⑤
希が自身の部屋に戻ってくると、駿河と幸子の姿がない。もしかして事務所のほうかと思い、そこまで行くと、駿河が自席で外出の支度をしていた。幸子はソファに座ってスマートフォンの画面を見ている。
「どっか行くの?」
準備している駿河に希が訊いた。
「思い出したんだよ。あのロゴマーク」
「なんのロゴだったの?」
駿河が回想しながら説明する。
「コンサルティング会社のロゴだった。ずっと前、まだ俺が探偵社にいた頃に、信用調査を依頼されたことがあって、それがそのコンサル会社だったんだよ」
「じゃあ、代表者の顔も知ってるってこと?」
「いや、知らない。あのときはまだ新人で、担当したのは先輩の調査員。俺はその補助役で、デスクワークばかりだったから、その会社にすら行ってないよ」
「なら、これからその代表者に会いに行くの?アンノウンかもしれない奴に?」
希の問いに、駿河は自身の考えを述べる。
「とりあえず様子見。顔だけでも拝んとこうと思って。適当に理由つけてね」
「そんな簡単に会えるもんなの?顔だけならネットで探せば見られるでしょ?」
「それがその会社、代表者の顔を公開してないんだよ。ホームページも持ってない」
「持ってない?」
怪訝な顔をした希に、駿河は言った。
「案件を紹介するサービス会社を通じて仕事してるらしくで、自分からは受注してないみたい。それに会社って言っても個人経営で、いるのはその代表者と部下のふたりだけ。たしか代表の名前は・・、えー・・、あっ、
駿河は語を継ぎ、希に指示を与えた。
「希さんは古本屋の監視と、店員の男の素性、録画した映像を基に調べといて。やり方は任せる。あと、幸子さんもお願い」
「わかった。いってらっしゃい」
希が駿河を見送ろうとしたとき、スマートフォンが振動した。画面を見ると、同じ特撮ファンの知り合いからのメッセージだった。
「おっ!新戦隊の商標出たんだ。でもなあ、今見てる暇ないし。あとで確認しとこ」
メッセージに返信した希は顔を上げる。
「じゃあサッちゃん。こっちは・・あれ?」
幸子がいない。事務所にいるのは希だけだった。
駿河が自分の車に乗り込むと、後ろでドアが閉まる音がした。驚いて振り返ると、そこにいたのは幸子だった。
「幸子さん!?なにしてるの!?」
「私も一緒に行く」
「昨日怖い目に遭ったでしょ。また連中が襲ってくるかもしれない。今日は事務所にいたほうがいい」
「嫌だ」
幸子は断固として譲らない。息をひとつ吐いた駿河は口を開いた。
「わかった。同行を許したのは俺のほうだし。でもあのとき言ったよね。なんかあっても自己責任」
「覚えてる。私は奴らのボスが誰なのか直接見たいだけ」
そのとき、駿河に希から着信があった。スマートフォンを取り出してそれを受ける。
―結介どうしよう。サッちゃんいなくなっちゃった。
「今俺の後ろにいる。ついて行きたいって」
受話口から希のため息が聞こえる。
―ったく。なんなのあの子は。サッちゃんが来てから私たち、あの子に振り回されっぱなしよね。
「だねえ」
―で、どうすんの?
「しょうがないから連れてくよ。すぐ済む用事だしさ」
―そう。じゃあこっちはこっちでやることやっとくから、さっさと済ませて帰ってきて。
「OK」
通話を終えた駿河は車を発進させた。その直後、物陰から加藤と篠塚が乗った車がゆっくりと動き出し、後を追った。
それから五分ほどが経った頃、事務所があるビルの近くに黒いワゴン車が停まった。中にはマシンガンを構える末延と、男がもうふたり、拳銃を握って事務所の窓を睨んでいた。
七節町のビジネス街。小規模なオフィスビルの前で、駿河は車を停めた。そのビルの三階に例のコンサルティング会社は入っている。車を降りようとシートベルトを外した駿河のもとに、再び希から電話があった。
―男の素性がわかったよ。
「さっすが、仕事早いなあ。早速教えて」
―名前は佐野賢、五十七歳。警視庁の古い逮捕者データに記録があった。こいつ、二十代から三十代の頃に、国内の過激派組織に所属してた。いわゆるテロリスト。当時はいくつかのテロ事件に関与してる。その過激派はとっくに解体されてて、そのあとは特に逮捕はされてない。けど、爆弾や銃なんかの知識はありそうだし、フィアーのメンバーか、協力者って線は強そう。
「そうか・・。徳丸の話じゃ、フィアーにはサブリーダーがいるって言ってた。もしかしたら、佐野はそのサブリーダーかもしれないなあ」
―もうひとつ。こっちのほうが重要。
「なに?」
―さっき、フィアーのサイト覗いてみたんだけど、サッちゃんに関するプランページが更新されてた。結介、よく聞いててね。
希の重そうな口調に、駿河はやや身構えた。
―結介の写真が載せられてた。殺したら懸賞金は五百万。結介、フィアーのターゲットにされてる。
「五百万か・・。ずいぶん安く見られたな・・・」
駿河は微笑を浮かべた。
―問題なのは、サッちゃんと違って結介の名前が出ちゃってるってこと。私たち、この街で活動してるでしょ。だから、知ってる人は知ってるみたい。
「ほう。俺、意外と有名人だったんだね」
―なにのんきなこと言ってんの!結介も狙われてんだよ!
