④
聞き分けがない幸子に対し、姫花はカウンターの上を右の拳で思い切り叩いた。その音に、場が一瞬静まり返る。姫花は真剣な表情で幸子に告げた。
「私の店潰したいの?いくらユウちゃんの頼みでも、そのつもりならさっさと出てって」
威圧を感じた幸子は目を丸くした。
「はい・・。すみません・・。もう言いません・・・」
勢いに飲まれた幸子は、思わず謝ってしまう。
「なにか飲みたいなら、お酒以外にしてね。お金はいらないから。わかった?」
姫花が微笑むと、幸子は黙ってうなずいた。姫花は静寂に包まれた店内を、満面の笑顔で盛り返そうとする。
「ごめんなさいね。そうだ。お詫びに皆さんに私から一杯おごってあげる」
その言葉で、店内は再び活気を取り戻した。先ほどとは打って変わり、優しい表情になった姫花は幸子に言った。
「幸子さんには特性のフルーツジュース用意してあげる。ちょっと待ってて」
翌日、捜査本部の辰巳のもとに、柏木がやってきて報告を始めた。その捜査本部は、杉村と鎌田の死亡に関連があると見て、コンビニ爆破事件のあとも捜査を継続していた。
「辰巳さん、駿河結介が釈放されるそうです」
「はあ?なんでや?」
辰巳には信じられない一報だった。
「駿河の弁護士が不服を申し立てて、それが受理されたとのことです」
「弁護士だあ?あいつ、いつ弁護士に相談したんや?」
駿河が留置されてからは、誰一人接見には来ていないはずだ。辰巳に疑念が生じる。
「あと、彼が犯人でないと証言した者もおりまして」
「誰やねん?」
「その方なんですが・・・」
柏木がヒソヒソと辰巳に耳打ちした。それを聞いた辰巳は気が動転した。
「マジか!?」
「マジです」
「でもわからん。なんでや・・・?」
辰巳は首を傾げた。
身支度を整えた駿河が留置場を出ると、待合室にスーツ姿のふたりの男女が立っていた。
男は弁護士の蔵前
「蔵前さん。それに詩織も。え?なんで?」
突然知人がふたりも登場したことで、駿河は戸惑った。
蔵前は駿河が探偵社にいた頃、そこの顧問弁護士をしていた。駿河に独立を勧めたのも蔵前だ。その後、駿河が独立してからは度々、自身の調査の仕事を駿河に委託していた。駿河にとっては食い
一方、詩織は駿河とは幼なじみであり、前述した五十嵐の一件で、不審者に連れ去られそうになった女の子その人である。駿河とは仕事の関係で再会し、それからは友達以上恋人未満という微妙な関係を保っている。駿河も詩織もお互い恋心を抱いているが、どちらもあと一歩のところまで踏み出せないでいるのだ。
蔵前が面食らう駿河に経緯を説明する。
「昨日、神坂さんから連絡がありましてね。すぐに留置を取り消すよう、手続きを行いました。なにぶん時間がなかったものですから、桐谷君には書類作成の業務を手伝ってもらいました」
やつれた駿河を見て、詩織が心配そうに声をかける。
「ユウ君、大丈夫だった?自白の強要なんかされてない?」
「ないない。俺は大丈夫。協力してくれてありがとね」
「それは私じゃなくて、蔵前先生に言って。頑張ってくれたのは蔵前先生のほうなんだから」
首を振った蔵前は否定の意を示す。
「私に感謝は不要です。感謝すべきはあの方々ですよ」
蔵前が指した先には、加藤と篠塚がいた。加藤は腕にギプスを付け、篠塚は松葉づえをついている。蔵前は語を継いだ。
「彼らの証言がなければ、これほど早く釈放できなかったでしょう」
加藤と篠塚が歩み寄って来ると、駿河は呟いた。
「幸子さんが言ってた警察・・・」
蔵前がその点を補足する。
「警察は警察でも
「えっ!?皇宮警察ってたしか、天皇に仕えてる警察ですよね?」
「おっしゃるとおり」
駿河の前に立った加藤と篠塚は、それぞれ警察手帳をかざした。
「護衛部護衛第二課、加藤です」
「同じく、篠塚です」
駿河の頭が混乱をきたす。
「ちょっと待ってください。なんで皇宮警察が幸子さんを?」
「それは・・・」
蔵前が説き起こそうとするのを、加藤が片手で制した。
「私がお話しします。幸子さまは我々の護衛対象だからです」
「幸子、さま?」
