⑤
駿河がスマートフォンを上着にしまうと、ふと思い出す。
「あっ・・・」
幸子の名字が林かどうか訊くのをつい忘れてしまった。そんなとき、隣の席に男が座り込んできた。弓永だった。
「よう、結介」
「修二お前!?帰ったんじゃなかったのかよ!?」
小さく声を上げた駿河に、弓永が言った。
「ここクラブだぞ。とことん楽しまなきゃ損だろう」
弓永は酒を注文すると、スマートフォンを操作している幸子を見た。
「結介の調査対象って、彼女?」
「あんま見るな。気づかれる」
駿河が注意を促すと、弓永は幸子から目線を逸らした。
「素行調査ってやつか?」
弓永が駿河に訊く。
「いや、そうじゃないけど、依頼があって」
「見た感じ、まだ十代かそこらだよな?」
「十九だ」
「十九であんな強い酒飲んでんのか!?」
やや驚いている弓永に、駿河が問うた。
「そんなに強いの?」
「ありゃ『ゴッドファーザー』つって、度数強いんだよ。十代でよく飲めるな」
「なに感心してんだよ。この店、未成年に酒出してんだぞ。問題だろうが」
「わかってるけどさあ・・、あの子、いける口だよなあ」
「ったく・・・」
駿河が呆れていると、弓永が話題を変えて問いかける。
「なあ、この際だから連絡先交換しない?」
「え?ああ、べつにいいけど」
そのとき、スーツを着た男ふたりがやってきた。
「駿河さんですね?」
先ほど車から降りてきた男たちだったが、駿河は自分が尾行されていたことを知らない。そのため、由樹の親戚だと思った。
「あっ、林さんのご親戚の方?」
「はい。由樹さんはどちらでしょう?」
「あちらにいます」
駿河は幸子を手のひらで指した。そのやり取りを、弓永は怪訝な顔つきで見ている。男のひとりが上着から封筒を取り出し、カウンターの上に置いた。
「報酬です。林さんから言付かりました」
「それはどうも」
男たちが幸子のもとへと向かう。弓永が駿河に耳打ちするかのように言った。
「あれ、ほんとに親戚か?」
それを片耳に、駿河は中身を確認した。現金の束が入っている。
「なんで?」
封筒を上着にしまいながら駿河が訊いた。
「ふたりとも怖い顔してる。親戚に見えない」
「見た目で判断するなよ」
「でもなあ・・・」
男ふたりが幸子を挟むように立ち止まった。その男たちを見た幸子は、急に動揺し始めた。家出していたのを見つかってしまったのだから無理もない。男たちが幸子になにやら話している。家に帰るように説得しているのだろうか。その直後、男ふたりは幸子の腕を摑み、強引に連れて行こうとした。幸子が必死に抵抗する。その光景は、まるで拉致でもするかのようだった。さすがに様子がおかしいと察知した駿河に、弓永が席を立って言った。
「やっぱあいつら親戚じゃねえよ」
駿河もそう感じ、ふたりは三人のもとに駆け寄った。すると、幸子がもがきながら叫んだ。
「助けて!こいつらヤクザ!」
「ん?ヤクザ?」
つい駿河が聞き返す。
「ほら見ろ」
弓永は語を継ぎ、男たちを威嚇する。
「おい!嫌がってんだろ。彼女放せよ」
「こちらのことです。あなたには関係ない」
「ヤクザが偉ぶってんじゃねえよ!」
大声を出した弓永は、男の顔面にストレートパンチを食らわせた。そして、幸子を引き剥がし、もうひとりに押し蹴りした。一瞬でその場が騒然となる。
「結介、彼女逃がせ!」
弓永が幸子を駿河に引き渡す。
「お前どうすんだよ?」
「暴れるだけ暴れたら逃げるよ。早く行け!」
なにがどうなっているのか。わけがわからないが、ここは一度退散したほうが良さそうだ。駿河は幸子の手を握った。
「外に出よう。こっち」
「待って!荷物取りに行かなきゃ」
「荷物ってどこ?」
「向こうのロッカー」
幸子が奥を指差す。
「あーっもう!じゃあ、まずはそっち!」
弓永が男ふたりと格闘しているのを後目に、駿河と幸子は店内に設置されたコインロッカーへ向かった。
駿河がキャリーケースとリュックを持ち、幸子がキャップ帽とスタジャンを抱えて店外に走り出る。車のもとまで来ると、駿河は後部座席に荷物を放った。
「隣乗って」
そう言って駿河は運転席に乗り込む。幸子は助手席のドアを開けた。
弓永が男ふたりを打ち倒した。しゃがんだ弓永は、横たわる男のひとりの胸ぐらを摑んだ。
「ヤクザって、お前らどこの組だ?」
しかし、男の意識は飛んでいた。このことを駿河に伝えたいが、連絡先を聞きそびれてしまった。じきに警察が来るだろう。舌打ちした弓永はクラブを後にした。
駿河の車が走り出すと、ことの一部始終を聞いていた希が、ヘッドセット越しに呼びかけてきた。
―ねえ、またなんかあったの?
