どうしても欲しい物ほど手に入らない


「お肉~♪ お肉~♪ 今日のお肉はホーミングボアいのししにく~♪(レベル70)」


 アプリスがトトトントトトンとリズム良くナイフとフォークを打ち鳴らしながら歌う光景も、何年も見ていれば日常だったんだなぁ。と、ヴァンは先日久々にツッコミを入れたら返り討ちにあった右手の甲をさすりつつしみじみと思い返していた。

 あの時の自分はどうかしていた。

 なぜか突っ込まなければならないという感情に襲われ、結果右手の甲にフォークだ。

 ナイフじゃなくて良かった、本当に。


 さて、忘れずに補足しておこう。

 ホーミングボア……鋭い牙を持つ猪型の魔物だが、特筆すべきは頭骨の凄まじい強度と、脚部の異常な筋肉量だ。

 一度ターゲットを定めたら激突するまで走り続ける高いスタミナ性と、異常発達したのではないかと疑われる程の筋力の脚部により小刻みで小回りの効く軌道修正を行う事が出来る。ただ正面以外はあまり硬くないので横から狙われると弱い。

 肉は脂が乗ってジューシー。ステーキだと尚良い。


「アプリス、待ってる間に三日前のアルティランサの件について報告が上がってるんだが良いか?」


「昼休憩中なんだけど」


 明確に膨れたアプリスの頬っぺたを指で押し込み、プスンと空気を抜く。


「セクハラで告訴――」


「いや、マジすみませんでした。出来心です」


 平にテーブルに突っ伏して謝ると幾らか機嫌を直してくれたようだったので、ここぞとばかりに続ける。


「アルティランサと名乗ったあの爺さん、本名はイーロッペ・ビジンスキーという魔術師スペルキャスターの冒険者だった」


「変態確定かしら」


「いや、決めつけるのは早いかもしれん」


 ヴァンは脇に置いていた鞄から何枚かの書類を取りだしテーブルに並べた。

 そのうちの一枚、地図が掲載された報告書を差し出す。タイトルは【行方不明報告】とある。


「イーロッペは十年程前に、このシューヴァーンから西のダンジョンへ向かって消息を断っている」


「十年前って、ヴァンヴァンがまだ冒険者やってた頃?」


「そうだな。この先のクラマクスの街で魔王城の調査の準備をしてた頃合だな」


 口に出してしまってから、いけない。と気付いた。

 当時の記憶が芋ずる式に脳に溢れ、目を閉じ、かぶりを振る。

 強引に記憶に蓋をし、今すべきこと、今目の前にある問題に向き合う。


「それはさておき、イーロッペが消えた数日後に、記憶を無くしたエルフが西のダンジョンの近くの森で発見された」


 アプリスは先に出してもらっていたお茶を一口飲み、眉根を寄せた。


「ん? てことはそれがアルティランサ?」


「そういう事」


「でもそれって、十年も前の話なんでしょ? その間アルティランサは何をしてたの?」


 ヴァンは複数の書類の中から一枚を取りだし、アプリスの前に差し出した。


「アルティランサは当時の冒険者ギルドシューヴァーン支部のギルドマスターによって保護されて、数年は何事もなく生活していたみたいだな。……ただ、五年ほど前、丁度俺がギルドマスターになる前くらいに突如失踪。方々探し回ったが見つからなかったそうだ」


「んでそれが? いまになって? 私達の前に現れたと?」


 神妙な面持ちで頷くヴァンに、首を傾げたまま肩を落とすアプリス。


「意味がわからないわ」


「そうなんだよ。それでアルティランサの変化の魔法が解けた瞬間なんでイーロッペになった? 戻った? のかもわからんし」


 アプリスはカウンセリングルームでのやり取りと、イーロッペの言動や所作を思い返しながら唸った。


「でも、信じられないかもしれないけど、眼球運動や行動心理を見てものよ」


「だとしたら……なんらかの記憶が混濁したイーロッペの虚言か――」


 ヴァンは認めるのを怖がるかのように数瞬の間を置き、呟く。


「はたまた全て真実か」


 アプリスとヴァンの間に無言が挟まり、昼時の周りの喧騒がよりいっそう際立ったように感じられた。

 ヴァンはテーブルの上の書類を手早く片付けると、何事も無かったように頬杖をついた。給仕が近寄る気配を感じたからだ。


「姐さん」


「おう! 肉! 待ちかねたよっ!!」


 この時間は食堂の手伝いをしているゴロツキ三人組の一人をナチュラルに肉呼ばわりしたが、多分本当に彼女が待っていたのはホーミングボアのステーキだろうから黙って見ていた。


