はじめての仕事



「オークションの一件はご苦労だった。"シエントを出し抜け"と無理難題を押し付けたつもりだったが、まさか本当にやってくるとはな……」



 とある一室。

 土の匂いも、風の匂いも、草の匂いも、動物の匂いもしないその部屋で、私はジルさんに会った。

 見た目も口調も怖いし、人の精神を乗っ取り操っていて怖い人。

 けれど当時の私は、"私の新しい持ち主"というさっぱりした印象を彼に対して抱いていた。

 尤も、私がここまで落ち着いている理由は、そんな怖いジルさんに対して、キリノさんが朗らかに笑う時があったから。ちょうどこの時も、私を略取したことを無理難題と表現したジルさんに対して、「無理難題ってわかっているなら報酬は弾んでくださいね」と笑いながら言っていた。



「ともあれ、このガキは『アザレア』医療部の要となる。しっかりと教育しておけ」


「……え?"やらない"んですか?」


「ふん……。桐野、お前は何やら勘違いしているようだが、希少と言われる治癒能力を俺が無駄にすると思うのか」


「……い、いえ。ちょっと意外でした。すみません」


「ガキ一人の精神を乗っ取るのは容易いが、その先の"神の賜物"まで介入して、破壊などしたら目も当てられないだろ。だから、お前がそのガキを使えるようにするんだよ」


「──幸か不幸か、物心すらついていないガキだ。拷問でも洗脳でも、別に何でもいい。組織に楯突かず、ただ淡々と仕事をこなすよう躾けろってことだ」



 そういうとジルさんは早々に部屋から出ていった。

 キリノさんは、「たはは……」と疲れたように笑っていた。



「キリノ?私、なにかするの?」


「……ああ、うん。そうだね。今までどうだったかはわからないけど、ここではマリアにもやってもらわなきゃいけない事がある」


「おしごと?」


「うん、そ、お仕事。……そうだ、マリア。何か好きなものはある?お仕事をするなら、やっぱりご褒美が必要でしょう?」


「好きなもの、好きなもの──」



 しばらく考えた後、私は「ない」と答えた。

 本当はあったけれど、家族、お父さん、お母さん、それとフカフカの羊──そんなことをお願いしたら、きっとキリノさんは困ってしまうだろうと思ったから。

 尤も、"好きなものが無い"という答えだって、キリノさんを困らせてしまうことには違いないのだが、この時の私は気がついていなかった。



「うーん、それじゃあ、これから好きなものをたくさん作っていこうか。マリアがお仕事を頑張ったら、ご褒美を持ってきてあげる。もちろん、本来、組織が支払うべき報酬とは別だよ。そう、特別に、私のポケットマネーでね!」



 こうして、『アザレア』での暮らしが始まった。


 新しいベッド、新しい部屋。これはいつも通り。前の持ち主の時もそうだった。


 新しい服は、質素なスーツ一式。

 正直自分には似合わないと思っていた。それに、洋服は前の持ち主のあの男の人に買ってもらったものが沢山あって別に困らない。


 新しい場所。『アザレア』の中は質素な真っ白い壁と、複雑なくねくね曲がり道でできている。

 ある時は豪邸、ある時は檻の中、そして今回は真っ白の中。外に出られないということは共通しているけれど、キリノさんがお仕事のご褒美として買ってきてくれるお菓子が結構楽しみだった。

 その中でも、さくさくふわふわの生地の中にクリームがいっぱい詰まったお菓子──シュークリームが私の好きなもの、ということになった。


 こんな風に日々を過ごしていれば、また持ち主が変わると思っていた。

 別に変化することを求めているわけでは無いけれど、いつものことだったから。きっと、大好きなキリノさんも、すこし怖いジルさんも、全く知らない"新しい持ち主"に殺される。それが、変化するけど中身は変わらない私の不思議な人生。これまでの流れだ。


 しかし、そういう変化の日は『アザレア』に来てから3日経っても1週間経っても、1ヶ月経っても訪れなかった。

 これまで、持ち主が変わるまでの最長記録は1週間と4日。最速で2日──いや、正確には、服を買ってくれた男の人から『アザレア』に変わった"おおよそ半日"という記録が一番早いのだけれど……とにかく、1ヶ月以上も──「ああ、こんな生活もう嫌だ」と感じられるくらい長く留まっているのは『アザレア』が初めてだった。


 新しい部屋と、たくさんの洋服、外に出られないという不自由さだけならまだ良かったと思う。

 そこに、『アザレア』から私に与えられた仕事が、私にのしかかってきた。


 私の仕事は治癒能力を活かした、"修復作業"。

 キリノさんからは、"人助け"と説明されたその仕事は最初こそ誇らしく思っていた。けれど、違和感を覚えてから、真実を知ってからは嫌になった。


 違和感は最初の仕事の時からあった。

 痛い痛いと獣のように叫ぶ患者。

 その身体をベルトで動かないように固定して、彼の背中にある、大きな口のようにばっくりと開いた痛々しい傷を治す……それが初仕事だった。


 傷を見た瞬間、怖くて泣いてしまった。でも、泣いていると怒られる。そばにいたキリノさんも一切手を貸してくれなかった。お菓子を買ってあげると言って、嫌がる私の手を強く引っ張って傷口に触れさせた。……そして、私の能力『聖母の祈り』は、傷をみるみるうちに癒していく。10分も経たないうちに、傷は完治した。