「俺もよくわかんない。一旦そっちに戻る。話はそのあとで」
夜間の公道を走る車中、駿河はルームミラーを見た。追手は来ていないようだ。そして、幸子に問いかける。
「ヤクザとか言ってたけど、それって武侠連合の連中?」
「えっ・・?それは・・、わかんない。でもヤクザはヤクザ」
「なんでそのヤクザが、きみを連れ去ろうとしたの?」
「わかんないですよ!」
幸子は苛立っている様子だ。これでは話が先に進まない。駿河は別の話題を振った。
「お母さん、心配してたよ」
「お母さんって・・、あんた誰?」
「駿河です。探偵やってます」
「探偵?」
「きみを捜してほしいって、お母さんから依頼があったの」
幸子には合点がいかなかった。
「あり得ない。お母さんが探偵に頼むなんて」
「林由樹さん。きみのお母さんでしょ?」
そこで幸子は気づいた。
「そういうこと・・。だから、あいつらが・・・」
幸子は呟くと、駿河に言った。
「その人はお母さんじゃない。ただの他人。それに私は林でもない」
「え?え?違うの!?だってきみの写真持ってたよ。きみのこともよく知ってたし」
「そりゃ知ってるわよ。私の世話してたんだから」
駿河は混乱してきた。
「ちょっ、ちょっと待って。説明して。きみは幸子さんで間違いないんだよね?」
「そうよ」
「林さんが母親じゃないってのは?世話してたってどういう意味?」
「今は話したくない。話したら、あんた絶対警察呼ぶから」
「はあ?」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。単なる人捜しだと思っていたのに、状況に変化をもたらしつつある。これからどうすべきか、駿河は困惑していた。
探偵事務所のソファには、駿河と希、ふたりの正面には幸子が腰掛けていた。
「なんで話してくんないの?こっちだって頭ん中ごちゃごちゃしてんだから」
駿河から事情を聞いた希が幸子を問い詰めるが、当の幸子は口をつぐんだままだ。なにかを隠しているのは明白だが、それなんなのかわからない。駿河は幸子に質問をしながら話を整理する。
「確認なんだけど、きみは幸子さんでいいんだよね?」
「だからそうだって言ったでしょ」
「でも、名字は林じゃない。じゃあ、本当の名字は?」
しばらく黙った幸子が口を開いた。
「サトウ・・・」
「本当に?」
怪しんだ駿河がひと言訊ねると、幸子が声を上げた。
「サトウだって言ったじゃない!」
興奮気味の幸子を、駿河は落ち着かせようとする。
「わかった。サトウね。わかった。だったら、もう一度訊くけど、林由樹さんが母親じゃなくて、きみの世話をしてたって言ってたよね。あれはどういう意味?」
「お手伝いさんみたいなもの。住み込みでいろいろ家事とかやってくれてる人のひとり」
ほかにもいるといった口ぶりだ。ならば、どこかのお嬢様なのだろうか。そう思った希が訊く。
「あんた、もしかして金持ち?」
幸子は首を傾げて言った。
「お金持ちかどうかは微妙だけど、生活には困ってないかな」
その曖昧な答え方に、謎が余計に深まった。駿河は質問を続ける。
「じゃあ次、きみは家出したんだよね?それは確か?」
「そう。親が遊ばせてくれなくて。だから勝手に遊びに行ってんの」
「親御さんはいるのか。なら、なんで林さんが母親のふりをしてたんだ?理由でもあるの?」
「あるわよ。あの人はこういう街に絶対に行かないから。それで林さんに代理で行ってもらったのよ」
幸子の意味深な言葉に、駿河が問うた。
「親御さんってどういう人なんだ?」
「話したくないし、知らないほうがいい。それ知ったら、あんたらすぐにでも警察呼ぶから」
「でも話してくんないとなあ・・・」
「嫌だ」
まるで子どものように、幸子は断固拒否した。これでは埒(らち)が明かない。仕方なく、もうひとつ気になることを駿河は訊いた。
「ところで、クラブに来たふたりは本当にヤクザなの?」
「そう。ヤクザ」
幸子がうなずいて即答した。
「なんかやったの?闇金とか、恨み買うようなこととか」
「べつになにもしてない」
「なにもしてないなら、なんできみを連れ出そうとした?」
「さあね」
素っ気ない返事の幸子を見て、駿河はなにか訳ありだなと察した。そのとき、これまでのやり取りを聞いていた希が幸子に問うた。
「あんたさあ、いったい何者なの?なに訊いてもあやふやなことしか言わないし。ちゃんと説明してくんないとこっちが困るのよ」
「誰だっていいでしょ。」
希が顔を顰める。
「なにそれ?ナメてんの?」
年下の同性に見くびられたと感じたのかもしれない。駿河は怒った様子の希を片手で制した。
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