第6話 秋空俊介くんを私は好きになった

私…鮫島瑞希は、一年生の頃、顔がいいと…とても……評判だった。


クラス内顔面偏差値なんてイタヅラなランキングを誰かが勝手に作って、そうして勝手に一位に君臨させられる程度には顔が良かった。



一応、顔がいいのには自覚があった。



手と一緒に肌や髪もお手入れしてるから、自信があった。


でも、そんな甘い蜜に寄ってきた男の子はみんなあっという間に冷めるように離れていった。

女の子はもとより鮫島瑞希という人間とは中々馬が合わないと言った風で、近くには既にいなかった。



私は高校生になっても、また、まだ、孤独になっていた。何も、変わらなかった。



一応何か変えようと思って色んな人に話しかけて、それこそ女子の輪に入ろうとしたけど、失敗してあの有様。


結局学校生活の中で誰かと言葉をかわす機会なんてプリントを渡し合う時くらい。



ただ1人を除いて。



入学当初から席替えが入るまで隣の席だった秋空俊介くん。


少し顔が怖く見えるくらいにはキリッとした顔立ちで、身長も私からしたらとても高い。

でも、彼は平均くらいだって言っている。


そんな彼は話しているとよく ノホホン と笑う。


キリッとしている顔が、とても優しく変わるんだ。

その表情に何か裏が見えるとかはなくって、自然な笑みを前に私は何年かぶりに心が昂っていた。


嬉しかった。

こうしてちゃんと話してくれる人がいて。


嬉しかった。

バカにするような言種で話しかけてくる人じゃなくて。


嬉しかった。

あだ名じゃなくて、私の名前をちゃんと面と向かって呼んでくれていた事が。



とても、とても、嬉しかった。




それは一緒に話していると泣けてきてしまいそうなくらい、嬉しかった。


でも、そんな日も長く続かない。


気が付けば席替えの時期。

席替えの結果は漫画やアニメみたいに上手くいかなかった。


とても遠くに彼はいる。


私が窓際の奥の方に座っていて、彼は教壇側の出入り口に席を構えている。




とても、遠い。




だから、とても悲しかった。


そして、私の隣の席になったのは、小学校中学校と同じだった男の子だった。

名前は覚えていない。

顔も覚えていない。

でも、知っている人だった。


そんな彼は言う。


「よぉー、スト。最近よく秋空くんと話してるよなぁ、付き合ってんの?」


ズカズカ、何の気なしに話しかけてくる。

彼自身には全く害意はないんだろうけど、私には迫り来る闇のような怖さがあった。


それは、まるで楽しい昼を終えて怖い夜が来てしまったようで。


ビクついたまま何も言わない私を見て彼はため息を吐いた。


「んだよまともに話してそうだから声かけてんのに全然何も変わってないじゃん」


その言葉は、勘違いしていた私の心を。


「変なのは変わってねぇんだな」


痛烈に叩き割ってきた。


「そ、そん、そんな…」


胸がギュッと苦しくなった。


でも正直、分かっていた。

私は別に変われていないということを。

秋空俊介くんという男の子が受け止めてくれていただけで…でもでも、今までそんな人いなくって、だから甘えて…。


「顔はいいのにそんなんだから嫌われんだよ。こんな奴と付き合ってる秋空くんって何考えてんのか。体のためとかかな」


悪寒が、走った。


それは多分、私の心にへばりついた醜い疑心の微睡。

あの日からずっとずっと絡みついていて、だからこそ簡単にはなくなってくれなかった、不安の塊。


どこか、秋空俊介くんという男の子と話している時でも、そういうことを考えた事があった。


私は変な子だ。


変で、変なのはつまり良くない事で。

みんなが言うから間違いなくて。

だから、そんな私と話してくれるなんて何か裏があるんじゃないかって。


私は顔がいい。


肌にも気を配ってる。

おばあちゃんが指だけじゃなく肌も髪も綺麗にするのよと言ってたから、頑張って毎日してる。


ご飯やお菓子を食べすぎないようにもしてる。


大好きなチョコレートは一日一つ。

体型の変化やむくみが極力起きないようにしている。


それもこれも、これ以上私が変な…やばいやつにならない為に。着飾って、誤魔化すしか手立てがなかったから。



だから、きっと、私の身体はとてもいい。



私は、目の前の彼からそんなことを言われて突然と真冬に立たされた気分になった。

それも、今まで着せてもらっていた服やコートを無理やり剥がされたまま、ただ1人ポツンと。


誰かに助けて欲しくなった。

辛くなった思いを発散させたくなった。

泣こうと思った。



けど、泣けなかった。



それはもうずっと、そうしてきたから。

それが癖ついて、涙が出なくなっていた。

氷が、蛇口を堰き止めてしまっていた。


でも中に渦巻く不安と苦しみの水は確かにある。

確かにあるから、溜まってく一方で。

私はもう。



壊れそうだった。



席替えの後の授業なんて身は入らなくて、ずっと吐き気が酷かった。手先も冷たくて、ペンなんて握ってられなかった。


こんな気持ちにさせてきた彼はもう興味なさげで、私を見なくなった。



私はあだ名をつけられてから周りの目を気にするようになっていた。


それもこれも、誰からも声なんてかけられないからだ。みんな心の中でどう思ってるのかわからなくて、私自身で補完するしかなくって、そうしていた。



それは秋空くんとも一緒で、いくら心開いて話してくれていると分かっていても、受け止めてくれると分かっていても、長く長く続いた私のこれはもはや性格の一部になってしまっていた。


