フランス首相の暗殺は阻止され、式典は何事もなく終了した。それを七節署の取調室で聞いた真帆は不快感をあらわにした。目を尖らせ、唇を曲げ、身体を震わす。この女の野望は儚く潰えたのだった。その後、真帆について警察が調べたところ、真帆は株価操作で不正に莫大な利益を得ており、その利益を私的財産とフィアーの資金源に流用していたという。警察は今後、フィアーの実態を徹底的に追及し、最終的には完全に撲滅する方針を定めた。そうなる日はさほど遠くはないであろう。


 二日後、駿河と希は琴樋宮家の宮邸を訪れた。幸子から招かれたのだ。しかし、具体的な内容までは聞かされていなかった。駿河は普段通りの黒いスーツ姿だったが、顔の何か所かには絆創膏が貼られ、両手は包帯を巻いている。どう見ても怪我人といった印象だ。希のほうはというと、カジュアルな服装とは一転、白のブラウスに紺のパンツスーツを身に着けていた。さすがに皇室の邸宅に行くとなれば、衣装は選ばねばならない。だが、変えるのが面倒だったのだろうか、髪型や髪色、メイクはそのままであった。ふたりは皇宮警察の篠塚の案内で、宮邸の敷地にある広大な庭を歩いていた。先にその宮邸が見える。格式と威厳が重なる佇まいだ。

「スーツ着るなんて就活のとき以来だから、なーんか変な気分」

希は着慣れないスーツに違和感を覚えているようだった。

「似合ってるよ。これから仕事のときも着たら?」

「嫌だよ」

駿河のふとした提案を、希は即刻退けた。すると、篠塚が正面玄関前を指して言った。

「あちらにいらっしゃいます」

そこに立っていたのは幸子だった。髪型も綺麗に整え、皇族らしい高貴な白いスカートスーツを着ている。最初に出会ったときとは全く違う高潔な品格が感じられた。篠塚はふたりに一礼し、幸子にも深く礼をすると、その場を離れた。幸子がふたりに駆け寄って来る。

「ごめん。急に呼び出して」

幸子の口調はいつもと同じだったが、駿河はその姿を見て、本当に皇室の人間だったのかと改めて感じ、やや緊張してしまう。

「駿河さん、大丈夫?」

そう訊いた幸子には、駿河が病院から直行してきたように思えた。

「大丈夫大丈夫。何日かしたら治るから」

「こいつはそう簡単に死なないって」

希は駿河の背中を思い切り平手打ちした。

「いって!」

駿河は自分の背を押さえ、希に文句をつける。

「ちょっとやめて。骨やられてんの。まだ痛いの」

「ほとんど完治してんでしょ。ならべつにいいじゃん」

そのクレームも、希はどこ吹く風と受け流す。幸子はふたりのやり取りが微笑ましく見えた。

「で、サッちゃん」

幸子に声をかけた希は、自然体のままの気さくな口調で本題に入る。

「一応来たけど、今日はどうしたの?もしかして、また家出したいなんて言い出さないよね?」

希が冗談交じりに問いかけると、幸子は首を振った。

「もう家出はしない。これからは学業と公務に専念する。私、自分がやるべきこと、自分じゃなきゃできないこと、そういう意義ってものが自覚できたの。今さらだけどね。気づかせてくれたのは希さんよ。ありがとう」

