雪を待つ
買い物を終えて、私達は家に帰ってきた。
その後30分くらい、ナツメさんと買ってきたシュークリームを食べながらお茶を飲んでいた。
私の鼻に間違いはなく、街で見つけた洋菓子屋さんは、キリノさんがシュークリームを買ってきてくれたお店だった。
懐かしい味だと話しながら、しばらくゆっくりとした時間を過ごしていた、そんな時のこと。
カラン、カラン──
遠くの方でベルの音がする。
家の中にいても聞こえるその音は、今朝私がアルベ君を追おうとした時にも聞いた音だった。
「ベルの音……。ナツメさん、この音はなんの意味が……」
なんの意味があるのですか?と問う前に、ナツメさんは勢い良く立ち上がった。彼女の表情は固まっており、緊張した様子だった。
「……ナツメさん?」
「マリア様、この音は合図です。たった今、掲示板が更新されました。……このギルディアでは昔から王家や『アザレア』など、国が公式に発信する情報は全て掲示によって行われるのです」
「──そして、今日行われるであろう公式の発表と言えば、一つしかありません。塔の封印に関すること、です」
「……そ、それなら見に行きましょう!」
「いや、僕が王家に戻り直接聞いてきます。掲示板前には人がたくさん集まりますので、近づくのはまだ危険です。それに、掲示板の情報は簡潔にまとめられているかもしれません。より詳しい情報を聞くなら、長官様に聞くほうが良いと思います、ので!」
ナツメさんはビシッと敬礼をして、「行ってまいります!」と言い残し、早々に家を出て行ってしまった。
ああ、アルベ君が、帰ってくる。
今更帰ってこないなどということは全く信じていない。たった今鳴り響いたベルの音は、きっと、私たちの未来を祝福する音色だ。
しかし、そうは信じていても、彼が本当に帰って来るまでは、落ち着かず何も手につかなさそうだ。きっとお腹を空かせて帰って来るだろうから、夕飯の支度はしておかなければいけないのに。
ナツメさんが出て行ってから、20分程の間は彼の部屋に勝手に入って、大きな窓の縁に座って外を見ていた。
外を見ながら窓辺に飾ってあった一輪挿しを手でもてあそぶ。彼の手紙に添えてあった氷の薔薇の花を一輪挿しに入れているから、手で傾けたりする度にリン、リンと鈴のようにきれいな音がする。静かな室内で不安に押しつぶされてしまわないように、音色をひたすら奏でた。
リン、リン……
本当にきれいな音がする。手元の氷の薔薇に視線を落とすと、きれいな音色だけでなく、目でも私を和ませる。
きれいな音で、きれいな薔薇の花。
こんなにもきれいなのに、それを創り出せる彼は少々後ろ向き。『全知全能』という何でもできてしまう能力は、アルベ君にも底が見えないという。それだから、普通の人々──特に能力に詳しい人々ほど彼の存在は異質に見えてしまう。
だから、彼はこのギルディアという国になじめなかったのではないか。私は彼のこと、普通にすごいと思えたから。
アルベ君の能力のすごいところと言えば、スドウさんの家を出るときに、少し聞いたことがある。
アルベ君はスドウさんの家の鍵を氷の花の中に閉じ込めていた。それは能力で何かを──例えば氷を生成したとすると、その氷はハンマーで思い切り打ちつけても壊せないのだ。
アルベ君が生成した氷に限らずとも、一般的に能力で作られた物は、能力者が故意に解除するか、他の能力でしか壊せない。能力で発生させた火に水をかけても、火を消すことはできない。炎を操る能力者が起こした火事を鎮火するには、炎の能力者を直接害するか、炎を消せるような能力者をに消してもらう。
例外として、"マドウグ"や"マセキ"などを使う手もあるそうだが、それらは入手するのが難しい。魔力を帯びているものだから、大体が魔物の住処に取りにいかなければならないのだという。
他にもいろいろ説明してくれたが、奥が深いのか私にとっては少し難しく、あまり聞くことができなかった。楽しそうに説明するアルベ君のことを見ているだけで、その時はそれで良かったのだ。
ともあれ、アルベ君が氷の花の中に家の鍵を閉じ込めたことに私は納得した。
鍵を閉じこめた氷の花は玄関先にある鉢植えの傍になるべく目立たないように置かれていたが、もし万が一鍵のありかがばれてしまっても、アルベ君の能力を上回る能力でしか氷の花を壊すことはできないのである。
さらに、それだけではない。アルベ君は自分の能力の器用さ──本人は異様さと自嘲していたが──を活用して、スドウさんが能力を使ったときにしか氷の花を溶かせないように工夫していた。
まだまだ練習中とは言っていたが、上手くすれば指定した人物以外の進入を防ぐ"結界"を作れるようになるのだとか。
リン、リン……
彼との会話を思い出しながら音を聞く。
そうしてふと、とあることに気が付いてハッとする。
こんなにも近くに、それもほとんど初めからあったのに気が付かないなんて、私はどうかしていた。
手元の氷の薔薇にもう一度視線を落とし、じっとみつめる。傷一つなく、今朝からずっと同じ美しさを保っている。
能力で作られた氷は溶けることはない。
作成者である能力者を上回る能力を使用するか、"能力者自身に危害が加えられない限り"は──
氷の花が生きているということは、祈りが届かない場所に居る彼も、生きている。
そのことに気が付いて、窓辺から降りた丁度その時、外からコツコツと窓をたたく音がした。
少し警戒しながらも様子をうかがってみると、窓の外にナツメさんが立っていた。
どうして窓から……とは疑問に思ったが、一先ず窓を開けることとした。
「リディア様!お待たせしました!それと、こんなところからすみません。長官様から、報告は慎重に。お前は浮かれるな、と指示を受けているところで……玄関の方の人通りが多かったのでこちらから声をかけさせてもらいました!」