私は私自身を変だと思う。


だって普通の人は変って言われないし。

だって普通の人はわからないことは聞いている。

だって普通の人は何も気にせず誰かと話している。

だって普通の人はとても感情豊かで、楽しそうにしている。


だから私は、違う。


「よっすー瑞希ー。遊びに来たよー」


そして、そんな誰とも違う変な私でも。


「ぇ……」


俊介くんは、歩みを寄せてくれていた。


「いや、席替えしたら周り女の子ばっかでさぁ、休み時間暇なんだよね」

「…ぁ、ぁ……」


彼はいつも通り話しかけてくれた。

何気ない感じで、気さくに。


だけど私は、今朝方と違って声が出なくなっていた。


とてつもない不安な心が私の心を蝕んでいた。

それでも期待する私の心は強く光を発する。

そしてそれを闇が抑え込む。


口から出るのは言葉なんかじゃない。


変な、声みたいなナニカだけだ。


「何だーその声。機械でももっとハッキリ声出すだろ、さすがスト。変だわ」


それは、彼だった。


授業を終えてスマホを触っていたようで、机の上には乱雑にそれが置かれていた。

スマホの電源はついたままだ。


そのまま体を捻って私の声を聞くなりそう言ってきていた。そしてまだ彼は言葉を綴るのをやめない。

その綴る先の言葉、それはもうわかっている。


心の内側がわからなくても、言おうとしていることはわかっている。


「なぁー」


だからもうやめてほしい。

そんな気持ちでいっぱいで。

もう吐きそうで。

泣きたいのに泣けなくて。


「秋空くんはさー」


お願い、なんでもするから聞かないで。

それだけは、聞きたくない。


「なんで」


嫌だ、聞きたくない。


「ストとそんな感じで話せんのさ」


聞かされる、また聞かされる。

嫌だ。



本音なんて、聞きたくない…。



「ぁー……」


お願い秋空くん、もう私に近づかないで…。

嫌だ…。


「ストって……なに? さっきも言ってたけど」

「ん? ……ああごめん、身内ネタ。小中こいつと一緒でな」

「あぁ。…ちなみになに起源?」

「ぁーえっとねー…ストレンジって言葉あんじゃん?」

「奇妙なって意味の」

「それそれ。んでこいつ、変だからさ。ストってあだ名付けられたわけ」

「……それが、あだ名…?」


やめてほしかった。

でも彼は言い切った。

その言葉の生まれも、理由も、全部。

秋空くんから一度も出たことのない「変」という言葉を明確に示して。


耳を防がせて欲しいと強く、空が張り裂けてしまうくらいに、泣くように叫んだ。



でも、体が言うこと聞いてくれない。



ずっと震えてる。

ずっと震えたまま動けない。

ずっとずっと、すっごく寒い。



なんで。



疑問に思っても、それが解ける訳じゃない。

ずっと寒い。凍えそうで、死にそうで、もうこの際死んでしまった方がーー


「瑞希が変…? …んぁーそうかな?」


ーー辛くないんじゃないの。


「ぇ……」

「……え、いやいや、変だろ言動全部、なんか、変だろっ」

「んー、まぁ君の視点がそうならそうなんだとしか言えないかな。ただ俺から見た瑞希は普通だと思うよ」

「…は…??」

