駿河は<七節アジアヒルズ>を訪れた。その高層ビルは堂々とそびえ立っており、写真よりもはるかに高く感じられた。正面の大きな自動ドアは閉まっており、≪関係者以外立入禁止≫と立て看板が掲げられている。巡回だろうか、警備員の姿も数人見受けられた。やはり一般人は入れそうにない。このビルに入っていったという伏見真帆という女は、その関係者なのだろうか。だからこそ、首相暗殺というとんでもない考えを実行しようとしているのかもしれない。事前に下調べもできて一石二鳥であろう。そう脳裏をよぎった駿河はビルを見上げた。空と密着しているように思えるほどの大きさに、首の後ろが痛くなってしまいそうだ。

「たしか、場所は三十階だったな・・・」

サイトの記載では、オープニングセレモニーが行われる会場はそのフロアだった。そこに首相も現れる。ビルの壁面はすべてガラス張りだ。狙撃も容易だろう。駿河は視線をビルから一直線に反対方向へと移した。狙撃するとすればどこからだろうか。ひととおり探してはみるが、地上にいてはわかりそうにない。なにしろ、謎のスナイパーが使用するライフルは長い射程を持つ。ポイントが視認できないのは当然だった。その点はあとで調べてみよう。駿河はそう思い、自身の車に乗り込んだ。そして一路、七節署へと向かった。


 夕闇が迫るころ、駿河は七節署刑事課の窓口にいた。受付時間ギリギリであったが、辰巳を呼び出そうとしていた。そのとき、当の辰巳が柏木と共に歩いているのが目に入った。

「辰巳さん!」

駿河はふたりのもとへ駆け寄った。辰巳はあからさまに嫌な顔をする。

「なんやねん。こちとら事件が増えに増えて忙しいんじゃ」

「聞いてほしいことがあります」

「だから、なんやっちゅうねん!」

早く終わらせたい様子の辰巳に対し、駿河は真剣な表情で言った。

「明日、七節アジアヒルズってとこでイベントありますよね?総理大臣も来るっていう式典」

その問いには柏木が答えた。

「ええ。ありますよ」

「フランスの首相もその式典に出席されるんですよね?」

「はい。今夜あたり空港に到着するかと」

柏木は警備部の知り合いから情報を得ていた。

「それがなんや?」

辰巳が詰め寄ると、駿河は本題に入った。

「出席をキャンセルさせてください。その首相、殺害される恐れがあります」

駿河の言葉に、辰巳と柏木は唖然とした。

「お前、急になに言うとんねん?おかしくなったんとちゃうか?」

辰巳が呆れたように口を開く。駿河はふたりに信じてもらうべく、上着からSDカードを取り出して掲げた。

「これが証拠です。このSDには音声データが入ってます。フィアーのリーダーが首相の殺害を依頼した音声です。辰巳さん、あのフィアーですよ」

「は?なんやと・・。あいつらが・・・」

「急いでしかるべき部署に渡してください。それから本国へ戻るよう、要請もしてください。でないと大変なことになりますよ」

駿河はSDカードを差し出した。辰巳がそれを受け取ると、柏木が問題ないとばかりに声をかけた。

「心配しなくていいと思いますよ。SPの精鋭がぴったり張り付いてますし、フランス警察の警護官も同行します。もちろん、会場内の警備も万全です。入れるのは首相を含め、政府と警察関係者、来賓の方々だけでメディアは入れません。不審物なんてもってのほかです。すぐに見つかっちゃいますよ」

「遠距離からの狙撃なら可能じゃないですか?」

そう訊いた駿河に、柏木は微笑をこぼす。

「大丈夫です。会場内の窓ガラスは、ほかにはない三層構造の防弾ガラスです。まず貫通はしません」

駿河は辰巳に視線を向けた。

「辰巳さん。あのライフルなら、どうです?」

少し間を置き、辰巳が呟くように答える。

「せやなあ・・。できるかもなあ・・・」

柏木が辰巳を見て聞き返す。

「え?」

「末延を殺した銃は対物ライフル。使うた弾はNATOナトー弾。どっちもごっついやつや。その犯人がフィアーとつるんどるんやとしら・・・」

なんとかして同意を得なければ。駿河は力説する。

「あのライフルは装甲車も貫くほどの破壊力があります。防弾ガラスなんて軽くぶち破ってきますよ」

「しかも科捜研の話じゃ、相当な距離から撃ってきとる。すぐに位置を特定するんは無理やろなあ」

「そうでしょ。だから早く・・・」

駿河は意見が一致したと感じた。だが、辰巳はSDカードを眺めながら問いかける。

「これ以外に証拠はあるんか?」

「いえ。今んとこはこれだけです」

辰巳は難しい顔つきになり、駿河に語りかける。

「駿河、俺はお前の言うことがほんまや思うとる。あのフィアーっちゅう奴らならやりかねんわ。一応、渡すにゃ渡すけど、警察にはこの手のいたずらが多いんや。俺らが警備部にこれ出したところで、素通りされる確率高いで。もっと目に見える証拠がないと」

