか詩織しおりといいます。4月に竹英の音楽科に入学したばかりです」

「音楽科なの?凄いね!」

「もしかして、優翔先輩も竹英ですか?」

「同じ竹英でも俺は普通科だよ。音楽科のほうが入るの難しいっていうし、詩織ちゃんのほうが頭いいんじゃない?」


 そんなことないですよ、と詩織は謙遜する。ショートボブの髪がふんわりと揺れ、その仕草がまた可愛いらしい。


 竹英こと私立竹前英成高校には俺が在籍する普通科のほかに、音楽科・美術科・園芸科の専門学科がある。音楽科は音大への進学率が全国でも特に高いことで有名で、出願倍率は例年3~5倍ほどにもなっている。その入学難易度を考えれば、第一志望の公立高校入試でコケて、やむなく滑り止めで合格していた竹英普通科へ入学した俺とは訳が違う。


「飛行機で通学ってことは、詩織ちゃんの家は相当遠いところなの?」

「天川本島という離島です。30分ちょっとで着くので、遠いようで意外と近いですよ」


 天川本島。熊本県と長崎県にまたがる、天川諸島の中で最も大きい島だ。最近では歴史的な街並みやホエールウォッチングを売りに、観光地として徐々に知名度を上げている。

 島内唯一の空港である天川空港からは、天川エアラインという航空会社が1日3往復、九州国際空港へ乗り入れている。


「そのくらいの時間で来れるならいいね。俺、根っからの航空ファンだから、そういうの憧れるなぁ」

「そうなんですね。私の家も空港から近いので、飛行機を眺めるのは昔から好きでした。通学中は空中散歩しているようで楽しいですよ。バスで時間をかけて県内の学校に通うよりも、全然いい気がします」


 詩織もウキウキと話す。飛行機なら着席が保証されて痴漢の心配もないし、毎日旅気分を味わえるのだから羨ましい限りだ。


「しかし、離島から遥々毎日飛んで来るのは偉いよね」

「そうですか?授業を受けに行く訳ですし、当たり前のことだと思いますが・・・・・・」


 俺の言葉に詩織は立ち止まって聞き返す。


「いやいや。ウチの学校には寮もあって、県外の学生は大体そこで生活しているもん。飛行機通学なんて現実的な壁のほうが多そうだし、よほどの覚悟がないとできないと思う。詩織ちゃんは確固たる夢を持ってて、家族もきっとそれを一生懸命応援してくれているんだね」


 いくらステータス目当てのマイレージ修行僧であっても、通勤通学で飛行機を毎日利用するのは困難なはずだ。ましてや学生は通学にお金をかけられず、別の手段を選ぶ可能性のほうが高い。だからこそ、詩織の超遠距離通学は並大抵なことではないのだ。

 すると、街頭のわずかな灯りからでも、詩織の表情がぱぁぁと明るくなるのがわかった。


「・・・・・・そう思ってくれて凄く嬉しいです!ありがとうございます!」

「って、かくいう俺は進路のことなんて考えずに過ごしてるし、全然説得力ないけど・・・・・・」

「そんなことないですよ!優翔先輩の言葉、励みになります!」


 よほど嬉しかったのか、詩織が顔を近づけてくる。その仕草にこっちが照れてしまいそうだ。

 二人だけの会話をもっと楽しみたかったが、次第に見慣れた建物が近づいてくる。九空から自宅までの10分が、今までで一番短く感じた。





「ただいま」

「こんばんは、お邪魔します」


 玄関を開けると、廊下の奥から「おかえりー」という乾いた返事が返ってくる。靴を脱いでリビングに入ると、妹のみどりがサブスクのドラマを見ていた。台所のテーブルにはいつも通り、ラップのかかった一人前の食事が並べられている。


