蛇になった話

六散人

 

「サトシ君、お久しぶり」

声に振り向くと、見覚えのある面立ちの女性が、笑顔で立っていた。

頭の中で記憶を検索する。

確か、杉浦…、マキだ。


この地方には杉浦姓が比較的多い。

僕のクラスには、自分とマキの2人だけだったが、中には杉浦姓の生徒が4、5人固まっているクラスもあった。

だからと言って、必ずしも親戚筋という訳でもなかったのだが。


そういえば同姓の自分たちは、互いに名前で呼び合っていたことを僕は思い出した。

「マキさん、久しぶり」

何の工夫もない、鸚鵡返しの返事だと気づいた僕は、心中で苦笑する。

僕は今、小学校6年のクラスの同窓会に出席しているのだった。


マキと2人で差しさわりのない話をしていると、何人かが周りに集まって来た。

「サトシ、お前変わんねえな」

当時仲の良かったケンイチが、しみじみとした調子で言う。

そういうケンイチの方は、随分と恰幅がよくなっていた。

確か実家の工務店を継いだという話を聞いたことがある。


「そうでもないよ」

僕は差しさわりのない答えを返した。

小学校の頃は親友と呼んでよい程仲の良かったケンイチだったが、中学が別になった頃から徐々に疎遠になっていたのだ。

こうして会うのも、10年前の同じ同窓会以来だった。


そこから全員で、小学校の頃の話題で盛り上がる。

誰それが何をしたとか、誰それはああだった、といった他愛のない話題ばかりだった。

そのうち僕は、ある同級生のことを思い出した。

「そう言えば、6年の時に蛇に咬まれた子がいたよね」

しかし、その場にいた全員が不審げに首を傾げる。


「そんな奴いたっけ?」

ケンイチが、その場の皆を代表して言った。

「あれ、覚えてない?確か下校の途中に、急に草叢から飛び出して来た蛇に咬まれたって。ちょっとした騒ぎになったじゃない」

「そんなことあったかなあ。覚えてないなあ」

今度はマキが首を傾げながら言った。


「変だなあ。僕ははっきり憶えてるんだけどなあ。皆忘れちゃった?」

僕が少しむきになって言うのを、1人が「まあまあ」と言って宥める。

その時司会者がビンゴゲームの開始を宣言したので、全員の注目がそちらに集まった。

そして蛇に咬まれた少年の話は、そのまま有耶無耶になってしまった。


しかし僕は、同窓会の間中、ずっとそのことが気に掛かっていた。

――絶対間違いないはずなんだけどなあ。何で皆、憶えてないんだろう?

「まだ気にしてんの?」

同窓会が終わり、皆が三々五々帰途につき始めた時、僕の様子を心配したのか、ケンイチが声をかけて来た。


「サトシ、お前5年の時に転校してきたから、前の学校の時の記憶と混じってんじゃないの」

ケンイチのその言葉に、僕は戸惑いを覚える。

――あれ?僕って、転校してきたんだっけ?

そのことをケンイチに言うと、またも意外な答えが返ってくる。

「何言ってんだよ。5年の3学期に、長野から越して来たんじゃん。ボケる年でもないだろうに、お前大丈夫か?」


――長野?あれ?僕って長野に住んでたんだっけ?

