極彩色、光り輝く

古 散太

極彩色、光り輝く

 人生も長く生きてると、何度かぐらいは不思議な体験もあるものだ。

 そのうちのひとつの話をしようと思う。

 三〇代前半のころのあの日、私は仕事が休みだったので家でぶらぶらしていた。妻も家にいたが、彼女は家の事を頑張ってくれていて、朝から忙しそうに動き回っていたと記憶している。

 私たち夫婦は、その一年ほど前に飛行機で二時間ほどの距離の、まったく見知らぬ土地に引っ越しをしてきた。いわゆる移住と呼ばれるものだ。縁もゆかりもなく、妻がこの土地に住みたいと言ったので、すべてを捨ててこの土地に移住したわけだ。

 なので、暮らしはじめて一年ほどではまだまだ知らない場所や道が多く、そんな場所をドライブするのが、私にとっては楽しい時期だった。

 あの日、なぜだか急にドライブに行きたくなった私は、妻に声をかけたが、忙しいことを理由に「ひとりで行ってきて」と言われ、ひとりで出かけることになった。

 車はそれほど大きくない国産の四輪駆動車。

 免許証や財布など、必要最小限の荷物をいつも入れている小さなショルダーバッグを助手席に置いて、エンジンをかけて、車を出す。

 いつもなら近所まわりの知らない場所を見てまわることが多かったので、平日の午前、道路状況を考えると、主要道も空いているだろうと考えて、その当時、何度か行っただけの北に向かう道を行ってみようと決めた。私の暮らすアパートから北へ向かうには、主要道をぐらいしかなく、それ以外はおどろくほど遠回りの道しか知らなかった。

 私はアパートの敷地を出て、住宅街のこまごました道を抜けて、交通量の多い駅前の道に出る。この道を南に向かうと街のほうに向かうのだが、その途中には全国的に有名な大学がある。通称だが、その大学の名前がついた道を北に向かって進む。二度ほど右折や左折をすると、主要道に出る。

 唐突だが、私の好きな音楽がいわゆるルーツミュージックと呼ばれるジャンルで、ブルーズやオールディーズ、レゲエやスカなどの古い音楽だ。そういう流れもあり、車に乗り始めたころから、私は運転中に音楽をかけているのが当たり前だ。今でも車の中ではカセットテープで音楽を聴いている。

 あの日、最初は違う音楽をかけていたと記憶している。好きな音楽がルーツ系というだけで、演歌以外は何でも聞く人間だ。たしか、車のスタート時はメタリカのセカンドアルバムだったと思う。

 主要道へ出ると、思いのほか交通量は少なく、車の前後の間隔は充分すぎるほど空いていた。

 季節は忘れてしまったが、快晴の平日の午前、前方にも後方にも、車はすくなく、とても気分の良い状態になっていた。

 主要道もそれなりに北のほうに進んでいくと、周囲の風景が変わっていく。北に向かう状態では、西側に護岸工事の出来ている、ほぼ用水路のようになっている川があって、それがずっと南北に続いている。北に向かうということは、西側はいつまでも川があり、その向こうは住宅地だ。東側にはさまざまな店が並んでいたが、街から離れていくことになるので、それまで並んでいたさまざまなお店も、すこしずつ減っていき、空き地や大きな高齢者施設などがぽつぽつとあるだけになっていく。

 しばらく行くと、川が主要道の下をくぐり東へ進路を変えるようになるため、道路は小さな橋のようになり、緩やかな坂をわたっていく。

 気分的には雄大な風景も相まって、とても心地よく、心が広がるような気分で運転していた。

 そうなるとメタリカのような音を詰め込んでいるような音楽ではなく、もっと隙間のある音楽を聴きたくなり、私は信号待ちのタイミングで、メタリカからモトリークルーのカセットテープに変えた。いろいろな音楽が好きな人なら、このあたりが中学生のころ聞き続けた音楽だと言えば、私の世代が分かるだろう。

 モトリークルーは四枚目のアルバムを最初から聞きはじめる。

 川の上を通過してすこししたころ、モトリークルーの四枚目のアルバムは、二曲目がはじまろうとしていた。バイクのエンジンの空ぶかしの音が何度か聞こえたあと、ドラム、ベース、ギターがF5のコードを一斉に鳴らした。

 その瞬間だ。ハンドルを握っている私の目の前は極彩色に変わった。ビビッドな色というよりも、いつも見ている色のすべてが光を放っているような印象だった。

 街路樹や道端の草はより輝きを増し、空はあふれんばかりに空の色。前方に続く道路のアスファルトや脇にあるガードレールでさえ、その裏に強力な電飾でも仕込んであるのかと思うほど、自ら光り輝いていた。

 このときは快晴で、雲から太陽が顔を出したわけではなく、ずっと太陽は地上をらし続けていたので、急に光が当たったというわけでもない。

 ただ、私はこの直前まであることを考えていた。本来であればモトリークルーのようなロックを聞きながら考えることではなかったのだが、禅の公案についてぼんやりと考えていた。

 禅の公案とは、いわゆる禅問答のこと。師匠が修行者の進捗具合を図るもので、知識で考えても答えの出ない問題を修行者に与え、修行者は入り口さえない問題に対して、とりあえず考えることしかできないので、考え続ける。どれだけ頭でも考えても答えなど見つかるはずもなく、考えることに疲れ果て、考えることを放棄した瞬間、悟りを得ることもある、というものだ。