幸子は礼を述べ、穏やかな笑みを浮かべた。希も笑顔で返す。

「なーんだ。だったら希さんだけ呼べばいいのに」

なんとなく拍子抜けした駿河に、幸子が吉報を届ける。

「それだけじゃないの」

幸子は上着からある物を取り出した。それは自動車のスマートキーだった。そのキーを駿河の前に掲げて幸子は言った。

「駿河さんの車、廃車になっちゃったんだってね。希さんから聞いた。だからこれ、新しい車。お礼にプレゼントしてあげる。黒い色のビュートってのでいいんだよね?」

「えっ!?俺に!?」

駿河は思わず自分を指差した。幸子はうなずく。

「恩人にあげたいって親に相談したら、私が二度と迷惑かけないのを条件に買ってくれたの。ウチの御料車に比べれば全然安いからかなあ。すんなりOKしてくれたよ」

「いや・・、でもそんな・・・」

皇室から車をもらうなんて自分にはおこがましい。駿河は遠慮すべきか迷っていると、幸子が付け加えた。

「そうだ。防弾とかカスタムはしてないから。そこは自腹でなんとかしてね」

「あれ?それ幸子さんに話したっけ?」

「希さんに聞いた」

駿河にふと疑問が浮かぶ。

「待って。幸子さん、希さんの連絡先知ってんの?」

「うん。だって友達になったから」

「いつ?」

「駿河さんがいないとき。私が頼んだの」

「はあ・・。全くもって知らなかった・・・」

呟いた駿河に、希が答えを求める。

「結介、どうすんの?もらうの?もらわないの?」

「うーん・・・」

腕を組んだ駿河は悩んだ挙句、その車をもらい受けることを決めた。せっかく幸子が贈呈してくれた品だ。なおざりにはできない。

「ありがたく頂戴いたします」

そう言った駿河は手のひらを差し出した。幸子がその上にキーをそっと置いたとき、幸子の遠く背後から呼び声がかかった。

「幸子、そろそろ行くわよ」

その声は幸子の母親だった。つまり、宮家の妃殿下である。

「わかった」

母親に向かって大きく返事をした幸子は、ふたりに向き直る。

「これから公務なの。もう行くわ」

そして、駿河と希に改めて謝辞を示した。

「あのときの経験は・・、そうね・・、ちょっと変な言い方になっちゃうけど、とても勉強になった。ふたりとも、ほんとに感謝してる。どうもありがとう」


 駿河と希は、幸子が乗る御料車の一団が走っていくのを見送った。ふと、希が口を開く。

「結介の新車、ブイキーパーズみたいに飛べる機能が付いたら、仕事の効率も上がるんだろうねえ」

洒落しゃれなのは明らかだが、駿河は一応訊いてみた。

「ブイキーパーズにそんな車あんの?」

「いや、ない。使ってんのは飛行機とかだもん」

「空が飛べる車なんてもうちょっと先だよ。それに二億円はするみたいだし、俺には無理。空飛ぶバイクならあるけど、あれも七千万はするっていうしなあ」

「そんな説明いらない。ちょっと言ってみただけだから」

希がその場を立ち去ろうと語を継ぐ。

「さて、ウチらは帰りますか」

歩き出した希の後をついて行く駿河はポツリと愚痴った。

「希さんから言ってきたんじゃん」


 その日の夕方、事務所内は改修工事を行うため、窓や壁にはビニールシートが貼られ、床には張り替えの施工道具が置かれており、ドアは一時的に簡素なものが取り付けられていた。専門の業者に頼んだので費用はそれなりにかかるだろう。保険の適用も難しいらしい。だが、そこは幸子が手を差し伸べてくれた。希の話によれば、幸子が両親を通じて宮内庁に掛け合い、改修費を特別に全額負担してくれるよう承諾を得たという。宮内庁はしぶしぶだったとも聞いているが、ふたりには非常にありがたいことだった。では、仕事のほうはどうすべきか。休業すべきか。セカンドオフィスなどはないし、所内は荒れているが、業務自体に支障をきたしているわけでもない。依頼を謝絶しては生活に困る。それらを考慮した末、このまま探偵事務所の運営を続行することになった。そんななか、駿河は自席の固定電話で誰かと話をしていた。希は自分の部屋にいる。駿河は希に聞こえないように声を抑えていた。

「先ほどチケット届きました。ありがとうございます・・。はい・・。ええ、その件でしたら、俺でよければ快くお引き受けいたします・・。ええ、こちらこそよろしくお願いします・・。あのー、ところでお伺いしたいのですが、なんて言いましたか、そちらで制作された作品なんですけども・・、ロボ・・、ロボ・・いえ、違います・・。いや、それでもないですね・・。あっ!そうです!それです!それに関しましてですね、お忙しいのは重々承知しているんですが、もうひとつお願いしたいことがあって・・。実はウチの同僚が、女性なんですけども、そちらの作品の大ファンでして、俺としては公労に報いたいと言いますか、ぜひともそちらにご協力していただきたいことがございまして・・・」

駿河はなにやら企んでいるようだった。


 翌日、午前十時を回った頃。探偵事務所が入っているビルの駐車場には、大きなマイクロバスが一台停まっていた。同じ時分、希はパーカーにジーンズといったいつものカジュアルスタイルに戻り、自分の作業部屋で自席に腰掛けたまま、両手に持ったスマートフォンの画面を見ながらニヤニヤしている。

「ふーん・・。『情熱じょうねつ戦隊ビートレンジャー』ねえ・・。これ音楽系かなあ・・?んーなになに・・。次回作は高校生戦隊の可能性大。おっ!それって超久しぶりじゃん。私が生まれてから初めてなんじゃない?」

そのとき、ドアをノックする音がした。

「はーい」

気づいた希が声をかけた。すると、駿河が封筒を手に部屋へ入ってきた。

「これ、前に言ってたショーのチケット。とりあえず一月分」

駿河が封筒を差し出す。希はスマートフォンをジーンズのポケットに入れながら席を立つと、歩み寄ってそれを受け取る。

「ありがと」

「二月分はもうちょっと待ってて。まだ作ってないみたいだから」

希は封筒からチケットを出して確認する。

「わかった。結介、この日有給取るからね。よろしく」

「ああ。それは構わないよ。でさ・・・」

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