彼がいない日



 こうして、私の今日が始まった。

 尤も、寝坊したし、起きてからもいろいろあったから少し遅くなってしまった。


 今日はアルベ君と街を巡る約束をしていたけれど、大切なお役目の真っ最中ということもあって、道案内はナツメさんがしてくれた。

 エドワードさんとの話が一区切りついた後、ナツメさんが丁度よく掃除を終えてきて、私とエドワードさん、特に私が元気になった様子を見ると、自分のことのように喜んでくれた。

 ナツメさんには王様が亡くなったことに対してとても深い傷を抱えているエドワードさんのことも心配してほしいと思って、「私よりも……」と言いかけると、エドワードさんは慌てて私を止めた。

 彼が涙を流したことは、ナツメさんはもちろん、ほかの人にも絶対に言ってはいけないらしい。

 それが少し可愛らしいと思って笑うと、エドワードさんは恥ずかしいのか、早々にその場を切り上げてしまった。でも、何か困ったことがあったらと、今日一日ナツメさんを貸してくれることになった。


 アルベ君のことは心配で仕方がないけれど、頑張っている彼から私、"リディア"へのお願いごとを叶えなくてはいけない。

 いつまでもメソメソしているのは良くない。だって、私は彼が帰ってきたら優しく迎えるよりも前に、怒らなきゃいけないから。

 こんなこと自分でもおかしいと思うけれど……、私は彼に怒りをぶつけることを、すこしだけ楽しみにしていた。


 そうすることで、少しは彼の隣りに近づけるのだから。楽しいというか、うれしいのかもしれない。エドワードさんに勇気づけてもらえてよかったと思う。



 ライフラインの開通手続きを終えて、夕飯や生活用品の買い物がてら、ナツメさんと街を歩く。

 その間、ナツメさんの話を聞いた。有名な執事業の家の出であること、自身の性別に対する思いと考え、それで苦労したことなど……そんなカミングアウトがあった直後は接し方に迷ってしまった。

 戸惑う私に対してもナツメさんは優しくて、隠しているわけじゃないから好きなように接してほしいと言ってくれた。そのままアルベ君の勘違いの話になって、最終的に彼に勇気づけられたとも話してくれた。


 ナツメさんは生活が落ち着いたあとは一度家に戻って、きちんと自分のことについてご両親に話をするそうだ。ギルディアにはナツメさんの故郷に帰る手段がないとのことで、森を挟んだ隣国のシエント帝国まで行く必要があるとのこと。

 あの森を一人で抜けるのかと思って心配すると、どうやら一時は森で生活していた私達が知らない、或いは追われる身であるためアルベ君が敢えて利用しなかっただけで、森にはきちんと整備された道があるらしい。

 その話をしたとき、丁度雑貨店で買い物をしていたから品物の地図を見てみると、確かにギルディアを囲う森は完全な円ではなくてC字のように途切れた部分があった。

 この道を通れば、安全に森を抜けられるらしい。ただし、シエント帝国の管轄であるため通行時の審査はされるそう。だから、シエント帝国にも目をつけられているらしい私達にはお勧めできないとのこと。


 シエント帝国と言えば、気になることが二つ。


 森で私たちを助けてくれた"オジさん"は、どうしただろうか。

 家にシエント帝国の兵士が押し掛けたとき、庇ってくれた"ミヤビさん"はどうしただろうか。


 ミヤビさんについては、最初は悪い人かと思ったけれど、シエント帝国に不用意に近づこうとした私たちを助けるためにした行動だと思っている。

 昨晩、アルベ君と一緒に寝た時に彼女の話になったが、アルベ君が認めるほどの能力者らしく、あまり心配はいらないと言っていた。


 一方、オジさん──スドウさんのことについては、すごい能力者であるミヤビさんが言うにはシエント帝国軍所属の諜報員であり、私たちの味方でないことは確実という話しぶりだった。

 アルベ君は、追われる身の私たちが誰を信じるかを決めるのは自分たちだと話していたけれど、私だったら決められなかったと思う。スドウさんも、ミヤビさんも私にとって優しい人だと思ったから。


 私はその二人がどうなったかが知りたくなって、今日の記念として自分用のコップを買おうとしているナツメさんに問うた。



「ナツメさん、さっき国境門に行ったとき、昨日いらっしゃったシエントの兵士の方達がいなかったのですが、どうしたんですか?」


「ああ、はい。シエント帝国軍は今朝方、すべての兵士を引き上げて行きました。元々シエント帝国には、『アザレア』が休止になった関係で臨時に兵士を派遣してもらっていたのですが、それに乗じて塔の封印執行も担ってもらう話になると、断られてしまって」


