駿河は助手席に座り直し、詩織を見た。

「ん?なに?」

詩織は目を泳がせ、どこか落ち着かない様子で誘いかける。

「あのさ・・、今度、どっか行かない?ふたりきりで」

「どっかって、どこ?」

「まだわかんないけど、ふたりで楽しめる場所」

「楽しめる・・。遊園地・・、映画館・・、あとどこだ?」

駿河が指を折りながら考えていると、詩織が口を出す。

「二択しかないの?もっとあるでしょ」

「俺、仕事以外はほとんど出歩かないからなあ」

「なら場所は私が決めとく。日程はあとで調整しましょう」

「これ、デートってこと?」

ふと訊いた駿河を詩織が睨みつける。

「嫌なの?」

「いやいや、嫌じゃない。嫌じゃないよ。承知しました。じゃ、あとで」

まさかここで誘われるとは思いもしなかった。だが、喜びを感じる自分がいる。駿河は笑顔のまま車を降りたのだった。


 七節署の捜査本部では、吉沢の取り調べを終えた辰巳が、うつむいて腕を組みながら、右へ左へと何回も往復している。その姿を眺めていた同僚の刑事ふたりが、とりとめのない話をしていた。

「辰巳さん、なにやってんの?」

「癖だよ。本気で考えてるときはああなるんだ」

自分が見られているのも気づかず、辰巳は思慮を巡らせていた。吉沢の話によれば、杉村と鎌田、そして末延の三人は組織内では名の知れた人物だった。この三人が直近で何者かに殺害された。組織にはルールがあるという。それを守れなかった者には、死をもって取り除かれるらしい。おそらく杉村と鎌田はそのルールに違反したのだろう。だが末延はどうなのか。聞くところによると、末延は厳格であり、たとえ仲間でも裏切れば平気で殺害する残忍な男だったようだ。となれば、杉村と鎌田を殺害したのは末延なのだろうか。そこはまだわからない。その末延の死に関して、犯人が駿河でないことは正直わかっていた。あの探偵に人殺しはできない。逮捕したのは念のためであり、個人的に言えば、駿河に対する嫌悪感からそうしたのもあるかもしれない。それにしても、末延の頭を砕いたのは誰なのか。組織の人間か、または第二の勢力か。この件には判然としないことが多い。より一層、捜査を進める必要がある。辰巳は態度を固めるのだった。


 ガールズバー<フラミンゴ>の店内。駿河が待っていると、姫花に優しく連れられて幸子がやってきた。

「姫花、急にごめんね。迷惑だったかな?」

駿河が言うと、姫花は首を振った。

「ユウちゃんの頼みだもん。無下にはできないわ。それにこの子、思ってたより素直な子よ。私としてはとても新鮮だった」

その隣で、幸子が姫花を褒めちぎる。

「怖いとこもあったけど、好きなものデリバリーしてくれたり、特性のジュース飲ませてくれたり、家なんかよりすっごい居心地よかったです。姫花さんだけじゃなくて、ここの人たちもみんな優しくしてくれました」