「俺のことは心配しなくていいよ。それよりも幸子さんのほうをなんとかしないと・・。ってか、俺の名前が出てるってことは、事務所の場所も知られてるんじゃ?」
―情報を見る限りだと・・、今んとこは・・、住所までは知られてないみたいだけど・・・。
「でも時間の問題だ。俺だけならまだしも、希さんまで危険な目に遭わせたくない。そうだ。もしなんかあったら、緊急用の“あれ”を発動しみるか。こういうときのために、事務所ん中改造したんだから」
―そうだね。そうする・・。きゃっ!
受話口の向こうで、希の叫びと共に幾度もの破裂音が轟いた。
「希さん!どうした!?希さん!」
応答はないが、電話は切れていない。しかし、その音はいまだに鳴り響いていた。事務所でなにか非常事態が起きている。緊迫した表情に変わった駿河は、シートベルトを締め直した。
「どうしたの?駿河さんのスマホ、ガチャガチャ音鳴ってるけど、なんかあった?」
状況を知らない幸子が、後部座席から問いかけた。
「いったん事務所に戻る」
「なんで?ここまで来たのに?」
「事務所が襲われてる」
「えっ!?」
駿河はアクセルを目一杯踏み込んだ。
十数秒前、希は事務所の自分の部屋で駿河と会話していた。
「そうだね。そうする」
そのとき、大きな音を立てて窓ガラスに亀裂が入る。
「きゃっ!」
希が声を上げたのと同時に、銃声の騒音が希に降りかかった。外では、男ふたりが拳銃を発砲している。窓は全て防弾ガラスだが、これでは割れるのも時間の問題だ。
―希さん!どうした!?希さん!
インカムから駿河の声がしたが、返事をする余裕がない。希が咄嗟にしゃがみ込むと、事務所のほうからも銃声が聞こえてきた。末延が玄関のドアノブに向けてマシンガンを連射していたのだ。どうやらドアの施錠部分を破壊し、無理やりこじ開けようとしているらしい。外から撃ってきているのは、逃げ場を塞ぐためだろう。入って来られては大変どころではない。確実に撃ち殺される。そう感じた希は、しゃがみながらキーボードを打った。すると、窓枠から鉄製のシャッターが素早く下りてきた。それは玄関も同様だった。駿河が言っていた“あれ”とはこのことであった。探偵は職業上、恨まれる場合もある。その報復対策として、緊急時に事務所自体を要塞化できるよう、特注で改装していたのだ。鉄の壁に阻まれて入ることができなくなった末延は、眉を顰めて黙ったまま、その壁を蹴った。直後、末延のスマートフォンが振動した。電話の相手は佐野だった。
―末延さん、情報が入りました。標的は現在そこにいないようです。一度待機を。
電話を切った末延は、マシンガンの弾倉を取り換えて去っていった。
駿河の車が戻ってくると、そこには拳銃を持った男がいた。二階の事務所の窓に何度も銃弾を撃ち込んでいる。やはり襲撃に遭っていた。駿河はさらにアクセルを踏み込み、男たち目掛けて突進していった。それに気づいた男らは、銃口を運転する駿河に向けた。だが、引き金を引く間もなく、ふたりは駿河の車に正面からぶつかった。轢かれたふたりが横倒れになる。死んではいないものの、衝撃でもだえ苦しんでいる。それをバックミラーで確認した駿河は、方向転換して駐車場の手前で停まると、希に再度連絡を取った。
「希さん、聞こえてる・・?」
不安に駆られた駿河が、つい声を荒げる。
「おい!返事しろ!」
やがて、希がそれに応答した。
―うるさいなあ。聞こえてるわよ。
「よかった。怪我は?」
―ない。全然大丈夫。緊急システムのおかげ。
その声を聞いて駿河は安堵した。その後ろで、移動中に事態を聞いた幸子が話しかける。
「希さん、大丈夫だって?」
「ああ。なんとかね。事務所戻ってちゃんと無事かどうか確認する。それから警察に通報するから」
「ちょっと。警察はやめてよ」
「幸子さんのことは言わないから。安心して」
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