第36話 異世界編 瓦解【渇き】
私が産まれた時、あの子はまだ年端もいかないガキだった。純真無垢なね。純真程残酷なものはないと思わないかい? なんせ罪を犯しておきながらも、それが悪いことだとは全く思っちゃいないんだからね。 ただ欲しかっただけなのさ。良いと思ったから手に入れただけ。キラキラ光るアレに魅せられたのさ。 目の前で仏頂面した男が、爬虫類じみたじっとりした目つきで睨み付けている間もずっと、悪怯れる様子もなく、神に奉仕する聖歌隊の少年さながらの無表情で、あのガキは後ろ手にアレを見事に盗んでみせたのさ。 緊張なんかするわけないじゃないか。器用なもんさ。大人顔負けの犯罪を平然とやってのけたんだからね。生まれながらに穢れを孕んだガキだよ。仏頂面の男はというと、あまりにガキが無垢な表情で見つめてくるもんだから、すっかり騙されちまってガキに微笑みかける始末さ。
そのキラキラをどうしたのかって? 大切にしまい込んだまま、捨てるその時まで見ることも触れることもしなかったんだ。 自ら欲したくせに、目もくれなかったんだ。 あぁ。愛しいねぇ。あのガキが愛しくてたまらないよ。純真無垢でいて邪悪なあのガキが。 お陰様で私はこうして生を受けたのさ。あぁ私達の愛し子。
私の名前はポーヴル。人間達は原初の魔女とか呼んでいるみたいだね。 三姉妹の長女で下に二人の妹がいるのさ。 私の見た目が気になるのかい?どうせ人間共のことさ、醜い鷲鼻で、ボロ雑巾のようにほつれて薄汚れた肌、背骨が皮を突き破らんばかりの、茹でた海老みたいにひん曲がった背中。 蜘蛛の巣のかかった馬鹿でかい帽子に、蛇が絡み付いたような杖を持つ老婆でも想像しているんだろうよ。
いいだろう。教えてやろうかいね。 じゃあ質問だ。これを読むあんた自身に問う。 あんたの思う最も強欲な人間を想像してごらん。男だろうと女だろうとかまうもんかい。空想でも現実でもかまわないさ。 さぁ一体誰の顔が浮かんだんだい?教えとくれ?
チクタクチクタク…チクタクチクタク。
はっは!残念ながらあんたが思い浮かべたどの人間とも私は似ても似つかないね。 私に最も似ているのはね…強欲な人間を想像しようとしたあんた自身さ。 はっは!まさか自分は強欲なんかじゃないとでも言い張るのかい? 自分のことを差し置いて一体誰の事を思い浮かべたんだろうねぇ? そんなあんたは、煙突をすり抜けた小曽泥みたいに見事に真っ黒さ。 いいだろうよ。幾らあんたが自身を否定したところで、あんたの体中に張り巡らされ、神経の如く張り付いた罪は、無理矢理引き剥がそうものなら必ず激痛を伴うものさ。 その時になって初めて自らの愚かさを呪ったとて、時既に遅し。 あんたは神の恩寵を失い、自らがただの小利口な猿でしかないと気付くのさ。
どうせあんた達のことだ、欲と言われても支配欲、性欲、食欲、睡眠欲、物欲、金銭欲、自己顕示欲…思い当たるのはどこぞの学者の並べたものばかりだろうよ。 そうさ。いつでも一番大切なものを、一番重い罪を忘れて生きるのがあんた達人間なのさ。 あんた達は見たいものだけを見る穢れた生き物。だがね、見たくないものは一度見たことがあるからこそ見たくなくなるのさ。 けれど、それよりも最も罪深いものがあるとするならそれは何か分かるかい?
見ようともしなかったものさ。あんた達人間に生まれてから死ぬまでずっとついて回る欲望であり、見ようともしない欲望は何だと思うかい?
