3月27日 

気分の落ち込みがひどい時には、自分の存在意義がわからなくなる。


一緒にゲームをする友達を見ても、一緒にやりたいではなく私は居ないほうがあの子達は強いからたくさん勝てる。


勝てた方が楽しいしそれならば私は居ないほうがいい、とか。


親にお金を貰ってまで生活している私は親の荷物にしかなっていない、弟や母に使えたであろうお金を私に使ってしまっている。


やっぱり私は居ない方がいいです。


そうなれば考えつくのは死だ。


私の悪いところだ、すぐ死のうとするところは。


どう頑張っても、どう足掻いても後ろ向きにしか考えることが出来なくなる。


全てにおいて後ろ向き、前を向けなくなってしまうのかも知れない。


もしかしたら前後自体がそもそも分からなくなって、がむしゃらに進んでいるのが運悪く全て後ろなのかも知れない。


限界が来ていてもそれに気づけないところが人間の悪い機能だと思っている。


限界が来ても体を粉にして必死に生きている人たちを見ると劣等感で潰れそうになる。


あんなにギリギリになってまで働いているのに私は何をしているんだと。


金がないなら働けと。


毎度毎度自分にそう思う。


何かあれば「たられば」を言い出す。


環境が、人間が、生まれたところが、才能が。


それらがあればこのようにはなってない、もっと凄い事になってた。


人間として出来上がってないのにそんな「たられば」を垂れ流したところで高が知れているのに。


馬鹿だ、大馬鹿だ。




最近は幻聴と幻覚、涙もろくなった。


日記なので症状も書いておこうと思う。


幻聴は人の声、喋ってる声とかじゃなくて「わぁ」とか「うー」とか言ってくるだけ。


集中してる時によく聞こえてくるから集中が切れる。


男っぽい声だからシンプルに驚く。


幻覚は視界の端に黒い影なのかテクスチャがバグった時みたいに黒塗りになるみたいになるのがよく出てくる。


たまに人型に見える時もあるから本当に怖い。


最近はどちらも出てくるとしんどいので、パソコンの画面とヘッドセットをずっとつけている。


何も見たくないし何も聞きたくない。


そう考えたら音楽は救いだった。


何も聞きたくないが、聞いていないと声が聞こえる。


ただの音の羅列があんなに人に影響を与えるのかと思うと不思議でならない。


いつもなら煩わしく感じる人の声も、歌声となると心地よかった。


歌というものは私の思ってるより素晴らしくすごいモノなのかもしれない。


思ったより涙もろくなって最近困っている。


仲良くなったネットの友達に「〜〜で君のことは気に入ってるよ」なんて言われたらひとたまりもない。


すぐに涙が出てしまう。


どういう感情なのだろう、嬉し涙なのか自分でも分からない。




いつか「これだっ!」という存在意義を見つけられたら良いのだけれどね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る