届かぬ祈り
「コイは、ちょっとむずかしい」
とある日、特に何の前触れもなくキリノさんに話をすると、キリノさんは飲んでいたお茶を噴き出すようにして驚いていた。
私が彼に恋していることにキリノさんは早いうちに気がついていたけれど、『アザレア』という環境の中でその恋が実るのかについては、ただ見守ることに徹していたそうだ。
そんなキリノさんが驚いた理由は、私の口からストレートにそういう恋の話が出るとは思っていなかったから。そして、自分が私の恋の相談役になるとも思っていなかったから、とか。
確かに、私がストレートな話をすることは意外だと自分でもそうだと思う。彼と出会うまでの私は、『アザレア』という環境にすっかり慣れてしまって、シュークリームが好き、キリノさんは頼りにしていると思う以外に、特別な感情を抱くことがなくなっていた。
でも、彼との出会いが私を変えた。
初めて好きな子ができて、その子のことがいつも気になってしまう。
尤も、『アザレア』は、彼に対して"塔の主の封印執行者という役目"を課しており、日々の容赦ない訓練でボロボロになってしまうから、治療をするのが私の新しい役目──だから、彼のことが全く気にならないということは絶対にないのだけど。
ともあれ、意識が変わったのは紛れもない事実。
そして、意識が変われば行動も変わる。
彼に嫌われないために、正直な物言いをするのも直したし、丁寧に話すようにした。
彼は何やら人には言えない隠し事があるらしく、また、怪我をしても左手だけは頑なに診させてくれない。最初はケガを放置するのはいけないと言って、彼の気持ちも考えずに診せるよう強く迫ったことがある。それでも、ダメだった。
正直なところ、彼が疲れて眠っている間に包帯を取って診ることは可能であったけれど……絶対に嫌われるから。
左手のことは、今でもわからない。
いつか彼の口から話してくれる時が来るのを待ち、容態についても「何だそんなことか」って、お互いに笑い合えることを願うばかり──
けれど、何となくそれは叶わないとわかる。
今後彼が話してくれることはあっても、彼の左手や彼の身体について"何も問題ない"とは言えないと思う。疲れて眠っている彼の姿を私は度々目にしたことがあるが、いつも苦しそう。左手をぎゅっと掴んで「ごめんなさい」って繰り返し、誰かに謝っている。
彼の苦しみを、私が理解することは許されない。
それならば、せめて癒してあげたい。
私が彼の心の支えになりたい。
ずっとそばにいたい。
そう思って、それまで嫌いだった自分の能力──人を癒す能力でありながら多くの人を殺したこの能力を、きちんと磨こうと思った。
たくさん人形も修理して、たくさん彼の傷を癒した。だから、今では傷を治すのも一瞬で、能力の使用が原因で起こる体力消耗で眠くなることもない。
これなら、いつどこで彼が怪我をしたって私が治療できる。痛みも苦しみも感じさせないまま──
そんな風に自信がついて、まもなく。私は、とあることに気がついた。
それは因果なことに、彼の父親レオさん含むかつての戦闘部の先鋭たちのことだ。
彼らは、塔の封印の際に亡くなった。
死因は様々であり、戦闘部の中でも特に強かったレオさんの死には、その死因のこともあって大きな騒ぎにはなっていた。
レオさんと代わるように、彼が『アザレア』にやってきて塔の封印の役目を与えられてからは、かの先鋭達の話題は時を経て徐々に薄れていった。
そんな中で、確たる事実がある。
私は、彼らを救うことが出来なかった。
そのことに気がついた後、私は医務室で飼育されていた実験用のラットを手に取った。きっと昔の私なら、実験用だとしても可哀想だと言ってこんなこと出来なかっただろう。そして、こんなことをしたなんて彼に知られてしまったら、軽蔑されるだろう。……彼は、戦闘訓練で魔物を傷つけるときでも辛そうにしていたし、襲いかかってきた悪い魔物を、自分や私の命を守るためにやむを得ず殺してしまったときだって、殺した魔物に対し祈りを捧げる──本当に優しい人だから。
でも、彼に嫌われるよりも恐ろしい事実をとにかく確かめたかった。
