駿河と幸子がモニターに歩み寄る。黒い背景の前に、骨格模型のような骸骨の上体が映し出され、それが七色に輝いていた。どうやらトップページのようだ。『フィアー』の英字といくつかのアイコンが表示されている。

「これさ、アクセスしたの向こうにバレてない?」

画面を見ながら、駿河が希に訊いた。

「私がそんな凡ミスしないわよ。ちゃんと『串』刺しといた」

駿河はネットスラングに詳しくないが、こちらの身元は隠せているようだ。

「そうだね。で、分析できそう?」

「やってみる。なにが知りたいの?」

「メンバー同士がチャットするページがあるみたいだから、そこに幸子さんの情報が記載されていないか。まずはそこからお願い。本当にこいつらが狙ってるんだとしたら、さすがに名前まではわからないだろうけど、服装とか特徴なんかが書き込まれてるかもしれない」

椅子に背を預け、腕を組んだ希は答えた。

「了解。結介はどうすんの?」

「俺は四丁目に行ってみる。幸子さんが例のふたり組を見た場所。フィアーは七節区を拠点にしてるみたいだからね。話してたのがメンバーだとしたら、近くにアジトみたいな所があると思う。確率は低いけど」

「そう。じゃあ、いってらっしゃい。なんかわかったら連絡するね」

「頼んだ」


 駿河と幸子は四丁目へ向かっていた。その車中、駿河がルームミラーを見ると、黒い車がずっと尾行している。先ほど窓から外を見た際、事務所前に停まっていた車だった。

けられてるな」

「えっ?」

助手席から幸子が振り向き、後ろに目を遣る。

「もしかしてフィアーか?」

駿河が警戒して言うと、幸子は否定した。

「違う」

幸子には見覚えのある車だった。

「なに?知ってんの?」

「さっき言った警察の車」

そこで駿河に疑問が生じた。事務所の前に車を停めて見ていたのなら、自分と幸子が車に乗り込むところも見ているはず。なのに、その時点でなにもせずに尾行をしているのはなぜなのか。

「なんで止めようとしないんだ?なんで尾けてる?」

「わかんないけど、私のこと監視しているのかもしんない」

「監視って、どういう意味?」

「それがあいつらの仕事だからよ」

主旨が摑めない駿河は、ふと思い至った。

「まさか、泳がせ捜査ってやつしてんのか?やっぱりきみ、なんかやらかしたの?」

「なんにもしてないって言ったじゃん!」

「だったら尾行なんてしないだろ」

「いいからいて!捕まったらややこしくなる。探偵なら抜け道とか知ってんでしょ!」

幸子は切羽詰まったかのような様子だ。まだ隠し事がありそうで謎は深まるが、確かにこのままでは調査に支障をきたす恐れがある。もし自分も捕まれば元も子もない。ここは幸子の言うとおりにしておこう。駿河はアクセルを踏んでスピードを上げ、尾行を振り切ろうとハンドルを切った。赤信号になる寸前で通り抜け、道路を曲がった。黒塗りの車は急ブレーキを踏む。乗っていた加藤と篠塚は、さも悔しそうな顔つきになった。


 なんとか尾行を撒き、四丁目のこれということもない歩道の路肩に車を停めて、駿河と幸子は降りた。幸子が怪しいふたりを目撃した場所まで案内する。そこは室外機や水道管、段ボールやビールケースが乱雑した狭い路地裏だった。

「ここに、そのふたりがいたの?」

駿河が訊いた。

「うん。私はそこにいて、タクシーが来るのを待ってた」

路地裏を出たところに準備中の居酒屋がある。幸子はそこを指して続けた。

「あとは昨日言ったとおり。後ろで話し声がして、覗いてみたら、ふたりがいた」

「なるほど。ここだと幸子さんは店先に隠れる形になるから、向こうは気づかなったんだ」

奥にはなにがあるのだろうか。駿河は路地裏の先へと進んだ。幸子もついて行く。だが、行き止まりになっており、特段不審な点も見当たらなかった。そのふたりは、ただ単に話をしていただけのようだ。駿河は路地裏を往復したあと、外に出て周辺を見回す。街頭カメラは設置されていない。顔さえわかれば追うことが可能なのだが、それはできそうになかった。


 七節町の歴史は浅い。二〇〇〇年代に差し掛かるころ、東京都は『百年に一度の大規模都市整備』と銘打ち、新宿区、千代田区、文京区、台東区、墨田区のいくつかの地域を分断、統合させ、二十四番目の区、七節区が誕生した。その区の中心に当たるのが七節町だ。ここは『町』といっても、それこそ『都市』に匹敵するほどの広さを誇っている。そのため、建物も無数にある。駿河は自身の仕事で見聞きした場所の中で、疑わしい場所を選定し、そこからひとつずつ当たってみようと考えた。途方もない時間がかかるだろう。だが、情報が乏しい今はそれしか方法がない。


