駿河がスマートフォンを上着にしまうと、ふと思い出す。

「あっ・・・」

幸子の名字が林かどうか訊くのをつい忘れてしまった。そんなとき、隣の席に男が座り込んできた。弓永だった。

「よう、結介」

「修二お前!?帰ったんじゃなかったのかよ!?」

小さく声を上げた駿河に、弓永が言った。

「ここクラブだぞ。とことん楽しまなきゃ損だろう」

弓永は酒を注文すると、スマートフォンを操作している幸子を見た。

「結介の調査対象って、彼女?」

「あんま見るな。気づかれる」

駿河が注意を促すと、弓永は幸子から目線を逸らした。

「素行調査ってやつか?」

弓永が駿河に訊く。

「いや、そうじゃないけど、依頼があって」

「見た感じ、まだ十代かそこらだよな?」

「十九だ」

「十九であんな強い酒飲んでんのか!?」

やや驚いている弓永に、駿河が問うた。

「そんなに強いの?」

「ありゃ『ゴッドファーザー』つって、度数強いんだよ。十代でよく飲めるな」

「なに感心してんだよ。この店、未成年に酒出してんだぞ。問題だろうが」

「わかってるけどさあ・・、あの子、いける口だよなあ」

「ったく・・・」

駿河が呆れていると、弓永が話題を変えて問いかける。

「なあ、この際だから連絡先交換しない?」

「え?ああ、べつにいいけど」

そのとき、スーツを着た男ふたりがやってきた。

「駿河さんですね?」

先ほど車から降りてきた男たちだったが、駿河は自分が尾行されていたことを知らない。そのため、由樹の親戚だと思った。

「あっ、林さんのご親戚の方?」

「はい。由樹さんはどちらでしょう?」

「あちらにいます」

駿河は幸子を手のひらで指した。そのやり取りを、弓永は怪訝な顔つきで見ている。男のひとりが上着から封筒を取り出し、カウンターの上に置いた。

「報酬です。林さんから言付かりました」

「それはどうも」

男たちが幸子のもとへと向かう。弓永が駿河に耳打ちするかのように言った。

「あれ、ほんとに親戚か?」

それを片耳に、駿河は中身を確認した。現金の束が入っている。

「なんで?」

封筒を上着にしまいながら駿河が訊いた。

「ふたりとも怖い顔してる。親戚に見えない」

「見た目で判断するなよ」

「でもなあ・・・」


 男ふたりが幸子を挟むように立ち止まった。その男たちを見た幸子は、急に動揺し始めた。家出していたのを見つかってしまったのだから無理もない。男たちが幸子になにやら話している。家に帰るように説得しているのだろうか。その直後、男ふたりは幸子の腕を摑み、強引に連れて行こうとした。幸子が必死に抵抗する。その光景は、まるで拉致でもするかのようだった。さすがに様子がおかしいと察知した駿河に、弓永が席を立って言った。

「やっぱあいつら親戚じゃねえよ」

駿河もそう感じ、ふたりは三人のもとに駆け寄った。すると、幸子がもがきながら叫んだ。

「助けて!こいつらヤクザ!」

「ん?ヤクザ?」

つい駿河が聞き返す。

「ほら見ろ」

弓永は語を継ぎ、男たちを威嚇する。

「おい!嫌がってんだろ。彼女放せよ」

「こちらのことです。あなたには関係ない」

「ヤクザが偉ぶってんじゃねえよ!」

大声を出した弓永は、男の顔面にストレートパンチを食らわせた。そして、幸子を引き剥がし、もうひとりに押し蹴りした。一瞬でその場が騒然となる。

「結介、彼女逃がせ!」

弓永が幸子を駿河に引き渡す。

「お前どうすんだよ?」

「暴れるだけ暴れたら逃げるよ。早く行け!」

なにがどうなっているのか。わけがわからないが、ここは一度退散したほうが良さそうだ。駿河は幸子の手を握った。

「外に出よう。こっち」

「待って!荷物取りに行かなきゃ」

「荷物ってどこ?」

「向こうのロッカー」

幸子が奥を指差す。

「あーっもう!じゃあ、まずはそっち!」

弓永が男ふたりと格闘しているのを後目に、駿河と幸子は店内に設置されたコインロッカーへ向かった。


 駿河がキャリーケースとリュックを持ち、幸子がキャップ帽とスタジャンを抱えて店外に走り出る。車のもとまで来ると、駿河は後部座席に荷物を放った。

「隣乗って」

そう言って駿河は運転席に乗り込む。幸子は助手席のドアを開けた。


 弓永が男ふたりを打ち倒した。しゃがんだ弓永は、横たわる男のひとりの胸ぐらを摑んだ。

「ヤクザって、お前らどこの組だ?」

しかし、男の意識は飛んでいた。このことを駿河に伝えたいが、連絡先を聞きそびれてしまった。じきに警察が来るだろう。舌打ちした弓永はクラブを後にした。


 駿河の車が走り出すと、ことの一部始終を聞いていた希が、ヘッドセット越しに呼びかけてきた。

―ねえ、またなんかあったの?

