希は自分なりに幸子を気遣った。それはそうである。わざわざ友人が死亡する場面を見せる必要はない。しかし、駿河はその先を確かめたくなった。

「希さん、あとで俺には見せて」

黙って希がうなずいたとき、幸子がとんでもないことを言い出した。

「私、おとりになって奴らをおびき寄せる」

希が目を見張る。

「サッちゃん、なに言ってんの!?」

「奴らは私のこと狙ってんでしょ。だったら好都合じゃない。うまく誘導して警察に捕まえてもらうの。ひとりでも多くメンバーが捕まれば、いずれフィアーの存在が警察に知れて捜査が入る。そしたら奴らも終わりよ」

あまりにも無謀で浅はかな考えであった。ひとりの若い女が到底出来ることではない。だが、幸子は本気だった。

「ダメ。幸子さんは依頼人だよ。警察でもないきみがいくらなんでも無理。見過ごせない」

異議を申し立てた駿河は、語を継いで案を出す。

「それなら、きみを追ってる警察の人に頼んだら?こっちは一応、捜査させるほどの証拠はあるわけだし。おとなしく投降して、理由を話して、調べてもらうんだよ。そのほうが手っ取り早いでしょ」

しかし、幸子は首を振った。

「私はあいつらに捕まりたくないの。絶対。ていうか、それ以前にあいつらじゃ頼りにならない。ほんとに捜査してくれるかあやふや。きっと、駿河さんの言うことも信じちゃくれないわ。証拠があるとしてもね」

「そうかなあ」

「そうよ。私行ってくる」

幸子は意気揚々と立ち上がるが、駿河は幸子の両肩を持って再度座らせた。

「だからダメだって。警察には俺がそれとなく話しておく。幸子さんは命狙われてんだよ。さっきも危うく死ぬとこだったんだ。きみはここでおとなしくしてて。あとはこっちでやるから」

駿河の説得に、希も追随する。

「私も結介に賛成。サッちゃんはここにいて。外に出たらマジで死ぬよ」

ふたりはなんとか理解してもらおうと言葉を尽くすが、幸子の顔は不服そのものだった。


 その頃、七節署の廊下を辰巳は歩いていた。そこへ柏木が駆け寄ってきた。

「辰巳さん、杉村が所持していたスマホに妙なアプリがありまして」

「妙なアプリ?」

「ええ。いわゆる『野良アプリ』ですね。非正規にインストールしたアプリのことです。セキュリティが高かったようで、破るのに結構苦労したそうです」

「そのアプリがなんやっちゅうねん?」

辰巳の問いを受けて、柏木は説明を加えた。

「『シグナル』や『テレグラム』といった犯罪者がよく使うメッセージアプリと同様のもので、まだ詳しくはわかりませんが、どこかの組織か団体が運営しているようです。メッセージには、先日爆破された三つのコンビニや、爆破する予定だったコンビニに関する情報、いつ決行するかといった詳しい犯行日時、金額の交渉みたいなやり取りが残されていました。あと、爆破されたコンビニの写真も載せられていました。内容を見る限り、どうやら杉村が考えて実行したのではなく、何者かが考えた計画を杉村が金と引き換えにやったようです」

「何者かって、雇い主っちゅうことか?」

「雇い主・・。ちょっと微妙ですね。杉村に指示したようなメッセージはありませんでした。どちらかと言えば、杉村は相手の募集に応じただけって言ったほうが自然なんでしょうか」

形容しづらい柏木の話に、辰巳は首を傾げる。

「なんやそれ?杉村が応募したんなら、雇った人間がおるっちゅうことやろ?」

「確かにそうなんですが、会社のような組織の雇用というよりかは、サークルやコミュニティのような印象を受けたんです。自由参加というか。あくまで個人的に思ったことなんですけど」

「お前の説明じゃようわからん。俺にもそのアプリ見せ」

「は、はい。案内します。こちらです」

柏木が反対方向を指した。

「そっちかい」

ふたりが踵を返す。すると、柏木は話を付け足した。

「実はそのアプリ、以前にも二件の事件で見つかってるんです。しかも、同じ七節区管内で。ひとりは男で、もうひとりは女。いずれも殺人容疑で逮捕されて、所持していたスマホに同じアプリが入っていました。内容も同じで、金と引き換えに犯行を請け負っていました。取り調べの際に問い詰めたんですが、ふたりとも一切しゃべろうとせず、こちらでアプリの解析を行おうとしたところで、いつの間にかアプリ自体が削除されていたんです」

「おい。じゃあ、俺が行ったらもう削除されてるかもしれんやないか!」

「まだ大丈夫だと思います。アプリが削除されていたのは、マスコミに逮捕を公表したあとでした。技術的なことはわかりませんが、おそらく運営側がそれを知ってから、なにかしらの遠隔操作で削除していたのではないかと。まだ公表まで三十分あります」

