③
希は黒革のライダースジャケットを羽織り、背中には黒いスクエアバッグ、黒縁の眼鏡をかけ、手には白いワイヤレスのヘッドフォンを持っている。
「嫌だなあ・・。やりたくねえ・・・」
ため息を吐いた希は、気乗りしていない様子だ。そこで駿河が声をかける。
「そんな希さんに朗報」
「え?やんなくていいの?」
希が少し笑みを浮かべ、期待を膨らます。
「違う。チケットの件。もうすぐ手に入るから期待しといて」
「なんだ・・・」
表情が元に戻った希の頭に、ふと疑問が湧く。
「待って。まだ予約始まってないわよ。なんでそこまで確信めいたこと言えんの?」
駿河の顔に動揺が見えた。
「あー・・。それはー・・、そのー・・・」
「なんかした?」
訝しい目つきになる希に、駿河は話を逸らすように訊いた。
「それより、準備はできた?」
希は怪しみながらも答える。
「できた」
「OK。俺はここでモニタリングしてる。その都度指示出すから、くれぐれも慎重に」
「はいはい」
そばで見ていた幸子が、希にエールを送る。
「希さん。頑張って」
「はいよー」
希は片手を振りながら素っ気なく返事をし、部屋を出て行った。
目的地に向かおうとバイクに乗った希の視界に入ったのは、黒塗りの車だった。
「あれ・・。あの車・・・」
たしか、昨日追ってきた車に似ている気がする。だが、あのときは夜間で走りながらミラー越しに見ただけだ。それに、黒い車ならいくらでもある。考えすぎかもしれない。そう思った希はエンジンをかけた。
七節町内にある歩道。鎌田がいつも通っている道の近くに希はいた。ヘッドフォンを付け、上着のポケットに両手を突っ込み、建物の壁に寄りかかりながら、じっと鎌田が来るのを待っている。希がかけている眼鏡には、小型のカメラが内蔵されている。そこから送られる映像を駿河と幸子は見ていた。そして、ヘッドフォンは音楽を聴くためではなく、音声通信用のインカムになっており、駿河の指示がイヤーパッドから流れ、コネクタージャックに搭載されたマイクで、希の声を聞き取ることができるのだ。希がデジタル式の腕時計を見る。そろそろ来る時間だ。そう思っていると、案の定、鎌田が歩いてきた。特に辺りの様子を窺うわけでもなく、横柄な足取りで歩みを進めている。
「きた」
希が言うと、ヘッドフォンから駿河の声がした。
―確認した。尾行始めて。
駿河の指示どおり、希は鎌田の十数メートル後ろをそっとついて行った。希はバレやしないかと、内心息が詰まりそうだった。鎌田が歩きながら後ろを振り返り始めた。希はすかさず物陰に隠れてやり過ごす。
―いいよ希さん。その調子。
「ほんとかよ」
希がぼやく。この尾行は長くかかるのだろうか。そう希がやきもきしていると、やがて鎌田は、一軒の古めかしい建物の前で足を止めた。再び後ろを向いて周辺を見回す。尾行には気づいていないようだが、なにやら警戒はしているようだ。そして、鎌田はその建物のガラス張りのドアを開け、中に入っていった。希は少し間を置き、建物の前まで行った。出入り口の上に取り付けられた看板に目を遣る。
―本屋さんみたいだね。
駿河が言うと、希が補足を加える。
「正確には古本屋よ。たしか地図上ではそう出てた」
―鎌田に読書の趣味があるとは思えないな。もしかしたら、この店がフィアーのアジトなのかも。希さん、中に入って。
「え~っ。入らなくちゃダメ?」
―ここまで来たら確かめないと。でしょ?
「わかったわよ。けど、なんかあったらダッシュで逃げるからね」
希はしぶしぶ、古書店の中へと足を踏み入れた。
その中はとても静かだった。「いらっしゃいませ」の声もない。チェーン展開している大型の古書店とは違い、こじんまりとした店内だった。昔からあるようなノスタルジックな雰囲気を醸し出している。
駿河がすぐさま指示を出す。
―希さん、鎌田がいないか捜してみて。
希が書棚の通路を見て回る。だが、たった今入ったばかりの鎌田の姿がない。
「いないんだけど」
―もしかして店の奥にいるのかな。店員の控室みたいな所。
「さすがにそこまで入れないよ」
―わかってる。監視カメラ持ってきてるよね?