 有名なところでは、アニメでもおなじみの一休禅師が、ある日の夕方、池に浮かべた小舟の上で瞑想しているとき、頭上を一羽のカラスが「かー」と鳴いた瞬間に悟ったと言われている。他にも、竹藪を掃除しているときに、たまたまほうきで跳ねてしまった小石が、竹に当たった音を聞いて悟った禅師などもいる。

 いろいろな偶然が私に重なり、縁あって、若いころに手にした禅の本に載っていた「百丈野鴨子」という公案が、ずっとその本質が見えそうなまま見えずにいた。

 主要道に出てしばらくしたころから、とくに意識をすることなく、なんとなく考えていたのだと思う。

 そしてこの瞬間、私はこの公案の本質を見ていた。二〇年、考え続けてきた公案の本質が見えたとき、私の見ている世界では、色があふれ、すべてが光り輝きだしたのだ。有機物、無機物の区別なく、目に入るものすべてが同じように輝いていた。

 それと同時に、私はすべてを理解したと感じていた。実際にどうなのか調べようのないことだが、すくなくともその瞬間の私は、すべてが分かった。何が分かったのかと聞かれると、答えようはない。生まれる前からすべてが分かっていた、ということが分かった、というと近いのかもしれない。

 この分かったことを一言で表すと「すべてはひとつである」ということ。

 そこからが大変だった。

 なぜかうれし涙があふれて止まらないので、前方を見ることが困難になり、私は車を路肩へ寄せた。幸い、この地域はほとんどの場所で道幅が広く、路側帯の内側もかなり広く用意されでいたので、車はすっぽりと路側帯の中に入る。周囲には空き地が広がっていて、歩行者や自転車などもまず通らないというのが、周りの目を気にせずにすんで良かった。

 車を停めて、ハザードランプをつけると、私はシートの背もたれに全体重をあずけた。そして笑いが止まらなくなっていた。うれし涙と楽しさと面白さが、次から次へと押し寄せてきた。ゲラゲラ笑うほどではなかったが、ずっとへらへらと笑って、涙を流していた。

 そのあいだも世界は色とりどりに光り輝いていた。それは生命の輝きだと思った。道端の名も知らない雑草でさえ、強烈な色と光で自己主張をしていた。通りすぎていく誰かの車も、その運転手も、私の車の内側も、私の手足も、すべてがその色を強力にした上に光り輝いていた。

 すべてが分かった気になっている私は、とても幸せだった。これまでの人生を振り返っても、このときほどの満足感や充足感を感じたことはない。人生最高の一瞬と言っていも過言ではない。

 そんな状況がずっと続いた。へらへらと笑って、うれし涙を流し続けていた。誰かに見られたら、廃人に見えたかもしれない。しかし私は幸せだ。

 この世はかりそめであること、本質は目に見えるものではないこと、愛がすべての源であること、今、ここに生きていることが人のすべてであること、そして、「百丈野鴨子」の答えを知った。

 モトリークルーの音楽は、当たり前だが何曲も先へ進んでいた。

 一時間近く経とうとするころ、すこし落ち着きを取りもどした私は、ポケットからハンカチを取り出し、涙を拭いた。興奮しすぎて頭がすこしぼんやりしていた。まだ思い出し笑いのように、楽しさや面白さがぶり返してくるが、最初のインパクトほどはやってこなくなっていた。

 私はカセットテープを止めて、ほどほどの静寂の中で考えをまとめた。

 これが悟りなのかどうかは分からない。スピリチュアル界隈で言われるワンネス体験だったかもしれない。教えてくれる人がいないので、私は自分なりの結論として、悟りの一部を得た、というところを落としどころにした。そう、私は悟ったのだ。すこしだけ。

 味わったことのなかった高揚感がすこし落ち着き始めたころ、私はハンドルを握った。もう一時間以上過ぎているので、北に向かうドライブを切り上げて帰宅することを選んだ。誰かにこの体験を話したいというのもあって、早く妻に会いたかった。

 来た道を戻るようにして家に帰ると、妻は驚いた顔をしていた。それはそうだろうと思う。出かけて一時間ほどで、泣きはらした顔で三〇代の男が帰って来たのだ。

 私は、車の中で起きたこと、何を見たか、何が聞こえたか、どんな気分だったかを事細かく説明した。

 私が禅の思想に影響を受けていることは、もちろん妻も知っている。そして私が体験したことを、どれだけ言葉にしても通じないことも分かっていたつもりだが、できるかぎり伝えたつもりだ。しかし妻の反応は、「ふーん、よかったね」だけだった。子供が学校で褒められたことを報告したときの母親の反応と同じだと思った。

 あれからかなりの時間が経ったが、その後も同じような体験を二、三度している。最近でもまだ、見ている世界が突然、その色を強烈にして光り輝いているのを見ることがある。これが何であるかを問うことはしないし、知ろうとも思わない。

 ただ、それなりに長く生きていると、不思議な体験があるものだと、しみじみ思いだしている。これはその記録のようなものだ。

 ただ、あの色の鮮やかさを他で見たことは、まだない。


     完

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