②
幸子が車へ乗るのを見届けた加藤は、駿河と希のもとへやってきた。
「本来は我々の職務だというのに、今日まで幸子さまを保護してくださり、ありがとうございました」
加藤が深々と頭を下げた。その慇懃な姿勢に、駿河は恐縮してしまう。
「俺らは当然のことをしたまでですから。どうか頭上げてください。逆に困っちゃいますよ」
身体を起こした加藤は言い添えた。
「近いうちにお礼を。報奨という形で金銭をお支払いしたほうがよろしいでしょうか?」
「いえいえそんな。お金なんてとんでもないです」
「ですが、こちらとしてもなにかしらのお返しをしないと気が済みません。幸子さまの命の恩人なのですから」
「うーん・・。そうですか・・。でしたら・・・」
駿河は上着から手帳とペンを出し、ページになにやら書き込むと、その一枚を破って加藤に手渡し、遠慮気味に申し出た。
「この名前の人物について調べていただけますか?探偵は警察と違って、調査するにも限界というものがありまして」
加藤が書面を見て駿河に訊いた。
「この方をですか?」
「はい。そちらに捜査部門がなくても、警視庁や警察庁に伝手はありますよね。まだ確信はないんですけど、もしかしたら記録があるんじゃないかなあって。詳しくなくていいです。簡単で構いません。やっていただけますか?」
「承知しました。なんとかしてみましょう」
その紙を上着にしまった加藤に、駿河が付け加える。
「連絡は俺のスマホに。番号書いときましたんで」
「はい。わかり次第ご報告いたします。では、失礼します」
加藤は再度礼をすると踵を返した。
幸子の乗った車が去っていく。駿河は気合を入れ直し、希に言った。
「よし!まずはパスワードの解除からだ。頼むよ希さん」
「任せて。秒で開けてみせる」
希は自信に満ちた笑みを浮かべた。
事務所内の希の部屋。希は宣言どおり、速攻でパスワードのロックを外した。早速音声を再生させると、室内に女の声が流れた。
―そう。その日にフランスから首相が来日するの。氏名はテミス・ロベール。女よ。写真なら今送ったわ。七節アジアヒルズでオープニングセレモニーがあって、彼女はそこでスピーチする。壇上でするから、あなたなら簡単に狙えるわよね。言うまでもないけど、一発で殺して。時間なんかのスケジュールはまたあとで教える・・。わかってるわよ。銃ならあなたの要望に合わせるわ。すぐに手配する。もちろん、逃げる際の準備も整ってるわ。あなたは狙撃だけに集中して・・。前金なら振り込んでおいたわ。残りは成功してから・・。ええ・・。そうよ。アンノウンは私。ほかの誰でもない・・。それじゃあ待ってる。頼んだわよ。
そこで音声は途切れた。やはり駿河の考えは正解だったようだ。フィアーは首相暗殺を企んでいる。
「このデータ、さらにコピーすることできる?」
駿河は希に問うた。
「できるよ。コピーしてどうすんの?警察に渡すの?」
「そう。この声が伏見って女の声か、辰巳さんに頼んで声紋鑑定してもらう。合致すれば証拠になる」
「辰巳って、結介を逮捕したあの刑事でしょ?やってくれるかなあ?」
懐疑的な希に、駿河は返した。
「くれなきゃ本庁に直接持ってく」
「わかった。ちょっと待ってて」
希は別のSDカードをカードリーダーに差し込み、音声データのコピーを始めた。その間、駿河は佐野のいる古書店の監視映像に目を遣った。店のドアを開けて外に出てくる佐野の姿が映っている。それからは一瞬のことだった。佐野が突然後方へと吹っ飛んだ。身体を「く」の字に曲げてドアの窓ガラスを破ったあと、手足を外に出したまま動かなくなったのだ。
「あっ!」
急な事態に驚いた駿河に、希がひと声かけた。
「どうしたの?」
「佐野が、なんか撃たれたっぽい」
「えっ!?」
希がその映像を見た。人が集まり出している。おそらく、ドアのガラスが割れた音に反応したのだろう。そこで駿河は、ちょっとした懸念を抱いた。
「マズいなあ。警察が来たらカメラが見つかっちゃうかもしれない。回収しに行かないと」
駿河は駆け出そうとしたが、足を止めた。
「そうだった。希さん、コピーできた?」
「うん。できてる」
希はコピーしたSDカードをカードリーダーから抜き出した。
「はい」
それを駿河に手渡すと、希は言いそびれていたことを伝える。
「結介、向こう行く前に知らせておきたいことがあって」
「なに?」
「結介が捕まってるとき、ネットのニュースで知ったんだけど、あの杉村って奴、殺されたって」
