後編
10回目の誕生日
目を覚ました。
すでに月は沈み、日が昇っているようで外は明るく窓から溢れる日差しが眩しかった。昨日の疲れが溜まっていたのか、今日はいつも以上に起きる時間が遅かった。
「……ん、アルベ君?」
一人用のベッドでくっついて眠っていたはずのアルベ君は、すでに寝床から出ていた。
彼が私より早くに起きることは珍しくはない。彼が作ってくれる朝食の良い匂いで目を覚ます……森の中での生活ではそんな贅沢で平穏な日々を過ごしていた。
寝起きのため、少しの間ぼうっとしながらも、昨日オジさんの家を出てアルベ君の家まで移動してきたことを思い返す。オジさんの家は小さくてかわいいかった。一方アルベ君の家は大きくて、私にとってはお城のよう。
だから、朝ごはんの香りもここまで届かないのだろう。それはそれで少し寂しい気がするけれど、昨日のような恐ろしい魔物に襲われる心配がなく安全であることは、きっと幸福なのだ。
乱れた髪を手櫛で梳かして整える。寝坊の上に髪までボサボサなんて呆れられてしまうから。
髪を梳かしている間、ふと一昨日にはなかった窮屈さを左手の薬指に感じた。
薄青色の指輪。氷のようにきらめいている。
昨日アルベ君に貰ったもの。そしてたくさん嬉しい言葉も聞かせてもらえた。
ギルディアに帰ってきて早々に可愛らしい人──ナツメさんを仲間として連れてきてしまう優しい彼のことだから、『アザレア』に篭もりきりだった私と違って、今まで色々な出会いがあったはずなのに……私にこれを与えてくれた。
私はアルベ君にふさわしい女かどうか、この指輪を戴くに足るのかは今でもわからないし不安だ。
けれど、昨日の出来事もこの上なく幸せであることも確かでちょっと複雑だった。今からアルベ君と顔を合わせることになると思うと、なんだか恥ずかしい気持ちになる。でも早くアルベ君の元まで行って「おはよう」って言われたいから、朝の準備も手短かに部屋を出た。
部屋を出ると、やっぱり今までとは違う景色で動揺してしまう。オジさんの家にはたくさん扉はなかったし、『アザレア』でも自分の部屋を出ると、自分の部屋と同じような景色──白い壁と白い床ばかりだったから。こんなふうに木の柱や、サラサラていて触れると少し暖かいような壁を見ると驚いてしまう。
それに、この家にはさらに驚くべき場所があるのだ。リビングの方へ廊下を進んでいくと、まもなく沢山の本が並べられた書斎がある。まるで、森林のようだという私の感想はアルベ君とも感性が一致していて、アルベ君はこのたくさんの本がある書斎のことを"本の森"と呼んでいたと話してくれた。
私は昨日もこの"本の森"の中を探索したが、本当に色々な本がある。文芸書や実用書、専門書に絵本もあった。ほとんどがアルベ君のお母様が集めたものであるそうだが、魔物や魔法と能力の研究、戦術関係の書物があったりして、本の状態からしてよく読み込まれている様子──きっと、これはレオさんかアルベ君のもの。内容はよくわからなかったけれど、前にアルベ君が話してくれた能力の基本や魔物の生態などが書いてあった。
本棚の下段には料理に関する本もあって、それは殆どが手書き。きっと、アルベ君のお母様が残したレシピ本だろうと思った。
アルベ君がお料理上手なのも、このレシピ本のお蔭なのだろうけれど、彼から指輪を貰った身としては少々複雑だ。
なんでもできる彼はすごいし尊敬する、でも……うん、そうだ。料理だけは上手にならないでって、今からお願いしてみよう。
本棚の本を手で軽く撫でながら森を行く。やがて、リビングへ抜けた。
「アルベ君、おはよう──」
そこに、彼の姿は無かった。おはようという声すら返ってこない。
ただ、机の上に綺麗な氷の花と、私──"リディア"に宛てられた手紙が置かれていた。
彼が居ない理由は薄々気がついていた。
けれど、冷静に、冷静を装って、彼からの手紙を読んだ。手紙を読んでいる間は、ずっと手が震えていた。
──ああ、今日は12月26日。
私がアルベ君と出会い、小指を結んで約束してから数えて、10回目の誕生日だ。
手紙と氷の花を握りしめて、私は家を飛び出した。
