空の通学路

類家つばめ

第1話 春の嵐

 一機の航空機がゆっくりと滑走路へ入ると、エンジンが唸りを上げて力強く走り出し、南の空へ飛び立っていく。その翼の姿を俺・宮原優翔みやはらゆうとはガラス越しに見送った。


「優翔、これ10番テーブルに届けて」


 空への憧れに浸っていると、店長の指示で慌てて我に戻る。


「はい、今行きます!」


 俺は外の景色から目線を厨房へ戻し、注文の品を受け取って2人組の女性客が座るテーブルへと運んだ。日没を迎えた空港はイルミネーションのように色とりどりの灯りを灯し、せわしなく行き交う人々を見守っている。



 九空こと九州国際空港は朝から晩まで国内外の飛行機がひっきりなしに飛び交う、九州の空の玄関口だ。新幹線も発着する街のターミナル駅からはわずか4km程度で、日本でも屈指の利便性が高い空港として知られている。


 街のど真ん中にあるということは周辺に住宅地も広がっており、騒音問題が取り沙汰され運用時間が22時までに設定されている。俺の家も空港から歩いて10分ほどの場所にあるが、航空ファンである俺にとっては騒音問題などまったく気にならない。


 昔から休日には空港周辺を散策し、あらゆる場所から飛行機を眺めていた。そんな俺も、高校に進学してからは放課後に国内線ターミナル3階の端にある喫茶店へ立ち寄り、アルバイトを始めている。

 飛行機を眺めながらバイトできるとはなんて贅沢なのだろう。そんな軽い気持ちで入ったけど、シフトに入る頃には各地への最終便を待つお客さんで賑わい、日々接客に追われていた。


「今日は一段と忙しいよな。疲れていないか?」


 注文の品を届けて厨房へ戻ると、早島浩一はやしまこういちに声をかけられる。このお店で一番仲良くさせてもらっている大学生で、空港近くの公園で知り合った際にここのバイトを紹介してもらった。周りにも気配りができ、スタッフやお客さんからの評判も良い。


「ありがとうございます。まだ平気です。でも、平日なのに繁忙期並みの混雑は久々ですよね」

「今日はダイヤ乱れてるみたいだし、ここで時間つぶしているお客さんが多いんだろうな」


 春一番はとっくに過ぎ去ったというのに、今日は低気圧の影響で昼過ぎから西風が吹き荒れている。九空の滑走路は南北に伸びており、横風が非常に強い場合には着陸のやり直し(ゴーアラウンド)をせざるを得ない。