チクタクチクタク…チクタクチクタク。
それは生欲さ。
あんた達人間は、根底には生きたいという最も強い欲を持ちながらも、そのことには全くの無関心さ。自身が生かされているという事実を忘れて、その他のくだらない欲に溺れて生きる。人より良い暮らしがしたい。 人より優れた伴侶が欲しい。 人より優れた能力が欲しい。 人より優れた容姿が欲しい。 人よりちやほやされたい。 人より沢山所有したい。 人より人より…死を恐れ、生を崇めるふりをしながら他人の言動ばかりを意識して本質をいつまでも見抜けないでいる。
まるで、キラキラを手に入れておきながら、大切そうにしまい込んだまま忘れちまったガキのようにね。 身売りをして金を稼ぐのは何に対する冒涜だい?顔の見えない相手に誹謗中傷を投げかけるのは何に対する冒涜だい? 他者を騙くらかして甘い蜜を吸うのは何に対する冒涜だい?神の名を語って救済という何の搾取をすることは何に対する冒涜だい? 人々の為だとうそぶいて、予言する自身を崇めさせるのは何に対する冒涜だい? 全ては自らの生欲に対する冒涜さ。生きたいと願いながら生を穢すのさ。
そしてそいつを思い出すのは、首元に鋭いナイフを突きつけられた時かい?銃口を頭に突きつけられた時かい?はたまた重い病にかかって絶望した時かい? あんた達人間は、内側からではなく外側からでしか自身の姿を認識することも出来ない。 自らの欲望を人に教えられて初めて自らの穢れに気付くのさ。 強欲ってのはね、単に強い欲望のことだけを指すわけじゃない。飽くなき欲に塗れておきながら、根底にそいつを抱えておきながらも、そのことすら忘れちまって、何食わぬ顔で、さらなる罪を重ね続ける人間のことを言うんだよ。 さぁて、あんたの強欲さが分かったところで、私の住む渇きの大地について教えてやろうかね。なんせあんたもいずれはここに堕ちて来るんだからねぇ。はっは!
私の住む渇きの大地には川や海なんてものはありゃしない。あるのは広大な荒地に、愚かな人間共の住む街だけ。 一日中夜に支配された大地は、まるで嘘吐きの唇のようにひび割れているのさ。 その為誰一人として生まれてから死ぬまで一生街を出ようなんて思わない。 だって、街にいれば何でも揃うんだからねぇ。 やつらにとって豊かさとは、どれだけ人より多く、優れたものを所有出来るか?なのさ。 所有欲のあるやつは、わざわざ何にもない砂漠になんて出て行くわけないのさ。
街の連中は人より高価で素晴らしいものを、人より多く所有することで、まるで自分がそれらに相応しい人間であるかのように錯覚するのさ。 はっは。私には高価なものが似合う?洗練された上質のものが相応しい?何かの間違いじゃないのかい?命と物を照らし合わせて同等だなんて笑っちまうよ!そいつらの命は物同然なのさ!高級ブランド並みの安っぽい命に幸あれ! 自分で自分の価値を貶めているのにも気付かないなんて、やっぱり小利口な猿だよ! いや。間抜けな猿だね!
勿論中には思うように所有出来ない人間もいるのさ。貧乏人という連中さ。 そういった連中は人より多く所有する人間達を見て妬み、嫉み、何かよからぬ方法で所有しているんじゃないかと疑い始めるのさ。 今の暮らしは自分には相応しくないと信じて、豊かな暮らしを求めて生きようとするけれど、求めれば求める程に心は渇き、失うことに対して恐れが芽生え始める。 そうさ。増えれば増える程に心は貧しくなる一方なのさ。
強欲な金持ちと貧乏人は、物質的に見れば違いがあるように見えるかもしれないが、本質的にはそのどちらもが持たざる者なのさ。 そういった連中は、互いを受け入れようなんて思わないから、互いに歪み合い明確な線引きをしたがるものさ。私はやつらとは違う。私とやつらは別々の人間だ!こんな具合にね。 自分達が本質的には全く同じ人間である事実からは目を逸らして優劣を付けたがるのさ。 人間共を争わせるのは実に簡単さ。 金持ちと貧乏人に分けてやるだけでいいんだからね。そうしてそのどちらにも、ちょっとしたきっかけを与えてやるだけでいいのさ。 だってそれが戦争なんだろ? 戦争なんてものは強欲の成れの果てさ。そうは思わないかい?殺し合いに倫理を求めちゃいけないのさ。一人殺すも百人殺すも、それは愚かな殺人者でしかない。英雄なんてものこそ最たる穢れ人さ。 正義だの平和の為だの、そんなものは建前でしかないのさ。 欲しいから奪う。気に入らないから奪う。稼ぐ為に殺す。やられたからやり返す。そして所有する方が勝ちであり正義。そして真実。 愚かな猿共のすることなんざ、神のままごとにもなりゃしない。 悪魔の儀礼的なそれよりも幼稚なのさ。
さぁ。もうすぐあのガキが。私達の愛し子が降って来るよ。 あんた同様自身の本当の姿を知ったその時に、ガキがどんな顔をするのか楽しみで仕方ないねぇ!
さぁ。二つ時を進めようじゃないか!あの子が来るまでチクタク…チクタク。
【続く】
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