「この子、ウチに入ったらもっとお客が増えるかも」

姫花は微笑んだ。駿河はやんわりと異を立てる。

「俺の依頼人だよ。ここでスカウトは勘弁してくれないかなあ」

「冗談よ。でもセンスはあるわ。女性としての素質も。磨けば輝きそう」

幸子の背中にそっと手を触れた姫花は、駿河のもとへと引き渡した。

「さあ、行きなさい。気が向いたらまた来てね」

「はい。お世話になりました」

姫花に向かい、幸子はお辞儀をした。

「ありがとう。お礼は今度するから。希さんと一緒に」

駿河が謝意を示すと、姫花は笑顔でうなずいた。

「待ってるわ」


 店を出た駿河と幸子が車へ乗り込もうとしたところ、駿河の正面から辻野が歩いてきた。ふたりには気づいていない様子だ。

「辻野!」

駿河が声をかけた。そこでようやく気づいた辻野が、ふたりに歩み寄ってきた。

「なんだよ。またデートかよ。いや、同伴か?」

「だから違うって。つーか、あのふたりは?回復してんのか?」

山下と根岸を気遣い、駿河が訊いた。

「ああ大丈夫だ。組の事務所で休ませてる」

「お前はどうなんだ?あのあとまた襲われたりは?」

辻野は首を振る。

「いや。来たとしても、あんなザコ一瞬で叩きのめせる」

自信たっぷりに言ってのけた辻野は、駿河を指差した。

「駿河。俺はまだお前を許しちゃいねえぞ。いつかケリつけてやるからな」

「だったら、ここでやるか?」

駿河がファイティングポーズをとった。だが、辻野にそのつもりはなかった。ズボンのポケットに両手を突っ込み、ガールズバーの看板を見る。

「しねえよ。ここ姫花の店だろ。騒ぎ起こして嫌われちゃ、それこそ厄介だ。俺はもう行くよ」

辻野が去ろうとすると、幸子が声を上げた。

「あの!」

突然の幸子の声にビクッとした辻野が振り向く。

「先日は助けていただいたそうで。ありがとうございました!」

幸子が深々と頭を下げた。若い女に感謝の礼を言われるのは久しぶりであった辻野は、なんだか気恥ずかしくなった。それを表に出すまいと冷静な言葉を返す。

「お、おう・・。あんたも気いつけな。駿河につるむとロクなことねえぞ」

そう言い残し、辻野はその場を離れていった。


 駿河と幸子が事務所へと戻る車中、ホルダーに取り付けてあった駿河のスマートフォンが振動音を鳴らす。希からの着信だった。運転中でインカムを出す余裕がなかった駿河は、スピーカーでそれを受けた。

―さっき、蔵前さんから電話あった。警察出られたんだって?

「希さんのおかげでね。幸子さんも一緒だよ」

助手席にいた幸子が受話口に呼びかける。

「希さん」

―よかったー。ふたりとも無事で。

「駿河さんの彼女さんのとこにいたんです」

幸子の言葉に、希の声色が変わる。

―ん?彼女?姫花んとこにいたんじゃないの?

「そうですよ。姫花さんって駿河さんの彼女ですよね?」

ハンドルを握る駿河は、訝しげな顔で幸子を一瞬見た。

―サッちゃん待って。姫花は結介の彼女じゃないよ。結介にそんな趣味ないから。

「え?」

なんのことだかわからない幸子に、駿河が付け加えた。

「彼女じゃないよ。だってあいつ男だもん」

「ええっ!?」

その事実に、幸子の目が皿になる。

「姫花は源氏名で、本当の名前は力哉りきや。いかにも男って名前でしょ」

幸子には到底信じられない。姿も声も女だった。しかもかなりの美女。だが実際は男だったなんて。幸子は少し呆然としたあと、希に問いかけた。

「じゃあ、駿河さん彼女いないってことですか?」

―まあ、いないってことはないかな。だよね、結介。

「余計なこと言うなよ」

「希さんですか?」

幸子が言うと、希が激しく反論する。

―んなわけないじゃん。こんな甲斐性なしのバカ、マジで絶対!絶対あり得ない!

「そこまで言わんでも・・・」

「だったら誰です?」

妙に関心を持つ幸子に対し、駿河は言った。

「べつに知らなくていいから」

うやむやにした駿河は別の話題を振る。

「希さん、俺がいない間になにかわかったことってある?」

そこから先は、話の内容が一変する。

―結介が言ってたコンサル会社の代表について調べてみたの。御子柴源って奴。そしたらこいつ、二年前に死んでた。殺されてる。

「殺された・・。犯人は?」

―見つかってない。警察のデータを要約すると、自分の会社があるビルの階段から転落して死んでる。御子柴の部下が死体を発見して通報。当初は事故だと思われたんだけど、揉み合った形跡があったみたいで、警察は他殺として捜査を始めたの。御子柴に恨みを持ってる奴は少なからずいて、犯人候補は何人か出てきたみたいなんだけど、特定には至ってないのが現状。

「そうか。で、会社はどうなったの?」

―別のルートから調べた結果だと、死体を発見した部下が代表を引き継いだみたいだね。だから会社はまだ残ってる。

「なら、そいつがつまりフィアーのリーダーか。その部下って誰かわかる?」

―わかるよ。警察の参考人データに名前と写真が載ってた。

「OK。もうすぐ事務所だから、続きはそっちで」


 駿河と幸子が事務所へ戻ってくる。希が多少片づけてくれたようだが、事務所内の壁や床には多数の銃痕が残存していた。窓ガラスはひび割れ、ドアはもう使い物にならないほどの被害を受けている。それらが襲撃のすさまじさを物語っていた。ふたりが希の部屋に入ると、自席に腰掛けていた希が振り返った。

「おかえり。結介、どうする?すぐに見る?」

「その前に。幸子さんそこ座って」

駿河は近くにある椅子を幸子に勧めた。幸子がその椅子に腰を落とす。その幸子を見据え、駿河は言った。

「幸子さん、きみの本当の素性がやっとわかったよ」

不可解な面持ちの希が駿河に問う。

「結介、サッちゃんの身元がわかったの?」

「そう」

駿河は加藤と篠塚から聞いた話をふたりに切り出した。


 辰巳と柏木が七節署の廊下を歩いていると、スーツ姿の屈強そうな男たちがぞろぞろと横を通り過ぎていく。

「なんや?応援か?ぎょうさんおるのー」

そんな辰巳の言葉を、柏木は否定した。

「違いますよ。あれは本庁の警備部です」

「なんで警備部がおんねん?」

「たしか明日、でかい式典をこの街でやるようで、総理大臣も出席すると聞きました。その警備の打ち合わせなんかじゃないですか?」

「へえ・・・」

生返事をした辰巳は、本庁の大群の背を見つめていた。

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