柏木はふと気づき、上着から三つ折りにした用紙を一枚取り出した。

「それと辰巳さん、杉村はもうひとつ仕事を受けていたようです。メッセージのやり取りの中に、この女性を殺害できるかといった文章がありました。四丁目の爆破騒ぎとなにか関係がるかもしれません」

辰巳はその用紙を受け取って開いた。そこには写真画像がプリントされていた。幸子の姿を写したものだった。

「誰や?この女?」

しかし、辰巳には全く見覚えがなかった。まさか、杉村が逮捕された現場で幸子とニアミスしていたこととは露知らず。


 駿河と希、そして幸子の三人は希の部屋にいた。駿河はノートパソコンで動画を見ている。音は出さずに映像だけだ。先ほど、希が幸子に見せなかった動画だった。

「幸子さんの言うとおりだったか・・・」

静かに駿河は呟いた。女を突き飛ばす数本の黒い手が確かに見える。その後の映像には、女の惨憺さんたんたる遺体が映り込んでいた。これは疑いもなくフィアーの犯行だろう。女が死亡する前から終始撮影し、動画を自分たちのサイトに上げていたのだから。その隣で、希は大型モニターを見ながらキーボードを打っていた。フィアーのリーダーであるアンノウンの正体を暴こうと調べているのだ。ふたりとは離れた場所には、幸子が椅子に腰掛けてスマートフォンをいじっている。行動を制限された幸子はどこか不満そうだ。駿河と希に目を遣る。特に見張られてはいない。ふたりとも、それぞれ画面に視線を向けている。幸子はスマートフォンを上着にしまい、そっと席を立つと、部屋のドアノブに手をかけた。だが、それに気づいた駿河が声をかける。

「どこ行くの?」

「トイレ」

「そう。手短にね」

「わかった」

幸子は部屋を出てドアを閉めた。とりわけ軟禁するつもりはさらさらないが、幸子はフィアーの標的にされている身だ。一応は訊いておく必要がある。あれだけ説き伏せたのだから、本人も危険な立場と自覚して勝手な行動は取らないだろうと思っていたが、駿河らは幸子を甘く見ていた。ふたりの言葉で降参する幸子ではない。駿河と希はそのことを痛感することになる。


 同じ頃、七節署の鑑識課には、透明の証拠品袋に入れられた杉村の所持品が、いくつか机の上に置かれている。そのうちのひとつであるスマートフォンに表示されたアプリの英字タイトルを、辰巳は腕を組みながら見つめていた。

「これ、『フィアー』っちゅうんか?」

「はい。そうです」

そばにいた柏木が答えた。

「恐怖とかって意味やろ。んー・・。アプリの名前って感じには見えんなあ。運営元の名前かもしれん」

「僕もそう思って、同名の組織や団体がいないか探ってもらっています。前の事件のときも調べたそうなんですが、それらしいのは見当たらなかったようなので、無駄足かとは考えたんですが、一応でもやっておいたほうがいいかなと」

「そうか。少なくとも俺は知らん。初めて聞く名や。で、中身はどんなんかなっと」

辰巳は袋越しに画面をタップして、そのアプリを開いた。


 幸子は事務所をこっそりと抜け出し、外に出た。気配がして振り向くと、加藤と篠塚が歩いて近づいてくる。

「来ないで!来たらふたりともクビにしてやる!ついて来ないで!」

叫んだ幸子に、加藤と篠塚の足が止まる。幸子は駆け出してビルの角を曲がり、姿を消した。

「どうする?」

篠塚が加藤に訊いた。

「追うに決まってるだろ。それが仕事だ」

ふたりは急いで車に乗り込んだ。


 時を同じくして、なにやら外で大声が聞こえるのを耳にした駿河が窓を見た。

「なんか騒がしいな」

希はキーボード操作の手を止め、駿河に視線を向ける。

「ねえ、サッちゃんちょっと遅くない?」

その言葉でハッと気づいた駿河は、慌てた様子でトイレに向かい、ドアをノックした。

「幸子さん?いる?幸子さん?」

応答が全くない。そこへ希がやってくる。

「いないの?」

「わかんない。いないの・・、かも」

「私が見る。結介は後ろ向いてて」

駿河はそのとおりにした。希はドアノブに手をかけると、開いているのがわかった。

「サッちゃん。入るよ」

希はひと声かけてドアを開けた。その直後、駿河に伝える。

「結介、サッちゃんいない」

駿河も中を見る。確かに誰もいない。

「事務所出てっちゃったのかな。玄関には鍵かけたのに」

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