第10話 背後をとった……ですわ〜!
「勇者の剣をお借りしますわぁ〜!」
「へ?」
途端、彼女が握っていた刃毀れし、半ば折れていた剣はエリーナの手に収まっていた。
だが、気づいた頃にはエリーナはファッグモアの先頭に乗って……あぁもう遠い。
彼女はボーッと呆気に取られて、そして自身が地面に足をつけていることに気がついた。
さっきまで浮き足は目の前にある。
ただ、地面が水浸しだ。
この地面は全くもって心地よくない。
「…ぁ……」
足元へとにじりよる、新たな血潮の波。
見つめた先にはぐちゃぐちゃになったオークの頭とオークの体。
さっき彼女を捕らえていたオークは、ファッグモアの濁流に飲み込まれてしまっていた。
だが、それはまた、彼女もその被害にあっていないといけない訳で。
「ぁ、ぁあ"……」
右半身はあまりの勢いに擦り切れ、右腕なんかは地面に落ちていた刃が具合悪く当たっていたみたいで、それは不細工な形で繋がっていなかった。
地面でくつろぐ冷たい血溜まりに、ダボダボと温かみがこぼれ落ちていく。
遅れてやってくる全身の鈍痛。
異常な腕の痛み。
彼女は呆気に取られて記憶がなかったが、何回か跳ねながら転がっており骨も折れていた。
ただ、目の前に転がり倒れているソレになっていたよりもマシか。と、痛みに溺れかけながらも冷静に状況を判断した。
どのみち殺されていた運命。
(止血…しないと……)
丁度いい。
目の前にはオークのきていた鎧。
体に巻きつける太めの革紐がついている。
彼女は自身の切り落ちた腕、その先の手を持って刃毀れした刃を握る。そうして鎧から紐を切り離し、歯を使いながら腕をキツく縛った。
止血は済んだ。
だが、彼女はそれをするには時間をかけ過ぎてしまった。体の底から冷気が漂う。呼吸もとてもゆっくりで、それはどこか熱を帯びていない。
喉が冷たい、まだ小麦ができるくらい暖かな時期なのに、とても寒い。
満身創痍。
体が白く、なっていく。
そんな時、彼女は巨影を前にする。
「……」
それは今の彼女を投影しているかのように片腕のないオーク。
いや、耳もない、鼻の両脇から生えていたのであろう牙は半ばと根本から折れている。
全身が血にまみれた巨大なオーク。
だが、オークの体はとても油分が高い。
それは体毛にも染み込んでいる。
少し立っていれば血なんてついていないかのような見た目になっていた。
そうして現れたオークは白く、けれど所々金毛が混じっていた。目には一本の深そうな傷。
恐らく長年生きて来たオークなんだろう。
しかしここまで白いオークと言うのはエデン村でも観測されていない。ただ、白毛個体は寿命の近い、老人であることはわかっている。
だからこいつは特殊な老個体。
そう考えた彼女は察する。
今を生き、教育され、数年の管理を見てきただけの若いオークよりも、過去も生き、見せつけられ続けた老いたオークの方が断然人間を憎く思っていると。
故に改めて覚悟する。
明確な死の鉄槌を。
「……むく、いる。…おまえは最後のひとり。ぜんぶみて、回った」
それを目の前で言われ、彼女は口を強く震わせた。
まだ探せばいるかもしれない。
そんな自分でも分かりきった希望的過ぎる観測。
主観だからこそわからないじゃないかで押し通せたシュレディンガーの法則。
それを第三者が確定させてしまった。
観測してしまった。
同時に、彼女は絶望の先にある何もない真っ白い世界に立たされた。
「つまの、むくい。人間のごう、お前がせおえ」
その白金毛のオークは夥しい血を今もなお地面に叩きつけている。目も何処か白く、もうとっくに意識なんてないかの様子。
けれど振り上げられる左腕は確かな力がこもっていて、強烈で。握る銀色の斧はとてつもなく鋭利で、大きくて。彼女はもう目を背ける体力もなくて。
「これで、屈辱と、憎しみは、おしまいだ。…ワレワレに…へいおんが、やっとーー」
「ーー背後を取った……。先制攻撃ですわ〜!!」
彼女の目の前で、大きくて真っ赤な肉の花が咲いた。
急に静止した白金毛のオーク。
そして飛来する甲高いエリーナの声。
オークの村がある方角へまっすぐ突き進んでいたはずのファッグモアの群れは、村の横の森から現れた。
エデン村はやってきた仕事の性質上村としての機能を高めてはいなかった。精々深くて広い掘りに木で作った塀を建てているくらい。
