karte52【ビエル&ガッチ】

 昼過ぎの穏やかな空気が流れ、窓の外の木々に鳥が止まり、さえずりを響かせている。

 暑すぎず寒すぎず。ぬるま湯に浸かるような気温に、花壇脇の陽だまりに微睡む猫もこのまま夕方まで惰眠を貪る勢いだ。


 ここは魔王城から数えて三番目の街シューヴァーンの冒険者ギルド。

 柔らかな陽光が差し込む室内で、頬杖を付きながら二枚のカウンセリングシートと一冊のカルテに相対する女性が一人。


 見た目十五歳、本体二十代半ばの『見た目詐欺』が常時パッシブで発動中。冒険者ギルドシューヴァーン支部お抱えの催眠術師にして催眠治療師メンタルヒーラーのアプリスだ。

 セミロングの栗毛を後ろで束ね、仕事中の為白衣を身にまとっている。

 快活そうな赤銅色の瞳は今は閉じられ、思案にくれているようだ。


 ガタンッ


「んょあっ」


 ついていた頬杖がすっぽ抜け、ビクッと身体を揺らした後、硬直。数秒後、身体のサイズより幾許か大きかったのか、余りに余っている白衣の袖口で目と口元を擦り、ふにゃふにゃと欠伸を漏らした。


「……やっば……寝落ちてた。まだ、予約の人来てないよね」


 時計を確認して安堵のため息を漏らす。

 今の内に今回の相談人の基礎知識を頭の中に入れておかなくては。


「えーと、ビエル・ローズ(♂)十七歳とガッチ・クリムゾン(♂)同じく十七歳……ふむふむ」


 このカウンセリングシート手作りの問診票はギルドマスターのヴァン・ノワールお手製のもので、催眠治療メンタルヒーリングを行うのに必要な基礎情報を相談者に正確に回答させることの出来る優れものであった。


 例えば、思ったことをそのまま回答して欲しい質問があった場合、相談者の心理状態によっては『あ、こう答えておけば、こう思ってくれるな?』と言った具合に、自分に都合の良い方向に偽りの回答を書き込んでしまいがちなのだが、このカウンセリングシートは何故か深読みせず素直な回答を記入してしまうように巧みな心理誘導が組み込まれていた。


「こういうところ出来るオトコなんだけどなぁ」


 普段の気の抜けたコーラの様なぼんやりしたヴァン上司の顔を半眼のまま思い浮かべ、カウンセリングシートに向き直る。

 シートの最後にはヴァンからの所見と、まとめが書かれていた。


――――――――――


【名前】ビエル・ローズ(♂・17)

【特性】戦術斥候スカウト

【特性付随スキル】隠密、気配察知

【性格】臆病

【備考】ガッチと同郷。ナイフに心的外傷トラウマあり。


――――――――――


【名前】ガッチ・クリムゾン(♂・17)