 すると、どうだろう。

 先まであんなにも泣き叫んでいた患者が、自らの手でベルトを外して「次の任務は、北西の魔物──」などと言いながら医務室を去っていった。

 私の手のひらには、彼の血液がベッタリとついている。彼を抑えつつ強引に治癒能力を使わせたキリノさんだって、獣のように激しかった彼の抵抗に疲れ果てているのに……当の本人は、まるで怪我などしていなかったかのように、さっぱりとしてどこかへ行ってしまった。

 それから数時間して、また彼が医務室にやってきた。今度は身体に大きな穴が開いていた。生きているのが不思議だと思うくらいのその様子は、また私を怖がらせたのだが……例によってキリノさんに強引に治療させられた。そうしてまたさっぱりとして「次の任務は──」と、どこかへ行ってしまった。


 その様子が、同じ人間だとは思えなかった。

 私だって転んだら痛いし、擦りむいたら傷口から血が出る、そこは同じだ。

 異なるのは、その治癒が自分で出来ることと、"痛いからもう転びたくない"と注意すること。


 けれど、その人にはそれが無かった。

 その人どころか、これまで医務室に運ばれてきたほとんどの人たちが、同じだった。

 傷が治ったら、任務。任務へ行って酷い傷を負って帰ってきて私が治すと、また任務……その繰り返し。

 そこに、感情はない。治療が終わった後に私が話しかけてみても、反応しない。


 不気味だった。

 だからといって、仕事をしないわけにはいかない。たまに、治療が終わった後、「ありがとう」と言ってくれる人がいる。全員が全員、"そういうわけじゃない"ということに気が付かされてからはもっと苦しくなった。

 運ばれてくる時は、そういう人もそうじゃない人も同じ。みんな苦しがって、痛がって、早く治してあげないとダメだという気持ちになるから、この人は"そういう人"だと言う区別がつけられない。

 そもそも、生きている以上、命に区別なんてつけられない。不気味だからといって助けないのは、許されないことだと、わかっていた。


 そうして、ある時。

 私は"そうじゃない人"に真相を聞いた。


 ──ほとんどの人がジルさんの"人形"なんだよ。


 そう話してくれたその人は、3日後に死体になって帰ってきた。

 この『アザレア』の最高責任者であるジルさんは、精神操作の能力で人を乗っ取って、自由に動かしている。


 そんなことをする理由の一つが、ただただ効率的というのは何となくわかる。私も、忙しい時はもう一人の私が欲しくなるから。

 さらにジルさんの場合は、人形として精神操作をした相手が希少な能力者でなければ、その相手が持つ能力を自由に行使できるのだと言った。

 いわば、火をつけるライターや水を出す蛇口や風を起こす送風機──それら便利な道具が、ジルさんの思いのまま動かせる。そして、能力は多種多様、使い方も様々であるから応用もできる。人が作った道具は人に定められた範囲でしか能力を発揮できないけれど、能力者を操り人形として自由に動かすことができるのなら、能力者のポテンシャルの範囲内での応用が可能なのだとか。


 それだけでも十分すぎるほどだけど、もう一つ、ジルさんが人を乗っ取る理由は、たとえジルさんがどんなことをしていても、誰も意義を唱えないこと。


 この『アザレア』という組織は、周辺の治安維持、他国の侵略、魔物退治などを行っており、実績と評判が良い。

 そのため、さまざまな人が『アザレア』の職員を目指すそうだが、その夢が叶うのは一握り。ほとんどの能力者は『アザレア』職員として働くことも叶わず、人体実験の材料にされる。


 どんなことを研究しているのかはわからないし、正直知りたくもない。

 ただでさえ、"人形の修復"という人の意思を無視した命の再利用のために仕事をして参っているというのに、そんなことを考えてしまったらどうにかなりそうだった。


 それに、言ってしまえば、"私には関係ない"のだ。

 仕事や、やることさえやっていれば、若干の不自由はあれど命の危険はない。私や私の周りの人が、人形や人体実験の材料にされるというならよく考えなければならないけれど、今のところ、身近にいるキリノさんなどにそういう話はでていない。

 それどころか、キリノさんはジルさんの秘書も兼任しているとかで、ジルさんもキリノさんを信頼しているように見えた。

 キリノさんが私と遊んでくれる機会が少なくなったが、その数少ない機会の中で、私に、沢山沢山良くしてくれる。


 そして、そもそも──

 家族を失い、持ち主が転々と変わって、その都度出会いと別れを振り返してきた私にとって、いまさら奪われて困る人や大切なもの、好きなものなんて、存在しないのだ。

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