村の中心から十時方向に伸びている道の先には橋があるがもうそれは壊されている。
オークが襲来した時点でエデン村の住人の退路は無くなっていた。
だから普通、この中へはやってこれないはずなのに、そのファッグモアは2回も現れた。
それは、きっと波のように堀を飛び上がってきたからだろう。彼女の全身には激しい揺れが伝わっていた。
正直苦しいし痛い。
ただでさえ呼吸しづらいのに目の前をファッグモアが駆けている間一息もできない。
「やっぱりスピードこそ正義ですわ〜」
エリーナはそう言いながら天高く右腕を掲げ上げた。そこには銀色と金色の腕輪がついていて…大き過ぎなのだろう。それは肩までずり落ちていた。
「ぁいたっ…」
目をキュッと締め、可愛らしげな声を吐く。
だが、この現場は全然可愛くない。
ここに残ったのは瓦礫と色んな肉と肝の山と、たった1人の女性の命だけだ。
助かったのか、このまま死んでしまっていればよかったのか。
そんな答えを彼女は考える余裕なんてなかった。
ただ遠ざかっていく土煙を背中で受け止めながらある場所へ向かう。
全身の痛みがとても酷い。
そう思っていたが、今じゃもう何にも感じない。
歩く足にすら地面の感触がない。
力も入らない。
何回も転んだ。
転んだ痛みもない。
何度も這いた。
擦れる体に痛みはない。
彼女は村長の家へにたどり着くと、体をのっそりと打ち上げた。そしてまた、這う。
極限の眠りに近い意識の朦朧さに時折白目が顔を出す。
もう別にこのまま死んでもいいんじゃないかと、彼女は思った。
それでもなお、彼女は突き動かされていた。
村長宅にある隠し床。
その中に保管されている、秘薬の瓶を取り出し飲み込んでいく。
半分ほどは保険に残して蓋を閉める。
白濁としていた意識は、山水の様に澄み渡っていく。
体の痛みは広大な空へと打ち上がっていく。
腕は……流石に生えてこない。
彼女は秘薬という名に幾許かの期待をしていたが、そんな都合のいいものではなかった。
まぁそれでも全ての傷も痛みも全く無くなった。
効力は多分、間違いなくこの世界での一級品。
そう多くはない代物。
(村長、やっぱり私…悪ガキでよかったと思うよ。悪さして1日牢屋に監禁されていたあの日。無理やり檻をこじ開けて村長の家に殴り込みに行こうとしてこの話を盗み聞けたから)
彼女は半壊して見えている空模様と周囲を眺め、ものふける。
(……いやぁ、懐かしい。なんで檻が曲がってるんだってビビってたっけなぁみんな)
みんな。
みんなは。
みんなはもう、そんな顔をできないんだ。
みんなはもう、死んでいる。
みんなはここで眠りについている。
多分もう、墓を立てるのを見守ってもらう暇なく御伽話のエデンの園へ行ってしまった
(ここで生きているのは、私だけ)
彼女は完全回復し、異様にみなぎる力に体を震わせ立ち上がる。筋肉が張っているのが伝わってくる。
今日の朝の体よりも数百倍軽くなっている。
それは、この秘薬の効果だった。
彼女は家屋を出て少し歩き、白金毛のオークが持っていた銀の斧に手をかける。
「……」
それはファッグモアの波に飲まれても変形していなかった。
本当に長い間、鍛錬に鍛錬を重ね作られた業物。
魔法無効化、最高位防御魔法常時展開のオーブのはめられた武器。
人間を蹂躙する執念が作り上げた化け物の権化。
それはとても重い。
普通人間には扱えないのであろう重量。
けれど、彼女に取ってはすこぶる軽い。
持っている気分はまるで空気のよう。
だが振り切ればちゃんと身体が少し引っ張られる。
(斧なんて初めてだから使い方なんてわかんないけど………まぁ、試せばいっか。幸い奴らは無限にいる。最後の1人になるまで試し続ければいい)
その膂力は秘薬のおかげか。
それもあるだろう。
けれど。
「…最高の一撃を振りかざす為に」
ぶち壊された平穏と幸せ。
何もない、何も残らなかった彼女に残された事実として刻み込まれた記憶。
それが憎しみに取り憑かれた執念に化け、彼女の灰と化した白い心に火を灯した。
彼女はそう。
人間の姿と心を持った化け物ーー否、魔物となった。
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