②
駿河は走っていく車を横目で確認する。しかし妙だった。姿を晒しているのに、相手が全く撃ってこない。
「もういねえのかなあ・・・」
呟いた駿河は、振っていた両手をだらんと下げた。狙撃を諦めたのかもしれない。もしくはあれなのか。巡っていた疑念がさらに強まる。だが、その前にやることがある。駿河はスマートフォンを出し、通話中のままだった希に声をかけた。
「希さん」
―何度も呼んだのになんで出ないの!つーか、なにがあったの?結介も襲われたの?
「そう。でも、なんとか切り抜けられたみたい。それより、これから警察がそっち来るかもだから、見られちゃマズいもんは隠しといたほうがいいよ」
―まあ、あんだけうるさけりゃ通報されるわな。
「マスターが通報したって」
―あの人、こういうときだけキビキビしてるよねえ。
「まあね」
駿河は会話を続けながら周辺を見渡す。
―サッちゃんは?大丈夫なの?
「大丈夫。今、姫花さんのとこに向かわせた。俺の車で」
―警察嫌がってたからそうしたんだ?
「そのとおり」
―姫花ならいいんじゃない。見た目に比べて結構強いし。
「これからあいつに連絡するから、一旦切るね」
通話を終えた駿河は、早速≪フラミンゴ≫に連絡を入れた。
同じ頃、辰巳と柏木は、取調室で吉沢の供述を聞いていた。
「なるほど。フィアーいうんは、犯罪好きの集まりっちゅうわけか」
辰巳が大体の概要を摑んだとき、ドアをノックして制服警官が顔を覗かせた。
「少しよろしいですか?」
関をった柏木が警官のそばまで来ると、その警官が柏木に耳打ちした。その合間、吉沢が辰巳に再度訴えかける。
「なあ、絶対俺のこと守ってくれよ」
「わーっとるわーっとる。警備は厳重にしとくから安心せえ」
ふんぞり返る辰巳はぞんざいにうなずいた。そんな様子を見た吉沢は、本当にその気があるのかと疑いの目を向ける。
「そうですか。わかりました」
柏木が言うと、警官はドアを閉めた。
「辰巳さん、七丁目で銃声らしき音を聞いたとの通報が。一回ではなく、何十回も聞こえてきたとのことです」
報告した柏木に、辰巳が訊いた。
「七丁目・・?七丁目のどこや?」
「五十番三号。喫茶店の隣にあるビルだそうです」
「そこって・・、あのけったくそ悪い探偵がいるビルやないか!」
辰巳がおもむろに腰を上げる。
「俺は現場行ってくる。お前はこいつ頼むで」
柏木に適当な指示を出した辰巳は、足早に部屋を出て行った。
「おい!俺どうなんだよ!おい!」
吉沢が叫ぶが、辰巳には聞こえなかった。
姫花にどうにか承諾をもらい、スマートフォンをしまった駿河の耳に入ってきたのは、うめき声だった。辺りを見ると、加藤と篠塚がわずかに動いている。てっきり射殺されたものと思っていたが、まだ息があるようだ。駿河がふたりのもとへ駆け寄ったとき、二台のパトカーが近くで停まった。降りてきた制服警官に、駿河が声高に呼びかけた。
「怪我人です!すぐに救急車お願いします!」
数十分後、辰巳が乗った覆面パトカーが現場となったビルに到着する。辰巳の視界に入ったのは駿河だった。隣には希もいた。心配になってやってきたのだ。ふたりが警官に事情聴取を受けている。それを後目に、辰巳は歩きながら現場を検めた。すでに鑑識が入っている。その邪魔にならないよう、遠目に眺め回す。地面に落ちていた二丁の拳銃、散らばった無数の薬きょう、ほぼ首だけの遺体、その遺体が持っていたロケットランチャーなど、まるで抗争の跡のようだ。辰巳は駿河と希に近づき、代わりに聴取を行う旨を警官に伝えると、ふたりに問いただした。
「これ、お前らがやったんか?」
「そんなわけないでしょ」
駿河は当然のように否定した。
「確かに。隣のネエちゃんは関係ないかもしれん。ヤンキーみたいやが、女ができる技やない」
「は?ヤンキー?結介、なにこいつ?」
気色ばんだ希が辰巳を指差した。希は辰巳とは初対面である。
「でも駿河、お前ならできるわなあ」
辰巳は語を継ぎ、とんでもない当てずっぽうを話し出す。
「おそらくこうや。お前には莫大な借金があった。しかも借りたんはヤクザからや。そのヤクザが取り立てにやってきた。金が返せんかったお前は、やむなく連中を皆殺しにした。逃げようとしたところで警察が来てしまい、お前は今、無関係な第三者を装っている」
「バカじゃないのあんた!」
希が声を上げた。十分に調べもせずに、一方的に駿河が犯人だと断定した言い方をしているのだ。駿河は思った。辰巳は完全に自分のことを嫌っていると。