「杉村も殺されたのか!?」
その言い方が気になった希が問いかけた。
「「も」ってどういうこと?」
「実は鎌田も殺されたんだよ」
「え!?あいつも死んだの!?」
「なんでこう立て続けに死んでってんのか、そこらへんは俺もよくわかんない」
希はふと、フィアーのサイトを閲覧したときのことを思い起こした。
「そういえば、フィアーにはルールがあるって書かれてあった。メンバーに加入しないとそのルールを教えてくれないみたいで、内容までは知らないんだけど、それと関係あったりして」
その推測に、駿河もやや同意を示した。
「ああ確かに。関係性はあるかも。けど外部の人間の可能性もある。まあ、そこんとこはあとではっきりさせるとして、まずはカメラの回収が先だ。じゃ、行ってくる」
駿河は急いで事務所を後にした。
数分前、古書店の裏の部屋では、佐野が固定電話の受話器を手に何者かと話していた。
「なぜ末延さんを殺害したんです?標的が違うでしょう・・。手元が狂った?またそんな出まかせを。アンノウンから聞いています。あなたは決して標的を撃ち損じることはないと。なのに、あれはなんです?二度も失敗しているじゃないですか。仕事を増やしてこちらも申し訳ないと思っていますが、私はあなたの力量を信用しているんです。とにかく、当初の依頼は確実に全うしてください。正直申しますと、私はこのプランに同意しかねています。経験上、要人の殺害ともなれば、警察は総力を挙げて徹底的に捜査を行います。フィアーの存在が特定されるのは火を見るよりも明らかです。彼らの捜査手法は、私が極左に属していた頃に比べて格段に進化しています。しかしアンノウンはどうやら、その捜査を軽く捉えているようです。異を唱えたのですが、聞き入れてもらえませんでした。とはいえ、これはアンノウンが独自にあなたへ依頼したものです。必ず完遂させてください・・。え?店の前まで来ている・・?私に挨拶したいんですか・・?そうですか。アンノウンがそうおっしゃっていたと。では店内へ・・。外ですか・・?アンノウンもおられる・・。わかりました。少々お待ちください」
電話を切った佐野は、足早に店の出入り口に向かうとドアを開けた。周辺を確かめるが、それらしい人影もなく、閑散としている。
「誰もいないじゃないか・・・」
佐野が呟き、ドアが閉まった直後だった。風を切る音と共に、一発の弾丸が佐野のみぞおちを貫いた。その先のことは、駿河が映像で見たとおりであった。
ヘッドセットを片耳に嵌めた駿河は、古書店の近くに車を停め、運転席から降りた。早々にカメラの回収に向かう。いったいなにが起きたのかと不思議がる人だかりに紛れ、タバコケースに入った小型カメラを集めたあと、駿河は群衆の間から佐野に目を遣った。顔を伏せ、身体を前に折り曲げたままピクリともしない。遺体と化しているのは明白だった。駿河は周辺を眺めた。低い建物ばかりで、せいぜい二階までといったところか。空が広く感じる。だが、数キロ先には背の高いビルが数棟立ち並んでいる。駿河は映像を見たときから察していた。あの威力からして、これは例の対物ライフルによるものだろう。おそらく遠くのビル群のどこからか狙撃したのだ。だがわからない。なぜ佐野は殺害されたのか。これでフィアーのメンバーが殺されたのは四人目だ。犯行は外部か内部か。それもはっきりとしない。仮に内部だとしたら、希が言っていた「ルール」によるものなのだろうか。外部だとすれば、フィアーに恨みを持つ者の仕業か。駿河は混乱した頭を整理しつつ、希に連絡を取った。
「希さん、カメラ回収した。これからアジアヒルズ行ってくる。そのあと七節署行って、辰巳さんと会ってくる」
-了解。こっちでなんかやっとくことある?
「そうだな・・。じゃあ、ライフルの飛距離を測定したり、計算できるソフト作ってよ」
-ライフルのだったら、ネットでいろいろあるよ。私が作る必要ないんじゃない?
「ネットよりも希さんのほうが信頼できる。大事な調べ事に必要なんだ」
-ちょっと時間かかるけど、わかった。結介が戻る前に作っとく。
希に頼み事をした駿河は次の目的地へ向かうべく、自身の車のもとへ歩いていった。駿河とすれ違うように、近隣住民からの通報を受けた制服警官がふたり、自転車に乗ってやってきた。救急車のサイレンも聞こえる。この場がより騒々しくなろうことは想像に難くなかった。
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