あたらしい持ち主



 カシャン、と男の人の手によって首から錘が外される。自動車──昔は"ブルブルと息をする不思議な鉄の馬車"だと思っていた──の近くで、私と視線を合わせるように屈み、キュッと手を握った。



「うんうん。やっぱり、きみを見れば見るほどオークションの参加を申し出て良かったよ。きみ、名前はあるのかな?」



 男の人は恋をしているかのように頬を赤らめながら、私に名前を問うた。

 この時すでに、私は自由になれるなんて思ってもいなかったから、自分の命のために名前を隠そうとかそういうつもりは無かった。

 私の能力を求めて持ち主が変わる状況を、ただ流れるままに身を任せていた。この力があるかぎり、この身は絶対安全だと思っていたし、実際にこれまでそうだった。握りしめては萎れてしまう花のように、とても丁重に扱われてきた。



「マリア」


「ああ、マリアちゃんか。良い名前だね。それじゃあ、マリアちゃん。可愛らしいきみにふさわしい格好にならないとね」



 男の人は私を助手席に乗せて、車を走らせた。

 そうしばらく経たないうちに車は停まって、降りるよう促される。

 車から降りて見つめる先には、綺麗な洋服のお店があった。そうして真っ先に店のショーケースに張り付いて中の洋服を見ていた。



「洋服は好き……みたいだね。良かった。このお店……いや、この町にある洋服店全てを見て回って、マリアちゃんが気に入った服を買ってあげる」


「ほんとう?おかねは、あるの?」


「うん、本当……って、お金の話するんだね。そういうのは可愛くないから直してね」


「でも、おかねないと……」


「良いから、言うことを聞きなさい」



 怖い顔で、ぎゅっと頬をつねらる。

 痛くて涙がちょっと出たら、男の人は優しい顔に戻って、頬を撫でた。



「女の子の可愛い時は今しかないから、たくさんおしゃれをしようね。さ、行こうか」



 そうして、男の人は私をあちこち連れ回して、たくさん洋服を買ってくれた。私が着飾るたび、男の人は頬を赤らめて喜んで、時折私を抱き上げ大袈裟に喜んだ。誰かに喜ばれて、悪い気はしない。ちょっとした幸せだと思った。



「……と、電話だ。マリアちゃん、悪いけど少し待ってね。ほら、洋服を見てて良いから」


「わかった」



 買ってもらった服を袋から取り出して、鏡のように磨かれた窓ガラスに自分を映し、服を身体に当ててみる。

 いろいろ買ってもらったが、やはり白色が好きだ。

 大好きな空の雲と、羊や山羊の色──それが赤く染まって、死んでしまった家族との記憶を思い出す。



 ──はい、はい。

 ええ、予算と私の資金を合わせても買い落とせませんでした。申し訳ありません。


 ──今晩は一泊して、明日ご報告に戻ります。

 え?あ、はい……確かに実家はこの町の近くですが、母の見舞いに、休暇を?


 ──あ、ああ、いえ!ヨハネス元帥に気にかけて頂いているとは思わず、つい疑うようなことを……はは、ではありがたく頂戴いたします。



 男の人は、"不思議な独り言"もとい電話を終えると、私の元へ戻ってきた。



「だれとおはなししたの?」


「……ああ、上司とね。他愛のない会話だったからいいけど、盗み聞きは良くないよ」



 また、私の頬をつねった。

 さっきよりも痛かったけれど、不思議と涙は出なかった。



「さて、あまり連れ回してはいけないな。何か裏があるにせよ、おれと変わらない年齢で皇帝陛下に認められた人だ。どこかで見ているかもしれない」


「──マリアちゃん、今日からおれと一緒に暮らすんだ。まずはおれの実家で過ごして、その後どこか遠くに……」



 男の人は、私の背を押して車に乗るように促したと同時に後部座席の扉を開けて、新品の洋服でいっぱいになった鞄を座席の足元へ置いていた。


 その時、背後から「こんにちは」と女の人の声がした。

 私は誰かに肩を思い切り掴まれた。見るとそれは男の人の手で、その手は大きく震えていた。そのままの勢いで、私は強引に車の後部座席に転がるように座らせられた。


 バタンと、勢いよく扉が閉められる。

 車の外では、男の人と女の人が何かを話していた。

 綺麗な女の人。よく女の人が着るような、又は私が気に入って買ったようなふわふわとした服ではなくて、真っ黒なスーツで身を固めていた。

 何となく、母親のことを思い出す──と言っても、その女の人は私の母親と似ても似つかないのだけれど、私の持ち主になる人は決まって男の人だったから、女の人を近くで見ただけでこういう気持ちになったのだと思う。


 男の人と女の人は少し話をした後、どこかへ歩いて行ってしまった。

 二人の姿が見えなくなって、またしばらくして、車窓からぼうっと外を眺めていると、窓一杯に人影が映って間も無く、扉が開かれた。



「やあ、"マリア"。お待たせ」



 少し驚いた。「わっ」と声が漏れるくらい。

 気さくに話しかけてきたのは、一緒に服を買った男の人ではなくて、女の人の方だった。



「荷物は足元にあるやつだね。よし、これを持って、さっさと行こうか。気が変わらないうちにね」



 女の人は私の足元にあった鞄をひょいと持ち上げた。その時、スーツの上着の下、腰のベルトに革製のケースに収まったナイフが取り付けられているのが見えた。

 それを見て、この女の人が次の持ち主だ、と確信する。私の持ち主になる人は、誰もが銃だったり、ナイフだったりさまざまであるが、大きく分けて武器を持っているから。

 持ち主になる人が女の人は初めてだけど、何をしたら良いのかはわかる。大人しく、素直にしていれば、絶対に悪いことは起こらない。


 そう思って、女の人が鞄を左手に持ち替えてから私に右手を差し伸べるその前に、私は車から降りた。



「さあて、一緒に……て、あれ?いつの間に降りたの?」


「さっき」


「そうか、たはは……話が早くて助かるよ。うんうん、あまり長居は良くないからね。ひとまず一緒に行こうか」



 もう一度、改めて女の人は私に手を差し伸べた。

 その手を握ろうとすると、女の人は何故か突然手を引っ込めて、微妙な笑みを浮かべながら言った。



「失礼、自己紹介がまだだったね。私は──」



 ギルディア特殊能力研究機構『アザレア』

 医療部職員 桐野美鈴



 これが、キリノさんとの出会いだった。

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