「俺は殺してません。それに、借金もありません。俺は相手に襲われたんです。被害者です」
駿河は冷静に対応した。
「相手って誰や?ヤクザやないんか?」
「それは・・。言っても信じてくれませんよ。特に辰巳さんは」
「どのみち調べりゃわかることや。駿河、手え出せ」
辰巳が手錠を取り出す。
「逮捕するんですか?なんの容疑で?」
「もちろん殺人や」
「まだその段階じゃないでしょ」
反論する駿河の隣で、希が辰巳を睨んで言う。
「あんた、不当逮捕で訴えるわよ」
「おーおー、やれるもんならやってみい。裁判所がおたくのようなネエちゃん相手にしないと思うがのう」
「こいつ・・、ぶっ飛ばしてやる!」
怒った希が辰巳に殴りかかろうとするのを、駿河が止めた。
「そんなことしたら希さんまで捕まっちゃうよ。俺なら大丈夫。ちゃんと調べれば違うってはっきりするから」
「でも・・・」
「いいから」
駿河は両手を差し出した。辰巳はその手に手錠をかける。
「行くで。ちゃっちゃっと来んかい」
辰巳が背中を見せる。怒りが収まらない希は、その背中を思い切り蹴った。
「痛っ!」
前につんのめった辰巳が振り向く。
「お前か?お前がやったんか?」
顔を顰める辰巳に対し、希は微笑んで視線を逸らし、素知らぬふりを決め込んだ。
「辰巳さん、早く行きましょう」
駿河はそれを見ていたが、いい気味だと黙認した。
七節署の取調室。駿河はパイプ椅子に座らされ、一時間以上待たされている。仕事柄、警察と関わることがあっても、逮捕されるのも取調室に入れられるのも初めての経験だった。
「あのー・・、あとどれくらい待てばいいんですかね?」
しびれを切らした駿河は、傍らの席にいる柏木に問いかけた。
「もう少々お待ちください。じきに辰巳さんが来ますので」
そう答えたとき、ちょうど辰巳が入ってきた。怪しい笑みで駿河の正面に腰掛ける。
「このインチキ探偵」
辰巳は開口一番そう言うと、続けて問い詰めようとする。
「現場に落ちとった銃から、お前の指紋が出たで。やっぱお前が殺したんとちゃうんか?」
「あれは、向こうが撃ってきたから、正当防衛で撃ち返しただけです。それに殺してはいません」
「まだあるで。お前、男ふたり車で轢いたな?そのふたりが証言したで」
「あれも、そいつらがウチの事務所に向かって銃を撃ってたから、希さんが危ないと思ってやったんです。『緊急避難』ってやつですよ」
駿河が抗弁するも、辰巳は懐疑的な姿勢を取った。
「そうかそうか。で、希っちゅうんは、あのネエちゃんのことか?」
「はい」
「できとるんか?」
辰巳が肘をつき、小指を立てた。
「そういう関係じゃありません。仕事上のパートナーです。てか、話逸れてません?」
「つい気になってしもうただけや。ネエちゃんも大変やのう。お前みたいなしょうもない男と一緒に仕事しとるんは」
「それ言うために来たんですか?取り調べでしょ」
駿河はいい加減うんざりしてきた。
「現場見ましたよね?あれを俺ひとりがやったと思ってんですか?状況的にあり得ないですよね?」
そう主張した駿河に、辰巳はひとつの仮説を唱える。
「共犯がおった可能性もある。現に車が見当たらないんや。男ふたりを轢いた車や。どこやった?その共犯が乗って逃げたんとちゃうんか?」
「逃げるんなら、俺も一緒に逃げてるじゃないですか」
「じゃあ、車がないんはなんでや?」
「話せません」
駿河は口を閉ざした。幸子のことを漏らすわけにはいかない。
「黙秘権っちゅうわけか。そんなの俺には通用せんで。まあ、これで疑いが濃くなったわな」
辰巳は席を立ち、駿河に歩み寄る。
「そういや駿河、ちょっと前に交通違反しとんな。あの爆弾騒ぎの前や。ナンバーでお前の車やとわかっとる。交通課が怒っとったで」
「はい。それは認めます。罰金なら支払います」
その点は受け入れた駿河に、辰巳は顔を近づけた。
「さっきも言うたがなあ、俺はこの件の犯行はお前や思うとる。けどウチらとしては、形式上捜査せなあかん。そやから調べがつくまで、署に泊まってもらうことになるで。ええな?」
「好きにしてください。俺は断じて人殺しなんかしていません」
「ええ根性やないか。いつまで続くか見ものやな」
辰巳は笑みを浮かべ、柏木に命じて留置手続きに入ろうとした。駿河の初めてがひとつ増えたのだった。
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