②
由樹は届けを出したと言っていた。しかし、実際は出してはいない。なぜ嘘をついたのか。そして、幸子を連れ去ろうとした男ふたりとも状況的に関係がありそうだ。考えている駿河の前にスーツ姿のふたりの男がやってきた。そのうちのひとりは見知った顔だった。
「誰かと思えば、駿河探偵やないですかー」
ソフトリーゼントに整えた黒い髪に面長の顔、ネクタイを緩めて締めているその男は、ただでさえ細い目をさらに細めて歩み寄って来る。
どこか仰々しい関西弁の男は
まさかこんなところで会うなんて。駿河は苦虫をかみつぶしたような表情になった。
「どうも」
駿河はしぶしぶ挨拶した。
「お前、ここでなにやっとんねん?犬か猫でも捜しとんのか?」
辰巳がバカにするような冗談を吐く。
「そんなんで警察来ませんよ」
駿河はさらりと受け流し、辰巳に問いかける。
「そっちこそ、本庁の辰巳さんがなんでいるんです?」
「お前に関係あるか。こっちは忙しいんじゃ」
「辰巳さんから話しかけてきたんじゃないですか」
「うっさいわボケ」
相変わらず口が悪い。駿河はそう思うと同時に、ふと気づいた。
「もしかしてあれですか?コンビニの爆破事件」
辰巳が黙った。図星のようだ。駿河の推測が的中すると、いつも二の句が継げなくなる。
「あー、やっぱりそうなんですね」
駿河は辰巳の表情を読んで言葉を発した。
それは数日前のちょうど昼時、七節町内のコンビニ数店舗が同時多発的に爆弾によって爆破されたのだ。爆発規模は店舗が半壊するほどに大きく、現場は甚大な被害を及ぼし、死傷者も出た。爆弾は時限式で、防犯カメラにはATMの脇にリュックを置く不審者が映っており、男性であることは判明できたのだが、フードを被った状態で下を向いていたため、顔まではわからず、その後の足取りが摑めないまま捜査を進めている状況にあった。
バツが悪くなったのだろうか、辰巳が声を荒げる。
「だったらなんやねん!これは警察の仕事や。お前は口出すなよ」
「出しませんよ。こっちだってそれなりに忙しいですから」
駿河が平然と返すと、辰巳の後ろにいた同じ捜査一課の後輩、
「辰巳さん、そろそろ会議始まりますよ」
「わかっとるわ!チッ、行くぞ」
舌打ちした辰巳は、わざと駿河の肩に身体をぶつけ、柏木を連れてずかずかと立ち去っていった。辰巳と会うのはこれきりにしたい。駿河はつくづくそう思うのだった。
その頃、希は幸子と共に朝食を
「これっておごり?それとも割り勘?」
サンドイッチを手に取り、幸子が希に訊いた。
「おごりでいいよ。年下に割り勘させるほど私ちっちゃくないし」
カフェオレが入ったカップを持ち、希が雑に返すと、やったとばかりに幸子は追加の注文をした。
「すいませーん。ナポリタンひとつ」
「まだ食べんの?」
「だって、ちゃんとした食事久しぶりなんだもん」
「なら家出なんてしなきゃいいのに」
そこへ中年の男がやってきた。チェックシャツの上にニットベストを身に着けたエプロン姿のその男、マスターの山田である。
「ウチね、カレーがおすすめなんですよ。じっくり煮込んでとろみを出して・・・」
山田の懇切丁寧な説明を幸子はさえぎった。
「カレーはいいんで。ナポリタンお願いします」
「はい・・・」
やや落ち込んだ様子の山田は奥へと入っていった。よほどカレーには自信があったらしい。
「でさ、昨日も訊いたけど、あんた何者なの?どっかの令嬢?」
希が問い詰めようとした。だが、幸子は焦点をぼかす。
「私が誰だって、そんなのべつにいいじゃん」
「よくない。あんたがどこの誰だか知らないと、こっちが困るって言ったでしょ。それにあんたの話、結介は信じてるみたいだけど、私は嘘だと思ってるから。結介もさっさと警察に突きだしゃいいのに。マジわかんない」
「それよりさ」
「それよりって・・・」
幸子が話題を変じる。
「希さんの部屋、すごいね。なんか指令室みたい」
「だから?」
「いや、そう思っただけで。ただの感想」
「あっそ」
幸子は自分のことを訊かれるのが嫌なのか、希についての話を繋ごうとする。
「希さんって特撮系っていうか、ヒーロー系好きなの?」
