⑥
駿河には、スナイパーが何者か見当がついていた。
「もういいだろ。修二・・・」
スナイパーは起き上がり、布を剥ぎ取った。振り返ったその顔は、駿河の旧友であり、ナイトクラブで再会した男、弓永修二だった。
「なんで俺だとわかった?」
弓永はどこか冴えない表情で訊いた。こういう形で会いたくなかったようだ。その心情は、これから推理を明示する駿河も同じであった。
「お前の手だよ。射撃経験者特有のマメができてた。握手してはっきりわかったよ。あれは銃を扱ってる人間の手だって。次にお前の目つき。一見すりゃ普通だけど、俺にはまるで獣に見えた。学生のときとは全く違ってた。それにお前の話を聞いてから、もしや海外の軍隊にいて、そのあと転身したんじゃないかと思った。だから少し調べてさせてもらったんだよ」
駿河が加藤に調査を頼んだ相手は、弓永だったのだ。
「警官でも軍人でもないくせに。探偵のお前がどうしてそこまでわかるんだ?」
「俺が前に担当した案件の依頼人が、元自衛隊の教官でね。その人から教わったんだ。銃を撃ち続けてる人間は、まず目つきが変わる。そして、指などに独特のマメができて、皮膚の硬い手になるって。お前がまさにそうだった」
冷笑を浮かべた弓永が所感を述べる。
「フッ・・。握手しただけでわかるなんて・・。お前案外、名探偵かもな」
「そんなガラじゃねえよ」
駿河は弓永の言葉を打ち消し、語を継いで難じた。
「お前、昔は傭兵だったんだな。俺が探偵だって言ったとき、「似合わねえ」なんて抜かしやがったけど、お前のほうがよっぽど似合わねえよ。殺し屋なんてなおさらじゃねえか。人殺して金もらうなんて、全然お前らしくない」
「しょうがねえだろ。生きていくためだったんだ」
「なんで殺し屋なんかになった?」
弓永はその壮絶ないきさつを語り始めた。
「俺が二十一の頃だ。暮らしてた中東の国で紛争が起きた。そのさなかに、両親は政府軍が誤って落とした爆弾の犠牲になった。自省しない政府に俺は復讐しようと、ある部隊に入った。表向きは慈善団体だが、実際は反政府ゲリラだ。俺はそこで訓練を積み、軍の施設を破壊していった。だが結局、政府軍の戦力に圧倒され、部隊は殲滅された。唯一生き残った俺は、傭兵になる道を選んだ。潰しが効かなかったんだよ。それからは中東だけじゃない。南米に欧米、様々な戦場を渡ってきた。そんときにはもう、復讐なんて忘れてたな。自分が生きていくのに必死だった。それで三年ぐらい前か、知り合いから殺しを頼まれた。亡命している政治家の暗殺だ。そいつは俺の狙撃力を買ったらしい。報酬もかなり高かったから、引き受けたよ。そっからだ。仕事を成し遂げた俺の噂が裏の世界で広まって、新しい依頼が増えてった。そんでいつの間にか、俺の稼業は殺し屋に変わっていた。アンノウンとか名乗ってる変な奴も、その噂を耳にしたんだろう」
駿河を見据えながら、弓永は付言する。
「日本での仕事は初めてだ。まさかそれで帰国するとは思ってなかった。しかも、飲みに寄ったクラブでお前と会うなんて、予想すらしてなかったよ」
弓永の過去を知った駿河は、ひとつの疑念を確認しようとした。
「末延と佐野、お前はふたりの男をそれぞれ一発で殺した。でも幸子さんは・・、ひとりの女性のときだけは外してる。あれって、俺が近くにいたからか?」
「ああ。追加依頼の的があの女でびっくりしたよ。居場所聞いていざやろうってときに、お前が女のそばにいた。その瞬間だ。急に不安が襲ってきた。もし弾道が逸れたりしたら、お前に当たるかもしれない。俺に限ってあり得ないことなんだけどさ。いつもと違う状況って嫌だよな。正確に狙おうとすると、逆に手が震えちまうんだよ。だから、わざと外して威嚇することにした。そうすりゃお前らは当然逃げるだろ。こっちはいくらでも言い訳が立つしな。あと、お前らに砲弾撃ち込もうとした奴いたろ。あの窮地を救ったのは俺だ。お前をあんな野郎に殺させたくなかったからな」
「その点では感謝するよ。けど、殺す必要なかったんじゃないか?」
「あれが最善の策だったんだよ」
駿河は最後通告とばかりに、弓永に投降を促す。
