約束のおまじない⑵



「……や、やっばい、追手だ。今のでここにいるってバレただろうな」



 男の人はふうっと息を吐きながらいった。

 その時は言葉の意味がよくわからなかった。今こうして思い返せば、戦闘経験のない私でもすこしは理解できる。

 この男の人は部外者であり、『アザレア』内部への不法侵入か何かの罪で、レオさん率いる戦闘部職員に追われていた。そうして逃げる途中で怪我をして命からがら逃げ込んだのがこの部屋だった。

 そして今、いつも開け放たれているはずの部屋が思うように開かないとなったら、"侵入者が潜伏している"と察することができる、と。


 男の人の背後の扉がドン、ドンと立て続けに叩かれて激しい音を鳴らす。

 さらに、扉の向こうからは「侵入者発見!」などと、職員たちの声が響いていた。



「……マリアさん!巻き込んで申し訳ないけどひとまず隠れてて!危ないから!」


「ん、ジルのお友達のひと。ひょっとして悪い人?」


「……うん、そうだね。もしもあの時、僕がしっかりしていたら……なんて生意気だよね。ジルくんの方がずっとずっとしっかりしてたから」



 そう言いながら、男の人はドンドンと音を立てている扉を押さえながら、一旦鍵をかけた。それからもう一度扉の中心に触れると、鍵をかけた後もなお激しく叩かれて振動していた扉がぴたりと動かなくなった。



「……マリアさん、ここで酷いことされてない?」


「ひどいこと?」


「誰かに意地悪されたとか、叩かれたりとか。もしそれが嫌なら、僕と一緒に逃げようか」


「……えっと、ない。キリノは優しいから」



 そんなふうに答えたけれど、嫌だと思うことはやっぱりあった。『アザレア』で行われていることには、幼いながらも軽蔑していた。

 けれど『アザレア』に来てから持ち主が変わることが減ったということもあって、安定した自分の居場所という点では『アザレア』に不満はなかった。もし、この場で逃げようと提案したのがキリノさんだったら、きっと私はその手を取っていたことだろう。



「……あはは、意外と好待遇なのかな?うん、正直マリアさんを連れて、二人とも無事にここを出られるっていう保証もないし、無理強いはしない」


「──でも、助けられたことは事実だから、少しでもお礼がしたい。マリアさん、例えば今、何か欲しいものとかはありますか?」



 欲しいものといえば好きなもの。

 好きなものといえば、キリノさんが買ってきてくれるシュークリーム。

 そんなふうに単純に考えて、「シュークリーム……」と言いかけて咄嗟に口を噤む。

 扉の前に立って居る男の人を見て、"別れ"を連想した。そして、これまで経験してきた"別れ"を思い出した。その殆どが死別であり、死別を経験するたびに私の涙はこぼれなくなっていた。


 自分の寂しさを、思い出した。



「──お友達が、欲しい」


「お、お友達?」


「いっしょにお話できるお友達がほしい。キリノは優しいけど、その……ちょっと違うから」



 男の人はしばらく考えてから、「うん」と言った。

 そして扉から手を離し、私の元へゆっくりと近づくと、屈んで私と背丈を合わせるようにした。



「それじゃあ、おまじないをしよう。正直、ここから無事に出て行くことだけで精一杯なので、……僕が無事に帰って、マリアさんとの約束を果たすためのおまじない」



 男の人は左手で私の手を取り、私の手の小指に自分の右手の小指を絡ませた。



「……約束の、おまじない?」


「そう。でも僕との約束は誰にも言っちゃいけない。そうしたらきっと、マリアさんが怒られてしまうから。だから、内緒にしておいてください」


「ん、わかった」


「よし、それじゃ、僕は行くよ。マリアさんは……そこのクローゼットの中に隠れてて。巻き込んじゃうと、約束の意味がないからね」



 男の人の小指が、離れる。

 クローゼットに隠れるよう言われてその通りにする。隙間から少し外が見えていて、私がクローゼットに入っておとなしくして居ることを確認すると、優しい笑顔からキッとした真剣な表情に変わった。


 男の人は離れて行く──


 また、"別れ"を経験するというのに、不思議と寂しさは感じられなかった。きっと、おまじないのおかげだと信じていた。


 男の人は再びドンドンと叩かれている扉に触れた。

 そして──



「G.V.C −」



 小さな声で呟くと、これまで外で激しく叩かれていた扉が、外側──廊下側に軽々吹き飛ばされた。

 扉の目の前に居たらしい職員は突然自分の方へ飛んできた扉の下敷きになった。

 男の人はそれを軽く踏みつけて、とうとう部屋から出ていってしまった。



 その後、男の人がどうなったのかはわからない。

 ただ、ジルさんの人形はいくつか壊されて、私の能力では修復できない、目で見ても酷い状態のものもあった。キリノさん曰く、それは"呪いの類"らしいが、あの男の人がやったかどうかはわからなかった。


 この時、助けた男の人が私の欲しいもの──願いを叶えてくれたのかはわからない。

 けれど、もしそうなら、身勝手だったかもしれないとも思う。

 この願いのせいで、"彼"はこの先の荊道を歩む事になったのかもしれないのだと思うと後悔するし、実際に彼が傷ついていく姿をそばで見ていたり、治療をするときは本当に後悔した。


 けれど、一緒に居ることができて嬉しいのも事実。ああ、"彼"が傷ついて喜ぶなんて、本当どうかしている。


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