英雄に代わるひと⑴



 シュークリームがある、とは言ってもその時はまだ小腹が空く時間ではなかった。大好きなものはお腹が空いた時に、とにかくいっぱい食べることで、心もいっぱいに満たされる。そんなふうに考えて、食堂の冷蔵庫に入っているであろうシュークリームはそのままお預けとし、自室に戻って本を読んでいた。

 とはいえ、この頃は文字を書くのも読むのも上手ではなかったから、絵本の絵と読める字だけを目で追っていた。

 正直、それだけでは何が書いてあるのかどんな話なのかはよくわからなかった。


 後に、字が読める"彼"から内容を教えてもらったら──もちろんそれは彼がお話しできる状態の時で、疲れているところに無理を言ったわけではないけど──この絵本の物語は、悲しいお話だった。

 私はただ、主人公の女の子がきれいな服を着ているなあと思っていただけで、あの時の"彼"の何ともいえない表情を、こうして時々思い出すことがある。

 きっと、いつも同じ本を読んでいたから、"彼"からしてみたら、私は悲劇好きのように思えたことだろう。


 私は、この絵本が悲しい話とは全く知らないで、ペラペラとページをめくっていくと、唐突に扉が開かれた。



「マリア、居るッ!?」



 扉を開けたのは少し急いだ様子のキリノさん。

 服装も少し乱れていて、私が部屋にいるのを確認するや否や、ベッドの上に座っていた私の身体をひょいと持ち上げ小脇に抱えて歩き出した。



「き、キリノ?どうしたの?」


「ちょっとトラブル。塔の封印がひと段落した矢先、こちらは戦闘部の先鋭を失って辛いと言うのに、まるでそれを知っていたかのようなタイミングで侵略国家がまたまた攻めてきた!困ったもんだよね!」


「……ふうん、人形修理ってこと。はあ」



 人を助けることは好きだけど、修理は好きではない。だから、冷たい態度を取ってしまうと、コツンと軽く拳骨を戴いた。



「マリア?そういうことは──」


「言わない約束。人形も人間、平等に助ける。わかってる」


「そうそう、よろしい」



 と、こんなふうに。

 キリノさんは例え人形が意思のない人間だとしても大事に扱う。乱暴にすることはもちろん、乱暴なことを言う私をきちんと叱る。



「本格的に兵隊を出してきたから私は撤退、ジルさんと彼らに任せることにした。んで、私たちはそのサポート。いいね?」


「うん」



 仕事内容を伝え終えると同時に、私達は医務室に到着した。医務室の中ではすでに医療部の人形たちがせっせと働いている。私もキリノさんも、すぐに人形たちの仕事の輪に加わった。


 それからしばらくすると準備は終わって、いつ怪我人が来ても良いような状態になった。


 するとその時から、壊れた人形──生命としては殆ど死にかけの命が次々運ばれてくる。

 キリノさんはその人形を二つに分類する。今後に必要か不要か──私は必要と言われたものだけを修理する。命を大事にすると言うなら、運ばれてくるものを全て修理すれば良いのだけれど、それでは私の方が保たない。能力を使いすぎると疲れて眠ってしまうから、キリノさんの取捨選択は私が上手く働くための命綱だ。

 だのに、私はこの間キリノさんと言葉を交わすことができない。まだ出来るとか、大丈夫とか、眠くないとか。そういうことを伝えることができればもっと円滑に出来るのに、どうしても──キリノさんが「不要」と判断するときの表情を見ていられなかったから、見ないようにしていた。


 この後、彼がやってくるわけだけれど、その時からはキリノさんは自分のことを"『アザレア』側の人間"だと強調するようになる。

 でも、彼女がどうしてあんな表情をしながらも『アザレア』側に居続けたのかは、結局、私達にはわからなかった。



 しばらくして──、忙しさが少し和らいで、そのせいで気が緩んでか私がウトウト眠くなってきた頃。その時は突然やって来た。



「……患者が減ったね。そろそろ兵隊さんたちも帰っていく時かな。マリア大丈夫?眠い?」


「ん……」


「ジルさんから連絡があるまで我慢してね。……と、噂をすれば終わりかな?」



 医務室の内線電話がピリピリと音を響かせる。

 私は少し目が覚めた。この音は、仕事終わりの合図であるとともに、追加の患者が来る知らせでもあるから。

 キリノさんは「今行きますよ〜」と軽い調子で言いながら、当然彼女も疲れているのか肩をぐるぐる回すストレッチをしながら電話に出た。



「はい、こちら医務し……え?わかりました、すぐ用意します」



 カチャンと受話器をおいて、キリノさんはくるりと私の方を向いた。少し険しい顔をしていて、その表情からまた何か悪いことが起こったのだと悟る。



「マリア、眠いところごめんね。もうすぐ──」



 キリノさんが新しい仕事を伝える前に、嵐はやって来た。医務室前の廊下から聞こえる声──複数聞こえて誰の声かはわからなかったが、すぐに医務室の扉が開かれて、複数の人と物が雪崩れ込んできた。


 血だらけの患者が乗った担走車と、それを運んできたスーツの人物が二人……一人はジルさんで、彼もまた血まみれだった。

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