「うん」
そこへ、エプロンを着けた男がひとり、店の奥から出てきた。レジカウンターの席に腰掛ける。その男は希に気づき、遠くから声をかけた。
「いらっしゃい」
その男は佐野だった。以前、何者かに電話をかけていた男である。
希の部屋で駿河と幸子が、希がかけている眼鏡のカメラレンズ越しの映像を見ている。男が現れたのを目にして、駿河はスマートフォンで希に指示を出した。
「希さん、カメラズームして。男の顔はっきり見せてくれる?」
映像がズームアップし、新聞を開いている男の顔が映る。すると、幸子が指を差した。
「この人だ!四丁目で見たおじさん!」
「本当に?」
「ほんと。間違いない。私をスマホで撮ったおじさんだよ」
「じゃあ、彼もフィアーのメンバーで、ここが連中のアジトなのかな?」
駿河は映像を見ながら考え込んだ。
佐野が突っ立ったままの希をチラと見た。希は思わず目を逸らし、客のふりをして店内を適当に歩き出した。
「ねえ、これからどうすんの?」
希が指示を仰ぐ。
―なんか一冊買って。
「なんでよ?このまま出てっちゃてもいいじゃん」
―このままなにも買わずに帰ったら逆に怪しまれる。ここは客に徹して。代金ならあとで俺が返すから。
「そんなこと言われても・・。あっ!」
なにげに書棚を眺めていた希だったが、あるものに目が留まった。
―ん?どうした?
「『スペースシップ』があった」
それは、知る人ぞ知る特撮情報誌だった。希は手に取り、表紙を見ると太い声を上げた。
「ウッソ!」
―ちょっと。だからどうしたの?
「これ、私の誕生日に発売されたやつだ。ネットにもなかったのに。まさかここで発掘できるなんて」
希は値札のシールを見た。定価の倍はする八千円だった。それは、期間限定で数十冊しか発行されなかった特別号。おまけに付録付きだ。プレミアがついてもおかしくはない。しかし希は即決し、駿河に告げた。
「私、これ買うから。帰ったらお金返してよ」
―八千円もする本買うの!?
駿河のやや驚いた声が聞こえた。
「買えって言ったのは結介のほうでしょ」
希は情報誌をレジカウンターの前に差し出した。バッグから財布を取り出そうとしたところで、再び駿河の声がした。
―希さん、その人にほかの店員はいないか訊いてみて。
希は愛想笑いを浮かべ、会計を行いながら佐野に問いかけた。
「おひとりでやってらっしゃるんですか?」
「ええ。ひとりで営んでいます」
「へえ・・。大変ですね」
「そうでもありません。さほどお客さんもいらっしゃいませんし、こういう小さな店はひとりいれば十分です」
会計を済ませた希が店から出てきた。
―そこら辺にさあ、カメラ仕掛けられるとこある?
駿河に言われ、希が周囲を眺める。
「まあ、あるっちゃあるね」
―できるだけ店先が見えるように仕掛けてくれない?
「わかった」
希は早速動いた。いくつかの極力目立たない場所に、タバコのケースを寝かせた状態でそれぞれ三つずつ置いた。ケースの底面には穴が開いており、中にはタバコではなく、小型のカメラが入っている。
「やったよ」
カメラを仕掛け終えた希が言った。
―感度良好。ちゃんと映ってる。希さんはもう戻ってきていいよ。
「なんか変に疲れた」
希は肩の荷が下りたように、駐車したバイクのもとへ歩いて行った。
その頃、七節署の会議室では、コンビニ爆破事件の犯人である杉村が逮捕されたことで、捜査本部は解散の方向で話を進めている最中であった。辰巳は捜査員が座る長机の席で、腕を組みながらうたた寝している。そのとき、柏木が目の色を変えて走ってきた。辰巳に駆け寄り、肩を揺さぶる。
「辰巳さん!起きてください!」
その大きな声に、辰巳が飛び起きた。
「びっくりしたー・・。なんやねん急に」
「大変なことがわかりました」
「なにが?」
柏木が、その大変なことについて話し出す。
「以前に逮捕した男女が、例のアプリを入れていたことは説明しましたよね。さっきもう少し調べてみたら、ふたりとも逮捕されてから三日も経たないうちに亡くなっていたんです。いずれも他殺です」
「はあ?殺されたっちゅうことか?」
「はい。二件とも検察に送致する際に起きてまして。ひとりは本人の乗る車両ごと爆破され、もうひとりは移送中に襲撃に遭い、射殺されています。同行していた警官も犠牲に」
辰巳の表情が不穏になる。
「おい。杉村は今どこや?」
「それが・・、これから検察に身柄を移すところでして・・・」
ガタンと立ち上がった辰巳が声を上げる。
「アホ!もっと早く言わんかい!ヤバいやないか!」
「すみません!」
柏木が反射的に頭を下げた。
「事情説明して一旦引き上げさせな。行くぞ柏木」
「はい」
ふたりが急いで留置場へ行こうとしたとき、外からけたたましい銃声が鳴り響いた。
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