⑤
のんきなことを言う駿河に、希はトイレのドアをバタンと思いきり閉めて怒鳴りつける。
「このバカ結介!内側からなら鍵開けられるでしょ!」
「あっ・・・」
「バカ!私もバカだけど、結介はもっとバカ!早く連れ戻してきて!」
「はい!」
駿河は向かおうとしたところで一度ストップし、振り返って希に指示を与える。
「幸子さんはスマホ持ってってるはずだから、希さんは彼女のGPS追って。位置がわかったらすぐ俺に教えて」
「言われなくてもやるわよ!早く行け!」
駿河はヘッドセットを右耳に嵌めてビルの外に出た。幸子は妙な視線を感じると以前に話していた。あとになって、それがフィアーだと認識したのだろう。おそらく幸子は、自分の姿をわざと外に晒してフィアーのメンバーを誘きだそうとしている。したがって遠くには行かないはずだが、仮にタクシーやバスにでも乗られたら厄介だ。ここは車で捜そうと思ったところで、キーをテーブルに置きっぱなしにしていたことに気づいた。事務所に取りに戻れば、また希にどやされるかもしれない。駿河は仕方なく自らの足で捜そうと走り始めた。
それから数時間が経った。空はすっかり暗くなっている。駿河は辺りを見渡しながら、ネオン看板が光る歓楽街の道を歩いていた。希からの情報で、この近くにいることはわかった。しかし、場所が場所のため人が多い。果たして見つかるだろうかと思ったとき、希から連絡が来た。
―いたよ。三十メートル先。
駿河が遠くを見据えて目を凝らす。すると、女が歩いている後ろ姿が視界に入った。服装からして幸子に間違いない。早速呼びかけようと駆け出そうとした瞬間、駿河の右肩を何者かが摑み、グイッと引っ張られた。驚いた駿河が振り向くと、そこにいたのは松久組の辻野だった。後ろには若衆だろうか、ふたりの男が立っている。
「なんだよ辻野。こっちは仕事中なの。忙しいんだからほっといてくれよ」
勘弁してくれと言わんばかりに駿河は文句を垂れた。
「まだ借り返してねえだろうが」
「借りってなに?」
「お前に蹴られた借りだよ!」
駿河は自分の肩を摑む辻野の手を振り払った。
「あれはお前が油断してたせいだろ。借りとか貸しとかじゃねえよ。もういい?マジで忙しいから。じゃ」
話を締めきり、駿河は足早に歩き始めた。辻野ら三人も張り付くようについてくる。辻野は毛頭納得がいってない。
「借り返すまで帰んねえからな」
「付きまとったら通報するぞ」
「ほう、やれるもんならやってみろ。その前に半殺しにしてやる」
辻野の挑発を無視した駿河が、女に声をかける。
「幸子さん」
振り返った女は正真正銘、幸子であった。その幸子は怪訝な表情になった。いずれ駿河に発見されるであろうことは大方予測していた。だがなぜ、駿河のほかに見知らぬ強面の男が三人もいるのか。そこが疑問だったのだ。
「事務所戻るよ。ほら」
駿河が幸子の手を摑もうとしたが、幸子は手を引っ込めてそれを拒否した。
「嫌だ。奴らが出てくるまで戻らない」
「わがまま言わないでよ。俺だって、きみに振り回されんのはもうごめんなんだからさあ」
「絶対嫌だ。戻らない」
ふたりのやり取りを目にして、辻野が口を挟んだ。
「お前、仕事じゃなくてデートじゃねえかよ。どこの嬢だ。見たことねえな」
辻野が幸子の顔をまじまじと眺めた。幸子はそんな辻野を睨みつける。
「誤解すんな。嬢でもなんでもない。つーか、そもそもお前には関係ない」
弁明に徹する駿河に、幸子が問うた。
「こいつら誰?フィアーじゃないの?」
「フィアー?」
辻野が聞き返すと、駿河は幸子に告げた。
「違う違う。こいつらはただのヤクザ」
「ヤクザ・・!?生で見たの初めて」
幸子は物珍しそうに辻野を見た。言われてみれば確かに、それらしい格好をしている。
「駿河、デートか同伴か知んねえけど、俺たち放って好き勝手させねえぞ」
「だからそうじゃねえって」
「
辻野の後ろに控えていたふたりの男、山下と根岸が駿河に歩み寄ると、辻野はひとつ付け加えた。
「おい、女はなにもするなよ。連れてくのは駿河だけだ」
山下と根岸が駿河を取り押さえようとする。
「やめろって。お前らの相手してる暇ないんだからさあ」
駿河が抵抗の姿勢を示したとき、辻野は言い放つ。
「俺は女に手を上げない主義でね。これでも紳士的な男なんだよ。でもお前は別だ。袋にしてやる」