「修二、お前自首しろ。いい弁護士紹介してやる」
「そういうわけにはいかないんだよ」
弓永は腰の後ろに挟んであった拳銃を抜き出し、銃口を駿河に向けた。
「俺を殺す気になったのか?今さらんなって?」
動じない駿河に、弓永は思い返した。
「いや、やっぱりやめるわ。お前は撃ちたくない」
弓永は拳銃を遠くへ放り投げ、語を継いだ。
「時間稼ぎのために来たんだろうが、俺は仕事をさせてもらう。これ以上話してる暇ないんだよ。止めたきゃかかって来い。お互い素手でやり合おうや。さっさと片づけてやる」
駿河と弓永、ふたりが戦闘態勢に入る。そして、相手に向かって同時に駆け出した。かくして、一対一の戦いのゴングが鳴ったのだ。
ふたりの戦いは、両者とも一歩も譲らない激しいものとなった。駿河は長い間鍛えてきた詠春拳の技を駆使して攻勢に出るが、弓永も負けてはいない。戦場で培った軍事格闘術で反撃を仕掛ける。それぞれが繰り出す拳や蹴り、その一打一打が強烈だ。ふたりの戦闘力は互角といったところか。双方の顔は
倒れたまま動かない弓永を見た駿河は、気を失ったのだろうと思い、手の痛みを抑えながらスマートフォンを取り出した。そして、辰巳に連絡を取った。
弓永に背を向けた駿河が通話を終えると、なにやら後ろで物音がする。振り返ると、倒れていたはずの弓永が、コンクリートの縁に上って駿河に目を向けた。
「おい。なにしてんだお前?」
スマートフォンを上着にしまった駿河が問いかけた。まさか飛び降りる気ではないか。懸念が生じる。
「捕まったってどうせ死刑だ。俺はそれだけのことをやってきた。だから、ケジメは自分でつける」
やはり弓永は自殺するつもりのようだ。駿河はゆっくり近づきながら、必死で止めようとする。
「おい待て。待てよ。死ぬことないだろうよ。お前は依頼されてやっただけだろ。殺したくて殺したわけじゃないだろ。悪いのはお前じゃない。頼んだ奴のほうだ。さっき言ったよな。知り合いに優秀な弁護士がいるんだ。死刑になんてさせやしない。警察に自首すりゃなおさらだ。情状酌量もあるかもしれないだろ」
しかし、駿河の言葉は弓永に響かなかった。
「だとしても、一生刑務所だろ。それも嫌なんだ。じゃあな」
弓永は背後に倒れるように身を投げんとする。コンクリートの縁から弓永の足が離れた。駿河は走り、あわやのところでその手を摑み、弓永は屋上から宙吊りの状態となる。駿河と弓永、ふたりの右手が一本で繋がっていた。駿河はなんとか引き上げようとしたが、先ほどの戦いのせいで弱っており、思うように力が入らない。しかし、一心不乱に放すまいとしていた。支えている左手の指からは血が滲んでいる。助けようと尽くす駿河に対し、弓永は穏やかな口調で言った。
「死なせてくれよ。友達だろ」
「バカかお前!友達だから死なせたくないんだろうが!」
「そういうとこも変わんねえな・・・」
呟いた弓永は、ズボンの後ろポケットから飛び出し式のナイフを取り出し、刃先を出して柄を握ると、駿河の手の甲に接近させた。
「やめろ!」
駿河が叫ぶ。弓永は微笑を浮かべ、最期の言葉を贈った。
「もう一度言っとく。駿河、お前と会えてよかった」
弓永は駿河の手の甲にナイフを突き立てた。耐える駿河であったが、弓永がナイフをそのまま斜めに斬りつけた瞬間、駿河の手の
「クソ・・クソーッ!ああーっ!」
駿河は友人をひとり亡くした。無念の大声を上げ、地面を傷ついた拳で強く叩きつけた。感覚を失うほどに幾度となく。それは、誰にも見せたことのない後悔の満ちた表情だった。
数分後、廃ビルの周りに警察車両が数台と救急車が停まっていた。検視官が弓永の遺体を検案している。そこには辰巳と柏木もいた。屋上では、駿河が応急手当てを受けながら事情聴取に応じ、鑑識官数人が作業を行っていた。当初、駿河が弓永を殺害したのではないかと疑いをかけられたが、現場の状況、その他諸々の事情を踏まえたうえで、その可能性は低いと結論付けられ、意外なことに辰巳の口添えもあってか、駿河の容疑は晴れたのだった。
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