「ちゃんと声かけたら声返ってくるし、話してたら話し返してくれるし。言葉にだって裏表がない。表情コロッコロ変わってかわいいじゃん」

「…そ、そうか…? え」

「まぁ別に人の意見だから受け入れろとか思わないけど、少なくともーー」



あぁ、何でだろう。

さっきまであんなに言葉を耳に入れたくなかったのに。



「ーー俺には普通の女の子に見えてるよ。…ぁ、特別みたいな話をするなら性格が真っ直ぐなとことか、笑顔が可愛いとことか。そこは普通じゃないな」



今じゃとってもその声と言葉を聞き入れたい。



「後声も可愛い。てかそもそもあれだ。君が感じてる変の方向性、俺からしたらマイナスというよりプラスなんだよきっと。普通よりもレベルが高いって意味のプラス」

「ベタ褒めするなぁ秋空くん…」

「いやだって本当の事だから。こんな女の子と話せる機会、俺の一生涯がもう一度来ても出会えないね」


そう、秋空くんは豪語する。

そしたら彼は圧倒されて、苦笑いを浮かべていた。


「あぁ、そう。…ぅん、まぁなんつーか…お似合いだと思うよ」


なんというか、なんとも言えないと言った風。

彼の心のうちを読めないから、今秋空くんの言葉を聞いて何を思っているのかわからない。


でも一つ言えることは、私は変だ。


そして、そんな変な私に肩入れする秋空くん。


きっと、彼は秋空くんのことをこう思ってる。


変だって。


「あぁそうだ」


秋空くんは空気の悪い微妙に長い沈黙を味わった後、彼に向かって声をかけた。


「な、なんだよ」


少したじろぐ彼は、見上げた先にあった顔を見て少しばかり怯えた顔をした。


「もう、瑞希に声かけないであげてもらえる?」

「…いや、それは…俺の…勝手だろ」

「君が顔を向けるだけで震えてるんだよ瑞希。多分君のこと嫌いなんだ。…普通の人なら、そういう気配りできて当然だよね」


それは、怒りでも何でもないはずのただの言葉。

表情も、落ち着いていて、それでいて、所作もおおらか。


なのに、とても怖いと感じた。

今まで感じた怖いとはベクトルが違う。

怒りをはらんだ、重たい空気圧。


私自身に向けられてないはずなのに、私まで足がすくんでしまった。


「わ、わかったよ。気づけなくて悪かったな」


そう言って彼はスマホを持ってどこかに行った。

そうして空いた席に秋空くんは悠々と腰を落とした。


「いやぁこの席が1番だな」


秋空くんはとても満足そうにそう言った。


それから私はまた、秋空くんとは普通に話せるようになっていった。


すぐにとはいかなかったけど、時間をかけてゆっくりと。


いつの間にか私たちはずっと一緒にいて、登下校も一緒にするようになって、帰りなんかはスタバとかコメダとかの喫茶店に行っちゃったりしてっ。


たった1人との付き合いなのに、まるで何百、何千人にも優しくされているような夢見心地。

今までを取り返すような幸せがギュギューっと私の心に押し寄せてくる。



その幸せは、そして、いい意味でパンクした。



これが好きという気持ちなんだと、私は理解した。

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