そこで、辻野は不穏な空気を感じ取った。それは駿河も同じだった。先ほどまでの喧騒がなくなっている。とても静かだ。駿河と幸子、そして辻野らは気づいていなかった。プロレスマスクを被った謎の男数人に自分たちが取り囲まれていたことに。いつからそうなっていたのかはわからない。だが、気づいたときにはそうなっていた。男たちはそれぞれ、手に金属バットや鉄パイプを握っている。襲おうとしていることは目に見えて明らかだった。
「なんだ辻野、ふたりだけじゃなかったのか?」
辻野の若衆かと思った駿河は問いかけた。だが、当の辻野は否定する。
「いや、組のモンじゃない。誰だこいつら」
そのとき、男がもうひとりやってきた。スマートフォンを取り付けた自撮り用のセルカ棒を片手に持ち、画面を自分に向けている。その男は鎌田だった。鎌田はスマートフォンの画面を駿河たちに向けて、歯切れよくしゃべり出す。
「メンバーの皆さーん。一千万の賞金首がただ今見つかりましたー。これから俺たちがボコりにボコって始末して、賞金獲得しちゃいまーす。見つけられなかったメンバーはごめんねー」
どうやら鎌田は生配信をしているらしい。その鎌田を見た幸子は、男たちがフィアーのメンバーだと確信し、前に出て声を上げた。
「あんたら、フィアーでしょ!」
鎌田は幸子にカメラレンズを合わせ、薄く笑った。
「だとしたらなんだよ?賞金首さーん」
「
「は?誰それ?」
駿河が幸子を守るべく身を引かせようとする。
「幸子さん」
しかし、幸子は駿河の手を払いのけ、鎌田を見据えたまま声を荒げた。
「とぼけんな!殺したんだろ!」
「誰のこと言ってんのかわかんねえよ」
主旨が摑めていない様子の鎌田に、そばにいた男が耳打ちした。すると、やっと理解できたかのように鎌田は口を開いた。
「ああ、忘れてた。あいつのことね。そうだよ。あの女、ウチらを警察に売ろうとした裏切りモンだったからね。下級ランクでなにもしてないくせに、「これ以上は無視できない」なんてほざきやがって。俺は犯してから殺してやろうと思ったんだけどさあ、アンノウンがそれはやめろって言うから、電車に轢かせるほうに変更したんだよ。因みに言うと、あいつの周りにいたほとんどはウチのメンバー。楽に死ねたんだからよかったじゃん」
完全に開き直っている鎌田に対し、真相を知った幸子が鋭い罵声を浴びせる。
「楽に死んだわけないでしょ!この最低の人殺し!」
駿河は怒りに震える幸子の腕を摑み、強引に自分の背後に回させた。そして、ずっと撮影されているのに業を煮やした山下が、眉間に皺を寄せて怒号を飛ばす。
「お前コラ。さっきからなに撮ってんだよ!」
山下が鎌田に歩み寄り、スマートフォンを取り外そうと手を伸ばした瞬間、男のひとりが山下の後頭部を金属バットで叩きつけた。
「山下!」
思わず辻野が叫ぶ。出血した頭を押さえて山下が倒れた。
「なにしてんだてめえ!」
怒った根岸が殴りかかろうとしたが、今度はふたりの男に顔や身体を鉄パイプで滅多打ちにされる。そこへ辻野が割って入り、男たちにボクシングで鍛えた得意のパンチで応戦し、打倒した。
ちょうど同じとき、駿河はヘッドセットで希に連絡を入れていた。
「希さん、緊急事態。悪いけど幸子さん迎えに来て」
―どうしたの?
「幸子さんは見つけられたんだけど、フィアーに囲まれた。俺ひとりじゃ守り切れるかわかんない」
―車で逃げられないの?
「車で来てない。ごめん。言い忘れてた」
―はあ!?
「ってことなんで。まだGPS生きてるよね。≪
―ったく・・。わかったわよ。
男たちがじりじりと迫るなか、通話を終えた駿河は幸子に伝えた。
「この先にラーメン屋がある。≪福龍軒≫ってとこ。でっかく赤い看板が出てるからすぐにわかる。そこの前で待ってて。速攻で希さんが来るから、幸子さんは希さんと一緒に事務所に戻って」
「でも・・・」
釈然としない様子の幸子の両肩を駿河は摑み、真剣な顔で語調を強めた。
「いいね?」
その顔を見て、ようやく状況を飲み込んだ幸子は黙ってうなずき、駆け出した。
「おい!逃げんぞ。追え追え!」
鎌田が逃げる幸子を指差す。男ふたりが追いかけようとすると、駿河はふたりの服を摑んで力づくで引き寄せた。
「させるかっつーんだよ!オラッ!」
駿河はふたりを投げ飛ばした。男たちが地面に勢いよく転がっていく。
「おっと」
辻野が転がってくる男を跳び越し、相手との間合いを取ろうと身を引いた。その背中に駿河が付く。
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