「いきなりなに?」
「フィギュアとか雑誌とかあったから」
希は包み隠さずに堂々と明かす。
「好きだけど。もしかして触ってないよね?」
幸子は両手を振った。
「触ってないって。見ただけ」
「どうせイタい女とか思ってんでしょ。いい年して特撮ヒーロー好きだなんて」
希が自虐的に言うと、幸子はそれを否定した。
「いや、べつに思ってないよ。いいじゃん特撮女子。私だって興味あるし」
その言葉に、希が身を乗り出して食いついた。
「例えば?」
「去年やってたシンクロッサーは面白かったから見てた。希さんの部屋にもフィギュア置いてあったよね?」
「うん。『
「そう。それ」
幸子はうなずき続けた。
「さすがにフィギュアは持ってないけど、あれは印象に残ってる。弟が乗るバイクを兄貴がおみこしみたいに担いで光線撃つやつ」
「ストレイザーカノン!」
希が人差し指で幸子を指した。
「そうだっけ?ちょっと名前までは忘れちゃった。でも、あの必殺技は奇抜だったかなあ。だって、全然重そうにしてないんだもん」
「アクロススーツは六トンまでの重量を持ち上げられる機能があるって設定だからよ」
「なにそれ?」
「シンクロッサーの強化服のこと。あれはね、制作側もいろいろ試行錯誤してたみたい」
「へえ・・・」
幸子の思惑は功を奏したようだ。希は本来の疑問を忘れ、特撮に関する造詣の深さを語っている。そこへ、山田が食事を持って現れた。
「お待たせしました。ナポリタンです」
駿河は怪しげな路地を歩いていた。エスニック系の店が建ち並び、異国情緒が漂うその路地の一角に占いの館がある。駿河はそこを訪れ、いくつかある占い店舗の中の一軒に入った。手相占いの店だった。薄暗い部屋にひとりの男が座っている。長髪をオールバックにしてひとつに束ね、オレンジ色のライトカラ―のサングラスをかけた四角張った顔。両耳には派手なピアスを付けている。プリントTシャツの上に作務衣を羽織り、おおよそ占い師には見えない。
「どうぞ」
駿河を見た男は小さなテーブルを挟んだ向かいの席に手を差し伸べて勧めた。
「今日はどちらですか?」
男が駿河に訊く。
「情報のほう。ごめんね。本業のほうじゃなくて」
「構いませんよ。お金になれば」
その男は
新渡戸がサングラスを押し上げて問いかける。
「で、知りたいのはなんでしょう?」
「ヤクザの中で、女性を追いかけてるって連中ってのはいない?」
「いやあ、私の知る限り、そういった暴力団はいませんねえ。少なくとも、七節町にいる暴力団にはいません。その女性の方は一般人ですか?それとも、組の関係者かなにかでしょうか?」
首を傾げた駿河は答えた。
「まだちょっとわかんないんだけど、多分一般人だと思う」
「暴対法が年々厳しくなっていますからねえ。追いかけるとなると、よほど組織にとって悪影響になることでなければ、そんな真似はしないでしょう」
「じゃあ、そういうヤクザがいないのは確かってことでいいのか?」
「はい。彼らも衰退の一途をたどってますからね」
「わかった。それともうひとつ。「テミス」と「フィアー」って言葉になにか心当たりはない?」
駿河が訊くと、新渡戸は指で
「テミスはギリシャ神話に出てくる女神の名前ですねえ。七節町で言うならば、二丁目のパン屋さんと六丁目のカフェが同じ店名です。んー・・・、テミスだけでは情報量が少ないですねえ・・・」
「じゃあ、フィアーでは?」
「それならば、心当たりがあります」
「なに?」
新渡戸が声を抑えて言う。
「Forcing Enjoyment Abnormality Relationship」
そして語を継ぎ、話し出す。
「頭文字をとって『フィアー』と言います。七節区を中心に活動している犯罪グループです。連中は変わったグループで、暴力団のような従来の縦組織ではないんですよ」
「どういうこと?」
「誰かに命令されて動くのではなく、やりたい者同士が集まって犯罪を行うといったシステムなんです」
「ってことは、リーダーみたいなのはいないの?」
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