「すいやせん、肉類全般品切れっス」


「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!? なんで!!」


「この前から急に食肉に使える魔物がいなくなっちまいやして……今日はこの旬のサラダ ~ピーマンを添えて~ くらいしか無くて」


 コトン、と赤ピーマンの千切りにピーマンが添えられた謎のサラダがアプリスの目の前に置かれた。


「お肉……。おにくたべたい……」


 見た目相応な感じでウルウルと今にも零れそうに涙を溜め訴えかけるアプリス。


 だが中身は二十代なか――


 ヴァンは思考を止めた。

 これ以上は考えるだけでも死活問題だと理解してしまったのだ。

 殺気が……殺気がいたい。


「ほんとにお肉無いの? ちょびっと、ちょびっとだけでいいから!! ね!?」


「見苦しいぞ、アプリス……。無いってんだから諦めろって」


「だってぇ……!!」


 それでも食いさがろうとするアプリスにもう一言かけようとした時、シャルロットがこちらのテーブルに駆け寄ってきた。


「マスター、すみません!」


 ヴァンの表情が変わる。

 普段シャルがヴァンを呼ぶ時は『ヴァンさん』なのだが『マスター』呼びの時は可及的速やかに対応すべき事が起きた時だ。


「どうした」


「西のダンジョン関連です。二日前から調査に行ってたパーティから今報告を受けたのですが……」


 シャルはテーブルの面々を見回し、不安そうにヴァンをもう一度見た。


「こいつらには聞かれても大丈夫だ。ここで話してくれていい」


「わかりました」


 意を決したようにシャルは口を開いた。



――――――――――


 調査隊からの報告を受けた数十分後。

 ヴァンはギルドのロビーにシューヴァーン支部所属のギルドメンバーの大半を集めていた。

 ザワつくロビーのクエストボード前にヴァンが歩み寄ると、波が引いたかのようにざわめきが収まる。


「本日集まって貰ったのは、皆に緊急クエストを受けてもらう為だ。簡潔に言う。街が危ない」


 ヴァンの横に二人の青年が並ぶ。

 戦術斥候スカウトのビエルと戦士レンジャーのガッチだ。


「彼等は西のダンジョンを調査してくれていたメンバーだ。彼らの報告によると、噂となっていたダンジョンに、新たなヌシの存在が確認された」


 ロビーのざわめきが一層大きくなる。

 ヴァンはそれを手で制し、続ける。


「ヌシの影響力は相当なものだったようだ。……ヌシから逃げるようにダンジョン内にいた魔物が周囲の森に溢れ、森にいた魔物は別の場所に逃げる、この繰り返しにより、現在我がシューヴァーン近郊では……」



!!!」


『なんだってぇぇぇ!!!!』


 お前らそんなに肉が好きか。

 肉は嗜む程度、基本菜食主義のシャルは、絶望に頭を抱え、阿鼻叫喚に包まれるロビーの面々を半眼で見つめていた。

 アプリスに至っては血涙を流しながら『ひぎゃぁぁぁ』とか喚いている……。子供が見たらトラウマにでもなりそうな光景である。


「皆この危機を脱するために力を貸してくれ!!」


『ウォォォォォォォッ!!』


「皆行くぞーっ!!」


『肉ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!』


「我らがシューヴァーンの為にっ!!」


『肉の為にィィッ!!』



 かくして謎の結束力で【西のダンジョンヌシ討滅クエスト】は開始されたのだった。



――――――――――



 西のダンジョン……森の中に口を開け、冒険者を待ち構える遺跡洞窟。

 全地下三階層となっているが、全体面積が 広く、迷いやすい。


「で、何でダンジョンには私達だけな訳?」


 洞窟の入口を入ってすぐに、カビ臭さと土の匂いが鼻腔内を占めた。

 アプリスは大して気にもしない様子で、さらりとヴァンに問いを投げる。


 ダンジョン潜入組は、ヴァン、アプリス、アルティランサ、ビエル、ガッチ、そしてゴロツキ三人組の計八名。


「あそこに居たほとんどはダンジョン内から外に出てしまった魔物の駆除役だな。アプリス、魔物の出現理由はわかるかなぁ?」


 ニヤリと問いかけるヴァンの表情が気に食わなかったらしく、膝裏を蹴り飛ばし体制を派手に崩させる。


「魔物は魔王の魔力がその土地に作用して産まれる説があるけど、眉唾ね。本当は自然現象よ。その土地の魔素マナが意志を持って凝固して、その土地にあった形の魔物に成る、って方が今風の理論ね」


「正解」


『さすがっす姐さん!!』


 すかさず声を上げるゴロツキ三人組。


「精霊達は『大地の怒りだ』とも言っておりますね」


 アルティランサ(びじょのすがた)も実にエルフらしい回答を述べてくれている。

 口を開いたついでに、全員の前に出て恭しく礼をした。


「皆様にお礼をさせて下さい……。エルフの里を守るため、その元凶を討つこのクエスト……過酷なものとなりましょうが、受けて頂き誠にありがとうございます」


「え?」「里?」「ん?」「なに?」


 口々に疑問符が生まれる。


「えぇ?」


 アルティランサもつられてその美しい眉目を困惑に染めた。


「あ、ごめん、皆にはそれ話してない」


 後頭部を掻きながらシレッと言うヴァンに、驚愕を隠しきれないアルティランサ。


「ならば何故こんな危険な場所に……」


「俺達が冒険者だか――」

「肉ね」「肉のため」「肉だな」


「お前らなぁ! ギルマスの数少ないかっこいい場面を潰しに来るのやめろよ!!」


 せっかくのいい雰囲気をあっさりと潰され、肩を落としながらトボトボ進むヴァンを全員が笑いながら追随する。



 一人残ったアルティランサは、誰に見せるでもなくニコと微笑んだ。

 そして、自分にしか聞こえないような声で呟く。


「ほんと、冒険者とは気の良い方々ですね。イーロッペさん」


 遅れないように早足で追いつき、洞窟の深奥へと進む。



 暗闇は不気味に冒険者達を飲み込もうとしていた。

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