「お兄、遅いよ。先に風呂入っちゃった」

「ゴメン。ちょっと理由があって」


 俺の後ろから詩織が覗きこむと、みどりが二度見したように見えた。


「・・・・・・あの、その人は?」

「優翔先輩と同じ学校に通っている吉塚詩織です。自宅に帰れなくなったので、今夜はお世話になります」


 状況が呑み込めず、みどりがぽかんとした表情になる。そして、ダラダラとした態度を改めると、ぎこちない挨拶をした。


「い、妹のみどりです。兄が世話になってます・・・・・・」

「みどりさん、よろしくお願いします」


 詩織も深く一礼返すると、彼女は俺の方をちらりと伺う。


「あの、どの部屋を使えばいいですか?」

「こっちの部屋空いてるよ。来客用の布団あるし、適当に使っていいよ」

「ありがとうございます。ひとまず、泊まるところが決まったことを親に連絡してきますね」

「人の家だってことは内緒で頼むね」


 詩織は笑顔で応え、ゆっくりと部屋に入る。

 パタンと扉が閉まると、みどりが俺に詰め寄ってきた。


「お兄、あの子誰なの?まさか彼女とか言わないよね?」

「違うって。バイト先にたまたま客で来てる竹英の子だよ」

「だったら、何で家に連れてきたのよ」

「あの子から泊めてくれ、って頼まれたんだ。困っているようだったし、そのまま放っておく訳にもいかないだろ?」

「だからって、初対面の異性をいきなり自分家に泊めようって発想はないでしょ?せめて一言相談してから来てよ」


 みどりの剣幕に一瞬しりごむが、彼女の意見に反論しようがない。もし立場が逆だったとしても、俺は同じことを言うかもしれない。

 妹とはいえ家事の大半を任せており、この家の中では俺よりも力がある。それでも詩織と約束した以上、みどりに言われるがまま追い返す訳にもいかない。

 何とか言い分を考え、俺はみどりへ一つの提案を持ち掛けた。


「あの子から聞いた話だと、竹英の音楽科に通ってるんだってさ。みどりもそこで進路考えてるんだろ?せっかくだし、先輩から受験のこととか直接教えてもらったらどうだ?」


 すると、みどりの目が見開き、表情が一変する。


「そうなの!?だったら最初からそう言ってよ。それなら特別に許してあげる」


 さっきまで不機嫌そうにしていたのに、手のひら返しで詩織の寝泊りをあっさりと受け入れた。自分に有利な情報が得られるとなると、やはり単純だな。


 俺は楽器をやったことがない一方、みどりは母親の影響で物心がついたときからピアノを弾いている。妹の演奏は力強さの中に聞き手を包み込む優しさがあると評され、中学では県内のピアノコンクールで優秀賞を獲得するなど、その腕前は折り紙付きだ。「将来はピアニストになる!」が昔からの口癖で、最初から竹英の音楽科を第一志望としているらしい。

 何でもはっきりと言ってくるのが少々玉にキズだが、人に対して思いやりがあるのは間違いないので、詩織のこともすぐに受け入れてくれるだろう。


 みどりがノリノリで俺のおかずを温めていると、ほっとした表情で詩織が部屋から出てきた。


「親へ連絡してきました」

「特に怪しまれなかった?」

「たぶん大丈夫だと思います。ホテルなら何かあっても安心だね、って話してましたし」


 まさか男子高校生の家に泊まっているとは思いもしないだろう。詩織の両親にバレたときのことは、今は考えないことにした。

 そこへ、俺の席に皿を並べていたみどりが彼女へ問いかける。


「詩織さん、お腹空いてますか?ちょっとしたものならすぐ準備できるので、よかったらお兄と一緒に食べてください」

「いいんですか?ご飯までご馳走してもらって申し訳ないです」

「お気になさらず。詩織さんのこと、いっぱい話聞かせてください」


 そう言いながら、明日の朝食用にとっていたおかずの残りを冷蔵庫から取り出し、電子レンジで温めて食卓へと並べる。


「じゃあ、食べようか」

「はい。いただきます!」


 詩織の食事ができるのを待ち、俺たちは遅めの夕食を食べ始めた。

 久しぶりにみどり以外の人と食卓を囲んだからなのか、妹の料理がいつも以上に旨く感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る