不遇と夢と恋(1)

『株式会社 新山あらやま電池製作所』


 大きな企業の子会社で、この地方都市 来勿くな市から、大手メーカーの車用バッテリーや自衛隊、警察といった公職への特殊車両のバッテリーを届けている工場である。 東京から電車で二時間以上離れた、この地で『はざま アズマ』は働いている。


 身長の高い陰気そうな眼鏡のアラフォーと言えば大体想像イメージが固まる。 ただ、人当たりは良く悪くない印象を持たれている。そんな彼は今日は検品作業に追われていた。ゴトゴトと騒音基準値ギリギリの駆動音がする作業場で。


「……外観に異常あり。 代替品お願いします!」


 ベルトコンベアに五秒に一個のペースで流れてくる車のバッテリー商品の最終チェックをしながら、その場で直せる物は直していく。 それを一日 五千個前後。目を皿のようにしてみる作業はとてもキツイが、アズマは割と好きだった。 慣れれば自動オートメーション的な動きで、あとは好き空想していられた。 思考の自動化と空想思考、二つを両立させることがアズマにとっての特技だった。もっとも、それが何かに繋がる訳では無いのだが。


 そんなアズマでも長時間の中腰姿勢が仇となり腰を叩いたり、流れる商品の隙をついて反らす事ストレッチが増えてきた。


いつっう……」


 今度は腰を回そうか、そんな風に考えていた瞬間にチャイムが鳴る。まるで学校のような鐘の音。


「――――お昼か」


 十一時五十分。 ここから十分は工場の稼働を止める為の予備時間だ。スイッチ一つで止まる箇所もあれば、完全に止まるのに時間がかかる所もある。 幸いアズマの作業場は数個 商品が流れてくるだけで稼働が止まる。


「――――」


 出勤を管理するカードキーを真っ青な作業着から取り出すと、アズマは難しい顔をした。 まるで食事に決心がいるかのようだ。


「よし」


 誰にも聞こえないような声で気合を入れると微かな機械音を出す作業場から踏み出した。作業場から社員食堂まで五分かからないくらいの位置にある。 ここでは役職に関わらず職員は真っ青な作業着である。目がくらむ程の青い集団職員達が長机に座って各々の食事をしていた。その食堂の入口でアズマは一瞬立ちすくむ。


――――


 そう感じるような圧力。


 もちろんそんな事は無い。 アズマに構う前に目の前の食事を口に運ぶか、スマホを見ながら食べるか、仲間と談笑しながら食べるか。 誰一人としてアズマを気にしてない。食堂の調理員は今、まさに戦場だ。そんな事はアズマ自身も知っている。 だが、目に見えない視線を感じる。それの名は被害妄想幻想だとしても。


「おい」

「あっ……栗田さん」


 スキンヘッドの大柄の男性が入口で突っ立ているアズマに声をかけた。


 栗田くりた 正道まさみち 五十歳。 アズマのいる職場の班長だ。


「誰もそんな目で見てない、大丈夫だ」

「ええ、それは分かっている……んですけど」

「そうか……」


 言葉が続かないようで栗田はしばらく考え込み、口を開いた。これ以上、大丈夫と言える雰囲気ではなかったからだ。


「無理する事は無いぞ」

「はい、ありがとうございます」


 結局、無難な言葉で栗田はお茶を濁した。励ますことも容易ではないからこその苦渋の言葉である。 それを知っているからこそ、アズマは少し深いお辞儀をして、その場を去った。


 『セボンイレボン アラヤマ工場店』


 全国展開している大手コンビニ、通称セボン。 福利厚生も兼ねて工場内にコンビニがある。そこでアズマはおにぎり二つと揚げた鳥、ルイボスティーを買い、カードキーで支払った。 カードキーは工場内で電子マネーの代わりを担っていた。


 温かい物も冷たい物もぬるい物も一緒くたに袋に入れてもらい、そのまま食堂ではなく自分の車が止めてある駐車場に足を向ける。自分の車で食事を取る人間は少なくない。 特に全国で感染症が流行った事もあって人混みを避ける人も増えた。


 そういった人間に紛れるようにアズマは食事を取った。モソモソと食べる姿はただ腹を満たす為の行為だった。 さっと食べて車で休む……そんな雰囲気さえ無い。


 アズマが人を避けるようになったのはある事件がきっかけだ。


 ――――硲 アズマ が横領している


 そんな噂が流れた。


 棚卸しと言われる備品や材料、工場内の商品の在庫を確認する作業。 その作業で必ず原因不明の不一致が発生した。 予定数より足りない。


 それが、アズマによって盗まれている。そういう噂だった。もちろんアズマはそんな事をしていない。だが、悪い事にある程度信ぴょう性のある話として広まった。コンプライアンスがある以上、明確な証拠が無い段階でアズマを糾弾する事は無かったが、それでも視線は止められない。


 だが、犯人はあっけなく見つかった。それはアズマの先輩だった。


「アズマが昇進するって聞いた、俺の方が先輩なのに」


 たったそれだけだった。 アズマにはまだ届いた話では無かったし、アズマはこの会社で昇進して責任を増やすつもりも無かった。 ある程度の生活ができる賃金を得る手段であり、それ以上は求めていなかったらである。


 だが、運悪く先行して話を聞いた犯人は、事を起こしてしまった。


 『不運』 それで済む話では無い。だが自体は解決し、後はアズマの心の持ちようだけだ。だが、重りがついたような心はアズマの言う事を聞いてはくれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る