第28話 日常編揺らぎ【能力者】

 紗南さん。その人を恵に紹介されたのは、恵が離婚をした年の8月。
茹だるような暑さが、熱を帯びたアスファルトの上に揺らめく大気のカーテンを敷くような時季。暑がりの好幸にとっては忌むべき季節だった。


 中でも熱を保持したまま乗る満員電車程、心底嫌気がさすものはなかった。
汗をダラダラかいている自分と偶然目が合おうものなら一様に【自分のことを蔑んでいる奴ら】に映ってしまうのだ。
そうなれば好幸は相手を鋭く睨みつけ威圧する。小学生の頃に付けられた【デメキン】というあだ名の通り、好幸のクリっとした目付きは人に威圧感を与えるものだった。
そんな自意識過剰な攻防を繰り返す季節に紹介されたのが紗南さんだった。


 紗南さんの肩書きはトラベルヒーラー。
例えるなら形而下的な治療を施すのが医者やカウンセラーだとするなら、ヒーラーは形而上的な治療を施す職業になる。
最も分かりやすく表現するなら目に見えないオーラや魂、カルマといったものを癒すのがヒーラーの役割だ。
とは言っても、確証のないものを扱う職業なだけに霊感商法と同一視されても仕方のない職業ではあるが、何が偽物で何が本物であるかは個々の捉え方でしかない。

嘘だと言えば嘘になるし、本当だと信じれば本当になる。当時はスピリチュアルブーム全盛の時代で、玉石混交な市場においては、それが必ずしも真実ではないにしろ、偽薬のような一定の効果をもたらしていたのも事実だった。

好幸は恵から紗南さんのヒーリングを受けてみないか?と提案された時、以前二人のことをツインソウルだと言った喫茶リーロンのチャネラーのことを思い出していた。
 好幸の中では本物に位置付けられている能力者。こちらから情報を与えないでも言い当てることの出来たチャネラー。
そのことがあったせいか、紗南さんの話を聞かされた時も、内心見透かされてしまうことへの恐怖はあったものの、それ以上に何かに縋りたいという気持ちがあった。


 それはこれまでも、今現在も、夢や目標もなく日々をこなすだけの人生に意味を持たせたかったからだ。パワーストーンショップの主人に言われた【行動してこなかった人生】に何かしらのヒントを貰いたかったのだ。


『紗南さんとは何処で知り合ったん?』



 相変わらずの三宮デート。二人が初めに訪れるのは、大抵は煙草を吸う恵のことを考えて喫煙席のあるカフェだった。
好幸はシロップで甘ったるくなったキャラメルラテを。恵はブラックのアイスコーヒーを飲んでいる。


『おやっさんが亡くなった時に、お通夜で家中の電気が突然パァンって切れたり、おかんと二人で入ったお蕎麦屋さんで水が三つ出て来たりして、不思議なことが立て続けに起こってたから、なんとなく気になってて…そしたら知り合いの子が、そういうの視える人知ってるよって言うからすぐに紹介してもらってん。』


 父親をおやっさんと言う恵に、好幸はキャラメルラテを吹き出してしまった。


『おやっさん?おかんは分かるけど、お父さんはおとんやなくておやっさん?』


『昔からおやっさんて呼んでたで?今はそこじゃないねんけど…』


 話の腰を折られて恵がほんの少しだけむくれている。普段自分の想いを伝える機会の少なかった恵にとっては、自身のことや想いを伝える際に、頭の中で組み立てた文章を途中で遮られてしまうのは、言いたかったことが言えなくなり非常に腹立たしくなるのだ。


『ほらぁ!何を言おうと思ってたのか忘れたやんか!』


『ごめんごめん。で。紗南さんと初めて会ってどうやった?』


 女性は答えなど求めていない。ただ聞いて欲しいだけなのだ。
一方で好幸は答えを提示したがる。可笑しな点があれば指摘したがる。
女性にとっては最も相談したくないであろう男性だ。


『はじめに言われたのが、貴方鬱になってるわよ?やったかな。確かに家のこととか色々あったから、確かにストレスは溜まってたけど、まさか自分が鬱になってるとは思わんかった。後…悪いことが立て続けに起こるのは先祖のカルマの影響やって言われた。先祖の犯した罪のせいで、このままやったら家庭も仕事も上手くいかへんって。』


『で、ヒーリングしてもらって何か変わった?』


『はじめ身体が軽くなった気がしたかなぁ。頭もスッキリして、気持ちも前向きなったし。
先祖については『カルマを解消して上に上げました』って言われたけど…
 上げるって供養して天に返す…みたいな。
それでハッキリ何が起こったか?って言われたら分からへんけど、マッサージの仕事と出会ったのはその直後やったし、そこからトントン拍子に物事が進んだから、効果はあったと思う。』