家の外は雪景色が広がっているにもかかわらず、人通りが多い。
遠くの方でカランカランとベルの様な音が響いていて人々はその音のする方へ向かってぞろぞろ歩いているようだった。
道行く人々は口々に塔の封印のことを話している。そんな話し声から逃げるように、私は人々が進む方向とは逆方向に向かって走った。
走って、走って、だんだんと人通りが少なくなっていくと、昨日私たちが入ってきた国境門にたどり着いた。昨日は門番の人──シエント帝国の兵士達が守りを固めていたが、今日は誰もいなかった。
遠くにはうっすらと高い塔が見える。
アルベ君は今、あそこに居る──
今ならまだ、私の祈りを彼に届けることができる。
魔物は怖い。
森で生活している時も、実際に襲われた時もそう思った。けれど一歩ずつ、一歩進んだらさらにもう一歩、だんだんその調子を速めていって、私は国境門の真下まで進んだ。
そして、昨日この場所で怪我をしたアルベ君に、私の祈りを拒絶されたことを思い出すと、魔物に対する恐怖は感じなくなった。
だって、だって。
大切な人を失う方がずっと怖いのだから。
「アルベ君、お願い。行かないで──」
渾身の思いで絞り出した言葉は情けなかった。
そんな言葉とともに、私はまた一歩前へと踏み出した──その時だった。
「マリア様ッ!!」
聞き覚えのある声で呼び止められた。
その声に反応して思わず私の歩みは止まった。振り返ってみると、昨晩アルベ君と共に家にやってきた王家の職員ナツメさんが立っていた。
私が振り返ると、ナツメさんは雪の中をさくさく歩いて私に近づいて、手を握った。
彼女に手を握られて視線を落とすと、足元に足跡があった。ナツメさんとも私とも違う。その足跡は真っ直ぐ遠くに聳える塔へと続いているようだった。
「は、離してください……。アルベ君、アルベ君が行ってしまったんです。私に何も話してくれないまま、おはようって言ってくれないまま行ってしまったんです。お願い、手を離してください。このままだと、私は絶対に後悔するから──」
「ダメです。辛いお気持ちはわかります。でも、僕はこの手を離すことはできません。これは、アルベ様との約束であるとともに、ギルディアの民を守るという王家職員の役目であります。……り、臨時職員ですけど!」
「……アルベ君だって、このギルディアの民です!」
ピシャリと、ナツメさんの言葉を否定する。
この否定の仕方は揚げ足取りのようで良くないなと発言した後に気がつくあたり、私は嫌な性格をしている。
しかし、それでもナツメさんは私の手を離さなかった。そんな彼女の真っ直ぐさが鏡となったのか、私のひねくれた部分が映し出されるようだった。
「……ナツメさんはご存知だったんですか?今日のこと、アルベ君に聞いていたんですか?どうして、どうして?どうして、アルベ君に聞かされておきながら、アルベ君を引き止めてくれなかったの?」
「──危険だから、怪我をするから、最悪死んでしまうかもしれないからって、引き止めてくれればよかったの!ギルディアの民を守る王家職員なら、アルベ君のことも守ってほしかった!」
わあっと声を上げて、私はその場で泣き崩れた。
アルベ君が行ってしまったのは、役目のため。
この役目のために彼は『アザレア』で厳しい訓練を積んできたのだ。だから、塔の封印の役目は彼が過ごした厳しい10年間の答え合わせの一つ。そして、父親、レオさんの敵討ちの場でもある。
だから、他人にそれを止める権利はない。
私ですらその権利はないのだから、ナツメさん含む王家職員にも、このギルディアの民にも、彼を引き止める権利はない。
そんなことは、わかってる。
わかってるからこそ、悲しくて、悔しくて、辛い。
わあわあと言葉にならない声を上げて、何やら喚き散らしているうちに、だんだんと呼吸が速くなっていくのを感じる。
医学的に言うならば過呼吸の症状だ。頭で理解はしていても、落ち着くことはできない。とうとう、ナツメさんの声も聞こえなくなってしまって、間もなく私は意識を手放してしまった。
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