僕は自分の記憶の曖昧さに、混乱してしまう。

「まあ、ガキの頃の話なんて、あんまり気にするなって。それじゃあ、またな。今度こっちに来る時には、声かけてくれよ」

そう言って手を振りながら、ケンイチは去って行った。


僕も帰宅するために、駅に向かって歩き出す。

僕の自宅は、近鉄名古屋駅から急行に乗って30分程の、三重県四日市市にある。

帰りの電車の中でも、駅を降りて自宅に向かうバスの中でも、僕はずっと、蛇に咬まれた同級生のことが気になっていた。


そして自分が小学校5年生まで、長野県で暮らしていたという記憶も曖昧だ。

と言うよりも、そんな記憶が欠落していると言った方が正確かも知れない。

かと言って、自分に名古屋で育った記憶があるかと問われると、それも曖昧だった。そのことが僕を、酷く不安にさせていた。

だが、両親は既に他界していて、兄弟もなかったので、そのことを確認する相手もいなかった。


悶々として家に帰ると、出迎えてくれた妻が心配そうに訊く。

「あら、同窓会で何か嫌なことでもあったの?酷く暗い顔をしているけど」

余程落ち込んでいるように見えたらしい。

「いや、そんなことはないよ。久しぶりに同級生に会えて、楽しかった」

僕は慌てて否定する。

その日はお風呂に入っている最中も、布団に入ってからも、ずっと蛇に咬まれた同級生のことが気になっていた。

そのせいで中々寝付けなかったのだが、3時近くになって、漸く浅い眠りにつくことが出来た。


そして僕は夢を見た。

そこはどこかの街中だった。

見覚えがあるような気もするし、初めての場所のような気もする。

民家や低層マンションが立ち並ぶ道を歩いていると、僕の前に男の子がいた。


その子はいつの間にか僕の前を歩いていて、すぐ近くを歩いているような気もするし、随分先を行っているような気もする。

その後姿から、小学校高学年の男の子のように見える。

いや、きっと6年生だ。

何故か僕はそう確信した。


僕はその子を追いかけようとしたが、体がゆっくりとしか動かない。

そのことが、とてももどかしかったが、必死で手足を動かして、男の子に追いかけた。

暫く行くと周囲の風景が変わって、草叢のような場所に出ていた。

その中に1人ぽつんと立っていた男の子が、こちらを振り向く。


その子には顔がなかった。

いや、顔は確かにあるのだが、僕がそれを認識できないのだ。

男の子は間違いなく、蛇に咬まれた同級生だと分かるのだが、どうしても顔が思い出せない。

何とか男の子に近づこうと、僕があがいていると、突然草叢から1匹の蛇が飛び出して、男の子の腕に咬みついた。


――危ない!

そう思った瞬間、目が覚めた。

時計を見ると6時前だ。

僕が身を起こすと、妻は隣のベッドで熟睡していた。

2か月前に娘を出産したばかりで、育児と家事の疲れが溜まっているのだろう。


妻を起こさないよう気を付けながらベッドを降りると、キッチンに行って湯を沸かし、インスタントのコーヒーを入れる。

そしてトーストを1枚焼いて、簡単な朝食を済ませた。

テレビの音量を落としてニュースを見ていると、寝室から娘の泣く声が聞こえて来る。

お腹が空いたのだろう。

そう思っていると、娘をあやしながら、妻がキッチンに入って来た。


「おはよう」

「おはよう。起こしてくれたらよかったのに」

「うん、大丈夫。それより、ミルク?」

「そうみたい」

「お湯は1回沸かしたから、すぐ湧くと思うよ」

「ありがとう」


僕の職場は大手の化学工業メーカーで、自宅からはバス通勤だ。

少し寝不足だった僕はバスに揺られながら、うたた寝してしまった。

そして浅い眠りの夢の中に出て来たのは、やはりあの少年だった。


「杉浦さん」

僕はその声に、ハッとして目を覚ます。どうやら会社近くのバス停に着いたようだ。眠りこけていた僕を、同僚が起こしてくれたらしい。

その日は1日中ぼんやりとして過ごした。

もちろん仕事はしていたのだが、集中できていたとは、お世辞にも言えない状態だった。


夜7時頃に仕事を終え、自宅近くのバス停でバスを降りた時には、既に7時半を回っていた。

バス停から自宅までは徒歩で7、8分の距離だが、灯りも人通りも少ない、寂しい道が続いている。

帰路の半ば程まで歩いた時、僕は行く手にぼんやりと浮かぶ人影を見つける。

仄暗い風景の中で、そこだけ妙に明るく見えていた。


その時何故か僕は、その人影が夢に出て来た少年であることを確信していた。

――何故だろう?

そう思いながら、僕は少年に走り寄る。

しかし彼は、そんな僕に気づいたように、後ろも振り返らずに走り去ってしまった。

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