 先祖のカルマによる災い。霊感商法においてはやり尽くされた文言。
あからさまな詐欺であれば、その後に必ずと言っていいほど高価な壺や数珠、ブレスレットを売り付ける。
恐怖や不安で煽って購買意欲を掻き立てるおきまりの手法。
そもそも生きていれば、誰しも数え切れないくらい悪いことを経験する。
いついつ何処何処で、どのような災いが誰に起こるのか?ではなく、災いが起こる…と漠然と言われれば、人は無意識に記憶の中から悪いことを探し出す。そして掠るような記憶でさえも【当たっている】に変換してしまう。
いかに人間の脳が都合良く出来ているかだ。
しかし、それは優秀であるが故の機能でもあると言える。
仕事の出来る人間は手抜きが上手い…と同じやつだ。


 しかしこの時好幸は、恵にとってはそれが真実である以上は、自分の価値観だけで一方的に否定は出来ないと思い。




『何て言われるんやろ!楽しみになってきたわ。』とだけ言って残りのキャラメルラテを飲み干した。
今日のラテはクリームとコーヒー、キャラメルシロップのバランスが良く、全体的に甘さが均一で美味しかった。カウンターでドリンクを作っていたのは前回と同じ女性。帰り際に目が合ったので軽く会釈をすると喜色満面の笑みで『ありがとうございました!』と言ってくれた。
それは好幸にとっての真実だった。



 その日もいつものように雑貨屋巡りをして、夕方7時頃には子供の為に夕食の準備をしなくてはならないと、恵は帰って行った。


 翌週の約束の日、好幸は二つの緊張を抱えていた。
一つは初めて紗南さんに会うこと。
一つは初めて恵の家に呼ばれたことだった。

別れた旦那との暮らしが染みついたこの家に、好幸を招き入れることをはじめ渋っていた恵だが、ヒーリングを受けるにはベッドが必要となる為、好幸をこの家に招き入れることを渋々了承した。
勿論娘二人に好幸を紹介するのは時期尚早とし、二人が通学している時間帯を選んだ。


 初めての彼女、とはいっても一人暮らしの彼女の家に行くのと訳が違う。
正直、思春期の青年が抱くような情欲を潜ませた期待感のようなものは一切なかった。
言うなれば、初めて相手方の両親に結婚の挨拶に行く時のような緊張感。
そちらの方が正しいように感じた。

 神戸の須磨区。高級住宅地の一角にあるマンションに恵は娘と住んでいる。当たりは立派な日本家屋の一軒家も多く、別荘地として利用する人も多い。
好幸の住む西宮とは違い、恵の住む街は山と海を望める自然に囲まれた場所。
中でも明石大橋は時期に合わせて彩鮮やかにライトアップされ、季節は勿論、阪神タイガースが優勝した時などを含めれば、何と31パターンもの電飾がある。

そんな自然豊かな街を部屋からでも望むことの出来る恵の家は、マンションの四階にあった。インターホンを鳴らし恵が出て来るのを待つ。今もし、他の住人に見られでもしたら何と思われるのだろうかと憂慮しながらも、出来るだけ気にはしないように努めた。

世間の価値観に飲まれないように抵抗すればする程、世間を意識してしまう。
そんなジレンマを抱えながらも、好幸は辛抱強く待った。


 ガチャリとドアが開き恵が顔を覗かせる。鍵を掛けていなかったのか解除の際に音はしなかった。


『入って。』


 まるで不倫相手の若い男でも招き入れるように、あたりを伺いながら恵が言う。
一瞬部屋の奥に一匹に猫が走り抜けるのが見えた。時折話に聞いていた雑種の老猫チビ太だ。
 親猫に見捨てられ、死にかけていたチビ太を知り合いが拾い、他の飼い猫達と一緒に育ててはみたものの、他の猫達に虐げられていたのを恵が貰い受けたのだ。
好幸が部屋に上がるとチビ太は、リビングの隣室。子供部屋にある勉強机の下に急いで潜り込んでしまった。


 人も猫も対して変わらない。少なくとも人間のように暴走しないだけ猫はマシだが。
机の下からこちらをジッと伺うチビ太を他所に、好幸は正座をして紗南さんを待った。


『多分もうすぐしたら来ると思う。』


 ほどなくして、インターホンが鳴る。ドアが開き午後の日差しに追い立てられるように、一人の女性が入って来た。
見た目は30代くらいで、癖毛の長い髪と薄っすら浮かび上がるそばかすが、世界名作劇場に出てくる少女を思わせる。
エスニック風の白のワンピースを着て、腕にはパワーストーンのブレスレット。
一見すると普通に小綺麗な中年女性。


『はじめまして!岩戸紗南です!宜しくお願いします!』


 この女性が後々二人をとんでもない世界に引き込もうとすることを、この時の二人はまだ知らない。


『宜しくお願いします。』


【続く】

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