【特性】戦士レンジャー

【特性付随スキル】観察眼、臨機応変

【性格】考え無し、猪突猛進

【備考】ビエルと同郷。

 女性に心的外傷トラウマ

 苦手感あり。


――――――――――


「……ふぅん……? 臆病な戦術斥候スカウトと猪突猛進な戦士レンジャー? パーティバランスとしては良好だと思うのだけど……」


 数多ある世界線の中で【垣間見る者達ファンタジー好き】に親しまれている名称にあえて書き換えるのであれば――

【特性】は【職業ジョブ

【特性付随スキル】はそのまま【スキル】

 と言えるだろう。

 なお、特性付随スキルに関しては発現していないものに関しては追加で習得する事も出来る。

 また、別の特性に付随するスキルも『頑張れば』習得出来るが、リスクと労力に見合わないため、基本的にわざわざ習得する者はいない。


 ビエルとガッチのデータをじっくりと眺め、アプリスは再度うなづいた。

 これで性格が逆なら致命的だっただろう。

 勇猛果敢な斥候や臆病な戦士では、それこそペネトレーターラビット貫通うさぎの一突きであの世行きだ。


 となると、相談者の固有の問題が何か発生しているのかもしれない。


「出身はジョ・バンの街の近くのトナリノ村か。……んじゃこの辺かな」


 机の引き出しから各種精油や香草を取りだし、少しづつ砕いて混ぜ、火をつける。

 自然を感じる、まるで爽やかな草原のような香りが部屋に広がった。


 催眠術は、どちらかと言えば古代魔術に通じるものがある。

 精神に働き掛けることで、本人も意識していなかった本心を探ったり、意識の改革を行うことが出来る。の、だが。そんなに簡単に事が進むことはほとんどない。

 深層心理にアクセスするのであれば尚の事、しっかりとした環境作りをしなければならないのだ。

 アプリスはその第一段階として匂いと音を使うことが多かった。


 心身ともにリラックス状態であり、更に術師(この場合アプリス)への信頼が成立してやっと相談者の深層心理に深くアクセスすることが出来る。

 その為にはまずは外堀から埋めていく必要があるのだ。


 トントン、と控えめにノックされる音が響き、アプリスはドアを開けた。

 そこには彼女が思っていた通り見慣れた黒髪のギルドマスター、ヴァン・ノワールが立っていた。

 時間通り。彼の数少ない良いところの一つだ。

 いつもより何割か増しにキリッとしている。ギルマスモードというやつだろう。

 後ろにさらに二人。先程資料で確認したビエルとガッチで間違いは無いはずだ。


「お疲れ様、今日の予約の二名ね。よろしくな」


「案内ありがとう。さ、二人はこちらへどうぞ」


 いつもの通り形式上のやり取りを交わして相談者を室内に促す。

 部屋に一歩踏み入れたところでブロンドの髪を持つ整った容姿の青年は驚いたような表情を浮かべ足を止めた。

 よく見ると後に続いたダークブラウンの髪の青年も同じような表情で首を傾げた。


「どうかした?」


「あ、いえ、初めて来たのに、なんか懐かしい気がして……。変ですよね」


 問いかけには答えず笑い返し、


「なら良かった。自分の家だと思ってくつろいでちょうだい?」


 アプリスは二人を椅子へ案内し、自然な流れで様子を見る。

 落ち着いたところで口火を切った。


「それでは、あなた方の相談に乗らせてもらいます、催眠治療師メンタルヒーラーのアプリスです。よろしくね」


「ビエル・ローズです」


 とブロンドの青年。よくよく見れば女性にも見える中性的な顔立ちをしている。


「ガッチ・クリムゾンだ」


 次いでダークブラウンの髪の青年。

 こちらはこちらでワイルド系イケメン。さぞや女性にモテるのだろう。

 ……む、女性に心的外傷トラウマはモテるが故かもしれない。


 カウンセリングシートから読み取れる情報を元に、実際に会ってみて実像からの情報収集を図る。

 それらから、アプリスの今までの経験則と、彼らの生活の背景、成長の過程にあったであろう経験など……様々な要因を絡ませ、何種類かの回答を見つけ出し、これからの成長に繋いでいく。


 自分に課せられた仕事だ。と、現実をしっかりと確認し、アプリスは目の前の二人を優しく見据えた。


「では、教えてくれる? 今あなた方が抱えている問題や、立ち向かわなくてはならない課題は何かしら?」


 アプリスに促されるように、ビエルは口を開くも、言葉にするには些か難しいのだろうか。

 何度もガッチの顔色を伺うようにチラ、と

彼を横目で見ている。

 ガッチもそれに気付いたか、ビエルの肩にそっと自らの右手を乗せて、彼の目を見てうなづいたのだった。


『いいんだぞ』と、その目は語っていた。

 どんな結末を迎えようとも、俺はお前と共に進む。

 今までと同じく、俺達で乗り越えていこう。

 相談する事は悪では無い。

 自分達には無い知識や解決法を他者に求めることは決して逃げでは無い。

 これからへと向かう手段の一つ。

 自分達の糧として行くのだ。



 以上、ここまで二人のアイコンタクトだけでの会話であり、口に出していないから本当にこんなやり取りがあったかどうかも不明だ。

 全ては若干蚊帳の外状態だったアプリスの想像である。


「アプリスさん」


「はい」


「……いや『催眠アプリ』さん!」


「シバキ倒すぞ」


 思ったより低い声が出たアプリスに、二人の青年はすくみあがった。

 ビエルは、あのあだ名は名誉ある物なのだと勘違いしていたのだろう。尊敬と畏怖を込めて発した彼女のあだ名は、彼等に恐怖と畏怖のみをプレゼントしてくれたようだ。


「友好な関係を維持したいなら、そのあだ名は忘れましょ? ね?」


 ニコォ……と。禍々しい赤黒いオーラが滲み出る笑みに、ただコクコクと頷く二人。


「よろしい。……それで? 相談事は何でしょうか?」


 ビエルは、最後にもう一度ガッチの顔を見た。

 ガッチは力強く頷く。

 意を決し、口を開く。


「アプリスさん」








「僕達のタチとネコを逆転して下さい!!」





 この時アプリスは小首を傾げたままの姿勢で、人生で初めて思考を放棄した。



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