「俺もよくわかんない。一旦そっちに戻る。話はそのあとで」


 夜間の公道を走る車中、駿河はルームミラーを見た。追手は来ていないようだ。そして、幸子に問いかける。

「ヤクザとか言ってたけど、それって武侠連合の連中?」

「えっ・・?それは・・、わかんない。でもヤクザはヤクザ」

「なんでそのヤクザが、きみを連れ去ろうとしたの?」

「わかんないですよ!」

幸子は苛立っている様子だ。これでは話が先に進まない。駿河は別の話題を振った。

「お母さん、心配してたよ」

「お母さんって・・、あんた誰?」

「駿河です。探偵やってます」

「探偵?」

「きみを捜してほしいって、お母さんから依頼があったの」

幸子には合点がいかなかった。

「あり得ない。お母さんが探偵に頼むなんて」

「林由樹さん。きみのお母さんでしょ?」

そこで幸子は気づいた。

「そういうこと・・。だから、あいつらが・・・」

幸子は呟くと、駿河に言った。

「その人はお母さんじゃない。ただの他人。それに私は林でもない」

「え?え?違うの!?だってきみの写真持ってたよ。きみのこともよく知ってたし」

「そりゃ知ってるわよ。私の世話してたんだから」

駿河は混乱してきた。

「ちょっ、ちょっと待って。説明して。きみは幸子さんで間違いないんだよね?」

「そうよ」

「林さんが母親じゃないってのは?世話してたってどういう意味?」

「今は話したくない。話したら、あんた絶対警察呼ぶから」

「はあ?」

なんだか雲行きが怪しくなってきた。単なる人捜しだと思っていたのに、状況に変化をもたらしつつある。これからどうすべきか、駿河は困惑していた。


 探偵事務所のソファには、駿河と希、ふたりの正面には幸子が腰掛けていた。

「なんで話してくんないの?こっちだって頭ん中ごちゃごちゃしてんだから」

駿河から事情を聞いた希が幸子を問い詰めるが、当の幸子は口をつぐんだままだ。なにかを隠しているのは明白だが、それなんなのかわからない。駿河は幸子に質問をしながら話を整理する。

「確認なんだけど、きみは幸子さんでいいんだよね?」

「だからそうだって言ったでしょ」

「でも、名字は林じゃない。じゃあ、本当の名字は?」

しばらく黙った幸子が口を開いた。

「サトウ・・・」

「本当に?」

怪しんだ駿河がひと言訊ねると、幸子が声を上げた。

「サトウだって言ったじゃない!」

興奮気味の幸子を、駿河は落ち着かせようとする。

「わかった。サトウね。わかった。だったら、もう一度訊くけど、林由樹さんが母親じゃなくて、きみの世話をしてたって言ってたよね。あれはどういう意味?」

「お手伝いさんみたいなもの。住み込みでいろいろ家事とかやってくれてる人のひとり」

ほかにもいるといった口ぶりだ。ならば、どこかのお嬢様なのだろうか。そう思った希が訊く。

「あんた、もしかして金持ち?」

幸子は首を傾げて言った。

「お金持ちかどうかは微妙だけど、生活には困ってないかな」

その曖昧な答え方に、謎が余計に深まった。駿河は質問を続ける。

「じゃあ次、きみは家出したんだよね?それは確か?」

「そう。親が遊ばせてくれなくて。だから勝手に遊びに行ってんの」

「親御さんはいるのか。なら、なんで林さんが母親のふりをしてたんだ?理由でもあるの?」

「あるわよ。あの人はこういう街に絶対に行かないから。それで林さんに代理で行ってもらったのよ」

幸子の意味深な言葉に、駿河が問うた。

「親御さんってどういう人なんだ?」

「話したくないし、知らないほうがいい。それ知ったら、あんたらすぐにでも警察呼ぶから」

「でも話してくんないとなあ・・・」

「嫌だ」

まるで子どものように、幸子は断固拒否した。これでは埒(らち)が明かない。仕方なく、もうひとつ気になることを駿河は訊いた。

「ところで、クラブに来たふたりは本当にヤクザなの?」

「そう。ヤクザ」

幸子がうなずいて即答した。

「なんかやったの?闇金とか、恨み買うようなこととか」

「べつになにもしてない」

「なにもしてないなら、なんできみを連れ出そうとした?」

「さあね」

素っ気ない返事の幸子を見て、駿河はなにか訳ありだなと察した。そのとき、これまでのやり取りを聞いていた希が幸子に問うた。

「あんたさあ、いったい何者なの?なに訊いてもあやふやなことしか言わないし。ちゃんと説明してくんないとこっちが困るのよ」

「誰だっていいでしょ。」

希が顔を顰める。

「なにそれ?ナメてんの?」

年下の同性に見くびられたと感じたのかもしれない。駿河は怒った様子の希を片手で制した。

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