第37話 異世界編 瓦解【嫉妬】

 私が生まれた時、そこにはカトレアのように可憐な少女がいた。肩より少し短くカットした髪を、フィカスベンジャミンバロックのように丁寧にカールさせ。黒目がちの奥二重は、子供ながらに見る者を虜にし、本人の意志とは裏腹に男を狂わせてしまう程の魔力を備えていた。



 そんな少女の虜になる少年達は多く、醜い豚のような容姿をした男の子もその一人だった。
彼は少女に構ってもらおうと、そこが他人の席であることなどお構いなしで隣に座り込んでは、何度も執拗に話題を投げかけたのさ。
『昨日のドラマ見た?』『あのお笑い番組面白くない?』『好きなアイドルいる?』そんな具合にくだらない話題をね。子供だからねぇ。
けれども少女は『あぁ。』とか『見てない。』と素っ気なく答えるだけで、男の子の言葉を、何処か遠くの国のニュースでも聞くみたいに全く相手にしなかった。



 一方で私達の愛し子はというと、とりわけ何をしたというわけでもないのに、すっかり少女に気に入られてしまって。
事あるごとに話しかけられたのさ。
『好きな子いるの?』『席隣りだね!』『昨日のドラマ見た?』そんな具合にね。
イベントで肝試しをやった時なんかは、ペアになれたばかりか終始腕まで組まれて、おまけにお化けが出てもいないのに『きゃあ』なんて抱き付かれて、愛し子は生まれて初めて少女の魔力に絡め取られたのさ。
だが、自らの幸せが他者の醜い感情によって台無しにされるなんて話は何処にでもあるだろう?真に受容が無関心から来るとするなら、それ以外の感情は大抵は嫉妬から来るのさ。私はあいつよりも優れている。私はあいつよりも持っている。私は、私はってな具合に恐くて堪らないのさ。恐くてたまらないと人はどうする?群れて、自らの価値観に正当性を持たせようとして個を失うのさ。競争社会に毒された愛すべきマジョリティさ。


 そんな風にして愛し子も嫉妬されたんだ。二人の様子を陰ながらずっと見ていたやつが居たのさ。そう、豚のようなあの男の子が…
男の子の中にはいつしか、沸々と煮えたぎるような嫉妬の炎が燃え上がり、ある日それが爆発したのさ。いや…暴発の方が正しいね。男の子は少女を呼び出して、何故自分に冷たくするのかを問いただしたのさ。
少女の答えはこうだ。


『だって太ってる人嫌いだから。』


 残酷だねぇ子供ってやつは。
男の子は少女に相手にされないと分かると、頭の血流を激しく波打たせ、血走った眼で少女を睨み付けると、頬目掛けて拳を振り下ろしたのさ。


 ゴリッ。


 鈍い音がしたのを周りにいた誰もが聞いていたよ。女の子は腫れた頬に手を当てながらしゃがみ込むと、大粒の涙を降らせ続けたのさ。
その時、私達の愛し子は何をしていたか?
何も出来ずに黙って見ているしか出来なかったのさ。豚のような男の子は体躯も良かったし到底敵わないからね。
その一件以来少女は、愛し子とも距離を置くようになったのさ。そりゃあ当たり前だよ。
自分が襲われそうになる時に、黙って見ているような意気地なしなんだからね。
いつしか少女は違う男の子と仲良くし始めて、愛し子のことなどすっかり記憶から消し去ってしまったのさ。愛し子はその時になってやっと、あの豚のような男の子の気持ちが分かったんだ。


 何故僕よりあいつの方が好きなんだ?あいつだって君が殴られたのを、黙って見ていたじゃないか?顔だって僕の方が綺麗だし、あいつなんて、踏み潰された蛙みたいな顔で、いろんな女の子にいい顔をしているだけの女ったらしじゃないか。君もすぐに飽きられて、おまけ付きチョコみたいに、一口だけかじられて捨てられてしまうんだ!僕は君の事を思って言ってあげているんだ。本当さ!君の事だけをね!
そんなことも分からないなんて…ひょっとしたら?本当は君は馬鹿なんじゃないか?
きっとそうだ!だから僕の気持ちを理解出来ないんだ!そもそも不釣り合いだったんだよ僕達。レベルが違い過ぎたんだ!


 醜悪だろう?あぁ。私達の愛し子。そうでなくっちゃつまらない。お前が一番醜悪さ。
お前以外の人間共なんざ、塵にも等しい。周りの連中はレベルが低過ぎてあんたの崇高な考えを理解出来ないのさ。そうさ。エネルギーってやつさ。やつらはエネルギーが悪いから、あんたよりも位が下になるんだ。
やつらの頭の中の化け物は常に横並びだからね。心の深淵では誰よりも輝きたいと願いながらも、頭の中の化け物ははみ出た思考を喰い尽くすのさ。結果、個性だの何だのやたらに主張しておきながらも、その実やっていることと言えば、惨めったらしく承認欲求を燃え上がらせるけことだけさ。それに比べてあんたのエネルギーは綺麗だねぇ。苔むしたネズミの死骸並みに綺麗な色をしているよ。


 私の名前はペルテ。醜い人間共は原初の魔女だとか呼んでるみたいだね。
私は三姉妹の次女。恨みの大地が私の棲家さ。
私の住む恨みの大地では何もかもが醜く歪んだ形をしていて、一つとして真っ直ぐなものは存在しない。そう。この私以外はね。
美しく通った鼻筋。妖艶な切れ長の眼。細く繊細に並んだ指先。すらりと伸びた長く細い脚。この世界で唯一美しいのはこの私だけ。
木々の幹や枝は螺旋のように捻れ曲がり、決して花や実をつけることはしないし。
流れる川には恨みがましく粘っこい汚泥が、水の粒子を黒く染め上げ、そこかしこに腐臭漂う魚の死骸がぷかぷか浮いている。
空を彩る星々は、水面に浮かぶ月影を乱したが如く歪んで、破滅の時を刻一刻と歌っている。
だが、この大地で最も醜いものはね…それは、あんた達人間共なのさ。どんな木々よりも醜く捻れ、どんな溝川よりも鼻をつく汚泥に塗れ、自ら破滅の時を歩み続ける愚かな生き物。それが人間さ。


 承認欲求の奴隷と成り下がる者達は、人の評価ばかりを気にするあまり個性とは正反対へと歩き出し、一人に愛されるよりも百人に認められることに渇望するのさ。
自分より数の多い方が優秀。沢山に認められることで真実になると本気で信じている愚か者達さ。
自身より多く所有するものに嫉妬し、自分磨きとは名ばかりのペルソナに支配された傀儡でしかないことにも気付けない。
求めれば求めるほどに失うものが何だか分かるかい?
それは己さ。自分らしさだとか、唯一無二でありたいと願うのならば、探すのを辞めることだね。考えてもみな?自分自身は今この場所に立っているのに『私は何処?』なんて探し回る馬鹿がいるかい?同じことさ。
私はここにいるだけ…その真実さえあれば、探す必要なんてなくなるのさ。
求めるのは自分には無いと信じる証拠さ。
既に有るものを無視して、自身に都合の良い自分らしさばかりを求めて無くすのさ。
求めては捻れ、求めては塗れ、破滅の道を行く愚かな生き物。それがあんた達人間さ。


おっと。時間だね。長話が過ぎたね。
もうすぐ私達の愛し子が降って来るよ。
あんた達人間同様、捻れ、塗れた破滅の子が。
さぁ時を一つ進めよう。あの子が来るまでチクタクチクタク…チクタクチクタク。


【続く】

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