怪訝な顔の駿河に向かって、加藤は明言した。
「あのお方は
駿河は一瞬、腰が抜けそうになった。
「琴樋宮っていったら、皇族じゃないですか!?」
だから幸子は自分の素性を明らかにしようとしなかったのか。やはり「サトウ」と名乗っていたのは嘘だった。これで納得がいった。と同時に、ふと疑問が浮かぶ。
「あれ?でも、あそこって娘さんいましたっけ?メディアで見たことなかったような・・・」
その点については篠塚が明かした。
「幸子さまは近年、
「じゃあ林さんは?あの人も護衛官なんですか?」
「いえ。彼女は皇室の職員で、琴樋宮ご一家の
「いや。あれはほとんど俺の力じゃないんですけどねえ」
駿河は頭を掻いたが、そこでもうひとつ、脳内で疑問が湧いた。
「あのー、そもそも警察なら、俺なんか使う必要なかったんじゃないんですか?」
問うた駿河に、加藤が答える。
「我々には捜査部門がありません。それに警視庁の上層部は、幸子さまのお顔を存じています。対象に家出されたから捜索に協力してくれなどとは、口が裂けても言えません。我々の恥をさらす結果になってしまいます。ですので、秘密裏に捜索するしかなかったのです。たとえ探偵の手を使ってでも。ご両親であらせられるご夫妻さまからは、あとになって「強制的な手段は使わぬように」と仰せつかっていたものですから、護衛も兼ねて幸子さまの周りを見張り、ご一家のもとへお連れ戻しするチャンスを伺っていたのです」
「なるほど・・・」
表情の深刻さがさらに増した加藤は、駿河に訊いた。
「幸子さまは今、どこにおられるのですか?」
「あるお店に匿ってもらっています」
「その店の場所を教えてください。我々でお迎えに上がります」
駿河は自分を示して返答した。
「それ、俺に任せてもらえませんか?多分、ふたりを見たら幸子さん逃げちゃうと思うんですよ。家に帰るの相当嫌がってましたから。ですんで俺が説得します。彼女がその気になったら連絡しますんで。お願いします」
加藤と篠塚は顔を見合わせた。やがて、加藤が駿河に言った。
「一日だけ待ちます。それでも説得が出来ないようでしたら、こちらの意に反しますが、強硬手段を取らざるを得ません。ご夫妻さまも幸子さまの身を案じておられますので」
「わかりました」
駿河は静かにうなずいた。その駿河の背中に詩織が触れる。
「私、車で来たから。送ってく」
詩織の車に乗った駿河がガールズバーへ向かっているとき、捜査本部の辰巳は疑念が拭えないでいた。
「なんで皇宮警察なんや。わけわからん」
そこへ柏木が駆け寄ってきた。
「辰巳さん、鎌田のスマホを調べたら、例のフィアーのアプリが見つかりました」
「なんやと!?あいつも連中の一味やったっちゅうことか?」
「そのようですね」
「末延いうんもフィアーやった・・。内部分裂でも起こしとんのか・・?どうなっとんねん・・。こりゃもう一度、吉沢に話訊いてみるか」
辰巳は再度取り調べを行おうと動き出した。
詩織の車がガールズバーに到着した。後ろを振り向いた駿河は、店先に自分の車が駐車されているのを確認すると、礼を述べた。
「ありがとう。俺は自分ので帰るから」
駿河がその車を親指で指した。視線を向けた詩織は目が点になる。
「え!?あれで帰るの!?」
廃車にしか見えない駿河の車を眺め、詩織は驚きの声を上げた。
「エンジンもかかってたし、タイヤもパンクしてないようだから、なんとか動くでしょ」
「いや、私が事務所まで送る。最初からそのつもりだったし。あの車はレッカー手配して運んでもらいましょう」
「それじゃお金かかっちゃうじゃん。いいよ。あのままで」
駿河は内心懸念していた。自分は今、命を狙われている。いつまた襲撃に遭うかもしれない。詩織をその巻き添えにしたくなかったのだ。だから敢えて、本当のことは黙っている。
「詩織は蔵前さんとこに戻っていいよ」
シートベルトを外した駿河は車から降りようとした。すると、詩織が呼び止めた。
「待って」
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