 そんなとき、駿河のスマートフォンが振動した。相手は希だった。

「なにかわかった?」

―いろいろとね。このサイト、アングラ感満載だったよ。ページ開くにもいちいちパスワード必要でさあ、すっごいめんどくさかった。でも、私にかかれば楽勝って感じ。

さすがは希である。駿河はいつものことながらも舌を巻いた。

―単刀直入に重要ポイントから言うね。サッちゃん、フィアーにターゲットにされてるよ。調べたら、プランページとかいうのにサッちゃんの写真があった。昨日、スマホで撮られたって言ってたでしょ。それだと思う。情報がいくつか書き込まれてて、名前はわかってないみたいだけど、フィアーは彼女を殺そうとしてる。一千万の懸賞金までかけてたから、よっぽどそいつらにとって都合の悪い存在なのかも。なんか、アンノウンって奴が段取りつけて、メンバーを仕向けてるみたい。ねえ、アンノウンって誰?

「誰かはわからない。徳丸が言うには連中のリーダーで、なにかしら犯罪の案を立ててメンバーを集めてから、報酬と引き換えに実行させてるらしい」

―その報酬に惹かれたのかな。もう参加者も出てる。こいつら、相当イカれてるよ。まるでゲーム感覚。さっきチャットページ見たんだけど、何人怪我させたとか、殺したとか自慢しあってるの。結介やっぱさあ、サッちゃん同行させたのマズかったんじゃない?一度事務所に戻ってきたら?

「狙われてんのがはっきりしたからね。俺もそうしたいんだけど、幸子さんのことだから、俺らの目を盗んで勝手に動くかもしれない。もうちょっと様子見させて。事務所ではあんなこと言ったけど、一応守んなきゃだから」

幸子は警察に通報されることを極端に拒んでいる。そんな状況では、それこそ駿河が警護するほかない。幸子自身が考えを変えるまでは。

―結介、絶対死なせたりしないでよね。

希は心配でならない。なにせ相手は、犯罪を楽しんでいる謎のグループ。いつ襲われてもおかしくはない。

「オーバーだな。わかってるって」

駿河は屈託のない返事をしたが、心の内は真剣だった。依頼人が目の前で殺されるなんてことは、探偵として失格であり、人として大きな過ちだ。断じてあってはならない。

「ほかにわかったことは?」

そう問うた駿河に、希は報告した。

―メンバーはひとりひとりランク分けされてた。サイトのページだと、犯罪のレベルが高ければ高いほど、本人のランクが上がるって感じの制度があるみたいで、メンバー同士が競い合ってる。多分、上位の奴らは相当なことやってるんじゃないかな。

「殺人とか放火とか、そういうの?」

―じゃなきゃ、上位にランクインされないでしょ。

「確かに」

先ほど希の言ったとおり、このグループは各々ゲーム感覚で犯行に及んでいるようだ。駿河は語を継いで訊く。

「それで希さん、その参加者ってのが誰なのか、少しでも調べられない?誰かわかれば、こちも用心できるでしょ」

―名前ならわかってる。今んとこ参加者の欄には、カタカナで「スギムラ」、「カマタ」、「スエノブ」って名前の三人が登録されてる。全員上位ランクの奴らだよ。

「そいつらの顔って調べられないかな?」

―どうだろう?普通は顔なんて載せないし。でも参加したってことは、七節町に住んでる奴かもしれない。この街の地理に詳しいからできると思ったのかも。ちょっと時間ちょうだい。特定できるかやってみる。

駿河が電話をしている背中を退屈そうに見ていた幸子に向かって、フードを深く被ったパーカー姿の男が歩み寄ってきた。リュックを背負い、両手にはウサギを模したキャラクターの小さなぬいぐるみを持っている。そして、幸子の目の前まで来ると、そのぬいぐるみを押し当てるように渡して言った。

「これ、あげます」

幸子は思わずそれを受け取ってしまう。駿河が気づいて振り向くと、男が立ち去っていく。幸子が持っているぬいぐるみを見て、駿河が男に声をかける。

「ちょっときみ!これなに?」

立ち止まった男が振り返る。黒縁眼鏡をかけた二十代前後の男だった。その男は、黄ばんだ歯をこぼして不気味な笑みを浮かべる。

「駿河さん、なんか音が鳴ってるんだけど」

幸子がぬいぐるみを前に掲げた。ピッピッと電子音が断続的に鳴っている。その音のスピードが次第に速くなっていく。すると、男は両耳を塞いでしゃがみ込んだ。駿河の顔がこわばる。

「まさか・・・」

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