「な……なるほど?」
「で、僕、気が付きました!ここからではお邪魔することができません!どうしましょう!?そ、外ではお話しできませんし、やっぱり玄関側に……はっ!!」
ナツメさんは終始慌てた様子で、且つ嬉しそうにしていた。その様子を見ても、彼女が王家に戻って、エドワードさんに何を、どんなことを聞いたのかよくわかる。
そもそも本来なら、私が今のナツメさんのようにアルベ君の無事を喜ばなければいけないのだろうけど、思いがけない形で、ナツメさんから報告を受ける前に知ってしまったためか、わあっと思うように喜ぶことができない。
本当に本当に、喜ばしいことではあるのだけど、喜びというより安堵の気持ちが大きいのだと思う。
それに、緊張もしているのだ。
アルベ君が帰ってきたら、彼に対する自分の想いについて、たくさん申し立てなければいけないのだから。
そんなことを考えてから、再びナツメさんの方へ意識を戻すと、彼女は先程とは打って変わって、悲しそうにしていた。
「な、ナツメさん?どうかされました?」
「いえ……長官様の言いつけをもう一つ思い出してしまいまして、本当なら僕も一緒にお帰りをお待ちしたいのですが、報告したらすぐに帰って来るようにと言われたのでした」
「──あ、ややや!そうじゃなくて!もう肝心なことを伝えないと!……リディア様、チェイス様は見事お役目を完遂されました!やりました、やったんですよ!チェイス様、たったお一人なのにすごいで……って、リディア様?どうしました?チェイス様がもうすぐ戻ってくるのですよ!?」
ナツメさんは、わがごとのように嬉しいのか、報告内容を若干前後させながら、興奮した様子で話してくれた。
一方、私は、他人から見たら、やはり喜んでいないように見えるらしい。
「はい、よかったです。アルベ君、すごいです……」
「お、思ってた感じと違う!?あ、ひょうっとして、僕がからかってるとか思ってます!?そんなこと死んでもしませんよ!!」
ナツメさんは少しむっとしていた。
彼女を困らせたいわけではないから、私は慌てて弁明する。
「……あ、す、すみません。そうじゃないんです。本当、本当に嬉しいんですけれど、それよりも何よりも安心したと言いますか……それにこれに気が付いてしまって」
私はムッとしているナツメさんに氷の薔薇を見せた。突然氷の薔薇を見せてきた私に対し不思議そうに「これは、キレイですね?」と答えた。
ナツメさんは能力者ではないと言っていたから、おそらくこれだけではわからない。
「前、彼に教えてもらったことなのですが、この氷の薔薇はアルベ君が作っていったもので、この花がこうしてきれいなままである間は、アルベ君は無事だと気が付いたんです。丁度、ナツメさんが教えてくださる前に……」
「そ、そうなんですか!はえ……、本当に能力者様って、チェイス様ってすごいですね!!」
「そうなんです。だからせっかく教えていただいたのに、こんな反応しかできなくて、すみません」
「い、いえいえいえ!いやいや!全然問題ないです!!リディア様、まだ本調子じゃないのかなって心配になっただけですから。大丈夫なら、大丈夫です!」
「──あ、あと、リディア様はきっと、チェイス様を迎えるのに素敵な笑顔を残してあるんです。だから、今は僕なんかよりチェイス様のことをたくさんたくさん考えてあげてくださいね!それでは、僕はこれで!」
「うん、ナツメさん。今日はいろいろとご迷惑もかけましたし、本当ありがとうございました。また落ち着いたら早いうちに、彼とともに王宮にお伺いしますね」
ぺこりと礼をして、ナツメさんは去っていった。
私はその後ろ姿が見えなくなるまで見送りをしたあと、窓を閉めた。
窓辺に一輪挿しを置いて、氷の薔薇だけを手に取ってアルベ君の部屋を後にした。
……彼がもうすぐ帰って来る。
先程のように窓の外をぼうっと眺めていられるほど落ち着くことができず、無駄な行動が多くなった。
部屋を移動したり、本を3行だけ読んでは、次の本に手を出し、また3行だけ読む。落ち着こうと思えば思うほど、緊張と喜びがせめぎあってしまう。
「そうだ、お夕飯……」
後回しにしていた夕飯の準備を進めることを思いつく。お肉や野菜を切っているうちにだんだんと気分が紛れてきた。
それから、30分。
それから、1時間。
そして、2時間──
塔の封印が完了したとの知らせがあってから、およそ3時間が経過した。作った夕飯は冷めてしまって、外は日が落ちて暗くなっていた。
あまりにも、帰りが遅い。
折角料理で紛れた気持ちは、喜びと緊張を塗りつぶして、不安へと変わっていた。
何度か玄関扉を開けて外を確認したけれど、彼の姿はない。扉の向こうには、重たそうな雪が降る景色しか広がっていなかった。
終わったはず、終わったはずなのに。彼が帰ってこない。ひょっとして、帰る途中でなにかあったのかもしれない。
国境門の方まで迎えに行くか、王宮まで出向いてエドワードさんたちに状況を聞いてみるか──いや、こんな不安な気持ちで行ったら、また二人に心配をかけてしまうかもしれない。
不安は最高潮に達した。
外の寒さが、木製の玄関扉越しに伝わって、身体が震えてきた。つい数時間前まで賑やかだったのに、あの賑やかさが恋しくなるほど、身体と心が、不安によって冷やされていた。
「……アルベ君」
静けさを取り戻した室内で、私は一人、愛しい人の名前を呼んだ。
────────
END
番外編【スノウドロップ】 京野 参 @K_mairi2102
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