「──ここだけの話、『アザレア』に居たのであればご存じかもしれませんが、ギルディアとシエント帝国との仲は良くはないんです。兵士を派遣してもらったこと自体意外過ぎると、長官様が言ってました」


「──封印の話を断り、さらに契約期間中にもかかわらず突然軍を引き上げたとなると何となく、その思惑がわかるとも長官様は言います。シエント帝国はギルディアに対する悪意をもって、兵士を引き上げた。だって、塔の封印執行には参加せずとも、契約期間一杯までは兵士を置くべきです。兵士派遣の際にいくらかお金を払いましたが、返金はされてないとのことで……」


「じゃあ、帰ってしまったのですね……」


「はい。しかもタイミングが悪いことに、ア……チェイス様と長官様の話し合いの時間に、シエント帝国の行政大臣の予定が急遽入って重なってしまって……」


「……だ、大丈夫だったんですよね?」


「もちろんです。長官様に抜かりはありません。……まあ、苦労されたそうですけれど、お二人の秘密はきちんと守られています。……しかし、チェイス様からも聞きましたが、お二人は、シエント帝国の諜報員である須藤とお知り合い、なのですよね?」


「……はい。命の恩人だと思っていたのですが、ギルディアに来て話を聞く限り、印象が大きく違っていて正直困惑しています」



 ナツメさんは見ていたコップをそっと棚に戻して、「うーん」と唸った。

 そして、とても悲しそうな顔をして言った。



「……すみません。須藤のことについては長官様も信じていらっしゃらなくて、僕は長官様の言葉を信じてしまいます。……なんでも長官様にとって今の須藤に対する評価は"相応"らしくて。かつて須藤が『アザレア』養成学校の教師だったときのことをご存じでいらっしゃるようですから……」


「あ、いえ、すみません。スドウさんのこと信じてほしいと言いたいわけじゃないんです。ただ、どうされているのか気になって……」


「それでしたら、きっと行政大臣とともに引き上げたと思います。尤も、諜報員という肩書を持っている以上は表面的な情報を信じることはできないのですけど……」


「……どうあれ、元気でいらっしゃるのなら嬉しいですから。すみません、困らせるようなこと聞いてしまいました。さ、気を取り直して楽しいお買い物続けましょうか!」



 折角楽しい雰囲気だったのに、暗い話をしてしまったことを猛省する。

 私が切り替えると、まもなくナツメさんも笑って、先まで手にとっていたコップをもう一度取って「これ買ってきます」と元気よく言った。


 それから雑貨屋を出た。

 もう買うものはないと思って帰路についている途中、ふっと懐かしい香りがして、私は足を止めた。




 そこは、洋菓子店だった。

 甘い香りが鼻を抜けて、歩き回って丁度小腹がすいたころだから、ぐうっとお腹が鳴った。



「あ、そのお店はシュークリームが美味しいんですよ!僕がギルディアに来るよりも前からあるお店だそうで、シャンドレット王も好きだったとか。……そういえば、『アザレア』の社長さんがここのシュークリームが好きだったという噂も聞いたことがあります。なんでも、社長秘書さんがめいっぱい、30個くらい買っていった伝説があるそうです」



 私の知っている『アザレア』社長は、仕事中は大体苦いコーヒーを飲んでいる。シュークリームを食べている姿なんて見たことがない。

 あの怖いジルさんがシュークリーム好きだと考えたら、少し面白くて笑ってしまった。


 その笑みに気が付いたナツメさんはハッとしてから、小声で私に問うた。



「……あの、ひょっとして噂は本当なのですか?」


「さあ、どうでしょう。……"リディア"には、よくわかりません!」


「……はぐらかした!き、気になるけど、この件は、お家に帰ってからゆっくり話しましょうね!?ね!?ぼ、僕、あのシュークリーム買ってきますから!」


「じゃあ、30個だけ、お願いします」


「だけ?あそこのシュークリーム30個は、"だけ"って単位じゃ……は、まさか!?」



 どうやら、私が30個食べていたことをナツメさんに察してもらえたらしい。

 気が付いた途端、ナツメさんは店の中に入った。

 そして、次に店に出てきたころには両手一杯に洋菓子の箱を抱えていた。

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