同じ痛みを知る者⑴



 目を開けると、私は家のソファーの上だった。

 過呼吸で意識を手放してしまったあと、ここに運び込まれたのだろう。

 私はナツメさんを言葉で傷付けてしまっただろうに……彼女は、そんな私をどうにかここまで運んでくれたのだろう。アルベ君の大切な友人に迷惑を掛けてしまって、私は本当にどうしようもないバカだと思った。


 身体を起こすと、カウンターキッチンの方に人影──ナツメさんの姿が見えた。彼女は私が目を覚ましたことにすぐに気がつくと、その場でペコリと会釈をした。それから、何やら飲み物が入ったカップを持って私の元へと近づいてきた。


 近づいてくる彼女に、どんな言葉をかけるのが適切だろう。好きな人──アルベ君の手前、立ち振る舞いは大人っぽく直したけれど、こういう性格はなかなか直せるものではない。

 だからやっぱり、自分でも理不尽とはわかっていても、彼の歩みを止めて欲しかったと強く思ってしまう。

 モヤモヤとした感情、アルベ君には決して見せられないこんなキタナイ性格を嫌悪しつつ、向かってきたナツメさんにもすぐに謝罪をする事ができなかった。



「……ど、どうぞ」



 そんな中、ナツメさんは少し緊張した面持ちでテーブルの上にカップをそっと置いた。瞬間、甘い香りが鼻を抜けた。焦げ茶色の表面に緑色が浮かんでいる。独特な葉の形から緑色はミントの葉である事、そして焦げ茶色の飲み物も温めたチョコレートであるとわかった。

 しばらくカップを眺めていると、「ホットチョコレートです。お嫌いでなかったらどうぞ」と促される。


 私は彼女に促されるまま、カップを手に取り一口だけ飲んだ。……甘くて柔らかい。『アザレア』の食堂にあったドリンクサーバーから出てくるココアよりずっと味わい深い。

 濃厚だが、ミントのお蔭もあってかすっきりとして本当に美味しかった。状況が状況でなかったら、レシピを教わりたいほど。だが、もちろんそんなことは言っていられない。

 私が言うべきは、彼女に対する暴言についての謝罪の言葉だろう。



「……ナツメさん。私、すみません……あなたに酷いことを言ってしまいました。ごめんなさい」


「あ、いえ!僕は大丈夫です。僕よりもマリア様のお身体の方が心配です。息が苦しかったり、頭が痛かったりしませんか?もしまだお身体が優れないようなら僕には構わずゆっくりと休んでください」



 彼女は私の身体を心配しながらも、にこりと優しく微笑んだ。その微笑みに、許されたような気持ちになってしまった私は、思わず声に出してしまった。



「……痛い、です」



 胸の辺りを掴んで、チクチクとした心の痛みを訴えた。

 こんなことしたら彼女はもっと困るだろうに、今は彼女のことより私、私のことよりアルベ君の安否が心配であり、彼が今日のことを何も話してくれなかったことに対する不安でいっぱいなのだ。


 そんな私の様子を見て悟ったのか、ナツメさんは優しい微笑みから、すこし複雑で悲しそうな表情をした。それから、何かを決意するかのようにペタペタと自分の頬を両手で叩いてから、真剣な眼差しを私に向けて言った。



「……申し訳ありません。マリア様がアルベ様のことを大切に思っていらっしゃるのにも関わらず、僕はアルベ様を止められませんでした。それは僕だけでなく、僕が属する王家も同様です」


「──ついては、長官様……現在休止中の『アザレア』に代わってアルベ様を送り出した僕の上司にあたるギルディア行政長官よりマリア様に直接お話をしたいと思うのですが、よろしいでしょうか」


「ギルディアの行政長官……?そ、それはどのような人なのですか?ナツメさん、私もアルベ君も一応ジルさんに追われている身で、あまりいろんな人の目に触れてしまうのは……」


「そ、それについては十分に承知しております。えっと……なんといいますか。い、色々ありまして。長官様はアルベ様とマリア様のことをご存じでいらっしゃいます」


「え……と。アルベ君がその長官様にお話ししたということでしょうか?それはいつのこと?ナツメさん以外にも、今日のことを前から知っている人がいた、ということ……?」



 チクチクとした痛みがだんだん強くなる。


 また、私だけ仲間はずれ。

 彼との距離がさらに遠くに感じる。



「い、いえ。アルベ様は最初、長官様にも正体を隠していらっしゃいましたし、僕もそのつもりで昨晩お二方の移民登録を行いましたが……その、長官様曰く僕の行動が不自然だったから、単独でお二人のことを調査されていたとのことでして……す、すみません。やっぱり僕の落ち度です。本当に申し訳ありませんでした!」



 ナツメさんは直角に礼をして私に謝罪した。

 一方、私は呑気なことに安堵していた。彼が塔の封印に関して積極的に協力を求めたのがナツメさんだけだと分かったから。



「……アルベ君は、その方を信じたのですか?」


「……は、はい。僕はその経緯を直接拝見したわけではありませんが、アルベ様からも長官様からも、双方の利害が一致したことによって協力関係となったと聞いております」


「──さらに、アルベ様からは直接マリア様の今日をサポートしてほしいと依頼を受けておりますし、長官様からは、マリア様が心配だからと国境門で待機を命じられておりまし。それで僕は……」


「国の外に出ようとしている私を見つけたということ、でしょうか……?」


「は、はい。曰く、"同じ痛みを知る者としての考え"だそうで……、僕はその長官様の言葉の意味がよくわからないのですが、とにかくマリア様が国の外へと出て行く前に引き止めるのが長官様から命じられた僕の役目なのです」



 同じ痛みを知る者として、か──



「……わかりました。アルベ君とナツメさんを信じます。その方はどちらにいらっしゃるのでしょう──」



 そう言いかけると、キッチンの方で何かが動く気配がして思わず視線を向けた。

 見ると、男の人が立っていた。それが気配の正体であり、その男の人がナツメさんの言う"長官様"だと分かった。

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