 そのせいか、さっきから館内では出発遅れや欠航を告げるアナウンスが立て続けに流れていた。


「それでもほら、今日もあの子は来ているぞ」


 浩一が小さく指さした先には、俺の学校と同じ制服を着たスタイルの良い、1人の女子高生がいた。


 新学期が始まってもうすぐ2週間が経つが、俺が高校2年生に進級したこの春から彼女は毎日この店を利用している。

 俺がシフトに入るのとほぼ同じ時間くらいに入店し、注文するのは決まってオレンジジュースで、時々サンドイッチも頼んでいる。

 窓側の一番奥にある2人掛けのテーブル席に座り、誰かと待ち合わせることもなく読書か勉強をしては、18:45頃に会計を済ませて出ていくのがルーチンだ。


 彼女に接客したことは何度かあるが、近くを通るだけでも清楚な雰囲気に思わず胸がドキドキする。学校内にいれば間違いなく人気者になるだろう。


「駅前のほうがカフェ充実しているのに、どうして毎日来ているんでしょうね?」

「さあな。でもすげー可愛いから、目の癒しにはなるよな。優翔もあの子のこと気になっているだろう?」

「き、気にしてませんよ!からかわないでください!」


 元々恋愛にそれほど興味はない俺だったが、高校に進学して以降、同級生たちは青春を満喫しており多少の羨ましさを感じる。

 そんな彼女いない歴十六年の俺にとって、あの女子高生は高嶺の花のような存在だ。こんな俺でも、彼女のような人間に振り向いてもらえるのだろうか。


「ほら、口ばかり動かさないで3番テーブルで注文取ってきて」


 浩一と雑談していると店長に諭され、俺たちはそれぞれの仕事へと戻る。女子高生はいつもより少し早い時間に去っていった。






 バイトを終える頃には日本各地への最終便が次々と飛び立ち、出発ロビーの人足はまばらになっている。それが俺にとって、一日の終わりを告げる光景になっていた。

 それにしても、今日は特に忙しかった。早く帰ってご飯を食べたら、今夜はさっさと寝よう。そんなことを考えながら一日中動き回った足の疲れを引きずっていると、カウンター近くのソファに座る女子高生に目がとまった。



 あれっ?あの子、まだいたんだ。



 やはり、誰かの帰りを待っていたのだろうか。しかしそうだとしたら、1階の到着ロビーで待つはずだろう。不思議に思いながら遠目に様子を伺うと、彼女は誰かとスマホで電話をしていた。


「・・・・・・わかった。もう少し調べてみる。明日はそのまま学校に行くし大丈夫。・・・・・・うん、ありがとう。宿見つけて着いたら連絡するね。じゃ、また後で」


 彼女は電話を切ると、「どうしよう・・・・・・」とため息をついて俯く。ここは手を差し伸べてあげるべきだろうか。しかし、不審者だと思われたらどうしよう。

 彼女に近づきながらもどう対応するか迷っていると、気配を察した彼女が顔を上げ、思いがけず目線があった。


「あっ、どうも・・・・・・」


 軽く会釈してみる。向こうも俺の顔と同じ学校の制服を見てなのか、思いのほか警戒する様子はない。そこで、思い切って声をかけてみた。


「大丈夫?何か困ったことでもあった?」


 少し迷いつつも、意を決したように彼女は口を開く。


「あの、お願いがあります。今日だけでいいので、家に泊めさせてもらえないですか?」

「えっ!?」


 まさかの頼みに動揺を隠せない。俺の驚いた声にびっくりして、数人の通行人が怪訝な表情でこちらを振り向く。

 恥ずかしさを覚えつつも、彼女へ問いかける。


「どうして?まさか、家を追い出されたとか?」

「いえ、今日の暴風で欠航になって、家に帰れなくなったんです」

「欠航って、これから帰省するところだったの?」

「帰省といいますか・・・・・・私、自宅から毎日飛行機で通学しているんです」


 耳を疑った。新幹線で通学する学生の話はテレビなどで時々耳にするが、飛行機で通学する高校生は聞いたことがない。この子の家はどれだけお金持ちなのだろう。


「明日の便に振り替えるなら、ホテル代は出してもらえるんじゃない?」

「天候的な理由だと宿代は出ないようです。ホテルも自分で探さなきゃいけなくて、この辺はどこも満室になってました」

「友達には聞いてみた?」

「まだ飛行機通学していることは伝えられてなくて・・・・・・」


 彼女の口調が尻すぼみに小さくなる。飛行機通学の事情はあまり周囲に大きく知られたくないのだろうか。そうすると、なぜ俺には打ち解けてくれたのかわからない。

 聞きたいことは山ほどあるが、先ずは彼女の頼みをどうすべきか、話を戻して考える。


 俺の両親は仕事の都合で家にずっと不在で、基本的に2つ歳下の妹・宮原みどりと2人で生活している。同じ学校の人であることを踏まえて何かしらの理由をつければ、妹はきっと許してくれるだろう。


「・・・・・・わかった。あまり綺麗な家じゃないけど、それでもいいなら付いてきて」

「ありがとうございます!助かりました!」


 少女は深々と礼をする。まさかこんな展開になるとは。

 バイトのときの緊張感を持ちつつ一緒にターミナルの外へ出ると、日中猛威を振るった強風は嘘のように静まり返っていた。

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