つまり、SDカードのデータだけでは足りないということだ。であればと思い、駿河はふたりに申し出た。

「わかりました。ならせめて、これだけは変更するように伝えてもらえませんか?」

駿河には、ひとつ代替案があったのだ。


 その夜、駿河が事務所に戻ってくると、希が顔を出した。

「結介、ソフト作っといたよ。結介のパソコンに入れてあるから」

「ありがとう。助かる」

「ほかには?やることある?」

「今日は帰っていいよ。疲れたでしょ」

駿河は自前のマグカップを手に取り、コーヒーメーカーへと進む。

「いいの?帰っちゃって?」

「うん。いいよ」

「結介は?帰んないの?」

「まだ調べることあるから、もうちょっと残ってる」

カップにコーヒーを注ぐ駿河に、希が力を貸すべきか訊いた。

「手伝おうか?」

「大丈夫。こればっかりは俺がやんないと・・・」

駿河はどこか意を決した表情になる。

「そう。じゃあ、お疲れ」

「お疲れ様」


 いつしか夜が更けた。駿河は事務所の自席でひとり、ノートパソコンと向かい合っている。希が開発したソフトを活用し、なにやら調べているようだ。しかし、苦戦を強いられている様子でもある。駿河はブツブツ独り言を呟きながら、思案げにパソコンを操作し続けた。そしてそのまま、朝を迎えるのだった。


 希がヘルメットを抱えて事務所に出勤すると、正面の窓辺に駿河はいた。背を向けて立ち、両腕を上に伸ばしてストレッチしている。

「徹夜したの!?」

その姿を察して希が声をかけた。

「そう・・。あーっ・・、目がチカチカする」

駿河はあくびを堪えながら返事をした。一晩中パソコン画面を見ていたせいで、まばたきの回数が多くなったように感じる。

「あのときちゃんと言えばよかったじゃん。手伝ったのに」

いつもは徹夜で仕事なんてしない駿河にしては珍しい。希はそう思いつつ、自分の部屋へ向かおうとする。

「これは俺が調べたかったことなの」

駿河が答えると、希は足を止めた。

「で、どうすんの?フランスの偉い人が来るのは今日でしょ?」

「式典が始まんのは午前十時。そんで今は・・、八時五十分・・・」

腕時計を見た駿河は、希に目線を移して語を継いだ。

「今日で全部決着をつける。フィアーの件も暗殺の件も全部」

駿河の表情には覚悟が表れていた。希も上等といった姿勢で笑みを浮かべる。

「勝負どころってわけね。私はなにすればいい?」

「希さんは式典に関わる警察無線を傍受してほしい。特に首相のスケジュールのこと言ってたら、それを俺に伝えて。できればメールかメッセージで。傍受が違法なのは希さんも知ってるだろうけど、どうしても確かめたい情報があるんだよ。どうかな?」

リスクを伴う任務である。可能ならば、希に迷惑をかけずに自分でやりたいところだが、知識も技術も乏しい駿河にとって、そんな芸当を完璧にこなせるのは希しかいなかった。希しか頼れなかったのだ。駿河は内心、違法行為なのだから嫌がるだろう。そのときはそのとき、別の手を考えようと思っていた。だが、当の希はあっさりと承諾した。

「いいよ。今の警察無線はデジタル無線、暗号化されてて傍受は無理、不可能。な~んて言われてるけど、私にとっちゃイージーよ。チョチョイッとやってみせるから」

さすがの余裕だ。駿河は希に感服した。

「やっぱすげえわ・・・」

それに触発された駿河は、一呼吸置いて身を引き締め、積極果敢な姿勢を持たせる。

「さあ、俺は行くとしますか!」

駿河はまっすぐ玄関へと進んだ。ドアレバーに手をかけたとき、希が呼び止めた。

「結介」

振り向いた駿河に、希がひと声かける。

「気をつけて」

その真剣な眼差しを、駿河は微笑みで受け取った。そして、無言で深くうなずくと、颯爽と事務所を出て行った。


 廊下を歩く駿河は腕時計を見た。そろそろ九時になる。昨夜、改めて伏見真帆の会社について調べたところ、前代表の御子柴と同様、個人で経営しているようだ。じきに業務開始という時間帯だ。そこに本人がいるはず。ついに、フィアーのリーダーと対峙する瞬間が訪れようとしていたのだった。

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