ラットの身体を鷲掴みにして、細い右の前足をハサミで切った。
当然、痛いはずだ。ラットは暴れ、私に噛み付く。けれど私は、ラットが感じているであろう痛みを「ごめんね、ごめんね」という言葉で黒く濁して、離れてしまった右前足を正しい位置に戻し、治癒能力を使った。まもなく前足は完治して、ラットは何事もなかったように両前足を使って私の手から這い出そうとしている。
これで、腕が切断されても、切断からそれほど時間が経っていなければ、後遺症なく腕を元に戻すことができることが証明された。
次に、ラットのお腹に医療用小刀を突き刺し、さらに切り開いた。赤い血液が溢れる中、内臓やら骨が見えている。私は、ビクビクと痙攣するラットにまたも「ごめんなさい、ごめんなさい」という言葉を聞かせてエゴを貫き通しつつ、開いた腹部を閉じて祈りを捧げた。
開いた腹部は縫合をすることなく閉じた。もともと生物に備わっている再生力を活性化させることで回復を促すのが私の能力だ。ラットは少しぐったりとしているが、鼻をひくひくと動かしたりしていて、その命に別状なし。
最後に……医療用小刀で心臓へ一刺。
間も無くラットは動かなくなり、息絶えた。その後祈りを捧げてみても、命は戻ってこなかった。
そう──
死者には私の祈りは届かない。
当たり前のようで、考えてこなかったこと。
これまで、人形や少し距離のある人たちの治癒だけをして、その人形、或いは人たちが、死体として戻ってきたのをただ眺めるだけだったから。
もしも本当に大切な人が──戦場に行く役目を背負わされた優しい彼が命を落として戻ったとき、私は、私の祈りは……その命に届かないのだ。
その事実に気がついた後、私はキリノさんに戦闘訓練を受けさせて欲しいと頼んだ。
しかし、キリノさんは珍しく私の望みを「ダメだね」という言葉で一蹴した。
キリノさんはきっと強い。心を読む能力もそうだけど、女性でも戦場に立つことがあると聞いた。怪我をして帰ってくる時もある。前線にあまり立たないからと朗らかに笑いながら私の治療を受けることがあった。
私からしてみれば、前線に立たなくとも、戦場に立つことができる。キリノさんはいずれ彼の隣にも立つことができると思うと、妬みとは認めたくないけれど羨ましさはあった。
だから、キリノさんの言葉だけではとにかく納得ができなかった。
私が戦場に立てば、彼だけじゃなくて他の人形も早く修理ができる。一度壊れたものを持ち帰ってきて直して送り出すよりもずっと効率的。
そう信じて疑わず、私はジルさんにも直接話を持ちかけた。戦場に赴く人形達の指揮者なら、もちろん聞き入れてくれると思っていた──
「必要ない」
「ど、どうしてですか?」
「どうして、だと?今更お前が戦闘訓練を積んで何になる?ただでさえ、あの生意気なガキの訓練と教育だけでも手間なのにお前の相手をしろっていうのか」
「ひ、必要なことは何でもやります。訓練が苦しくても、弱音は吐きません。覚悟の上です」
「なら、マリア。お前が覚悟して訓練を受けた上で、"アルベ"よりも強くなれるのか?」
「……そ、それは」
「『アザレア』は人材不足だ。だから、使える駒のロスト数を減らしたい。かつて『アザレア』では、塔の封印にかかる人材を多く育てていたが、その全てが死んだ。今回の、レオを含む戦闘部の先鋭達にしたってそうだろう」
「──ロスト数を減らし、訓練にかかる手間を減らす。その条件をクリアするのに、不幸にも選ばれたのがアルベだ。その不幸を背負う覚悟と実力があるのなら、今訓練場に行ってアルベを打ち負かして見せろ。そうしたら考えてやる。この話は以上だ」
結局、今に至るまで私は戦う力が無いまま。
ただ、彼の背中を見つめるだけ。
訓練の時も、『アザレア』から飛び出す時も、森の中でも、吹雪の中でも、魔物に追われている時も。
きっといつの日か後悔すると思っていた。
そして、その後悔の時は、想像よりも早くに訪れた。
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