催眠術師《メンタルヒーラー》は、そっとしておいて欲しい

ノヒト

それはそれは平穏なお昼休み


 これは使い古されたファンタジーな世界の話。

 ざっくりと背景を説明すると、数百年前に魔王が封印され、人間と魔族の間の戦争は一応の結末を迎えているため、既に大きなイベントは終了している。

 ちなみに現在も尚、封印はその効果を失わず、魔王は自らの城に封じられている。

 くらいなもので。


 後はまぁ、ギルドがあったり、冒険で生計を立てている人が多かったり、まだ魔物がそこかしこに存在したり、ダンジョンが有ったり。


 そんな世界に産まれて三十年近く(まだ二十代だが)生きてきた自分にとっては、魔物が蔓延る時代でもなく、飢饉に苛まれる時代でもなく、至って平穏な日々がこれからも続くんだろうなぁ。

 などと、冒険者ギルド『シューヴァーン支部』のギルドマスターであるヴァン・ノワールは、これからの未来をぼんやりと思い描いていた。


 ここは魔王城から三つ目の街・シューヴァーン。

 分かりやすく言うなら『あの橋を超えた先にはおっそろしい魔物がわんさと居るからな!! 絶対近づいちゃなんねぇぞ!!』と直前の村で釘を刺された橋の向こうにある最初の街だ。


 決まりでもあるかのようにその橋の此岸しがん彼岸ひがんでは全くと言っていいほど個体能力の違った魔物が生活していた。

 片やレベル二十程度、橋の先こちらがわはレベル五十程度かな。

 と自分の思考に補足をつけつつ、ヴァンは目の前でフォークとナイフの持ち手でテーブルをリズミカルに叩く少女に視線を向けた。


 注文したメニューが届くまで心待ちにしているのだろう。セミロングの栗毛に赤銅色の瞳が快活そうに輝いていた。

 心なしか何か歌っている。


「お肉~お肉~♪ 今日のお肉はペネトレーターラビットうさぎにく(レベル53)~♪」


 ペネトレーターラビット……螺旋状の鋭く硬い角を持ち、とてつもない脚力で獲物に向けてきりもみ回転しながら飛び掛かる。

 その衝撃とドリルにも似た角で獲物を貫通ペネトレートする様から名付けられた兎型の魔物だ。


 非常に俊敏な為、初見遭遇者はじめましてさんの死亡率が高く、この辺では要注意の看板がよく立っている。……が、経験値的にも食べても美味い。


「まーだっかなー♪ まーだっかなー♪」


「毎日肉でよく飽きないな」 


「何を言ってるかな? 人類の成長は肉食の進化と共にあったのだよ?」


 傍から見ると十五、六歳くらいの少女とその保護者がギルドの食堂でご飯を待つ風景に見えるのだが、大きな間違いがいくつかあった。


「でもその待ち方、二十代半ばのそれじゃねぇ――」


 ざす。と、右手の甲にフォークが突き刺さった。


「~~~~~~~ッ!!」


 歯を食いしばり漏れる声を噛み殺す。

 ここは冒険者ギルドの食堂。

 一般開放されている為、職員以外にも多数の客で賑わっていた。

 そんな中でギルドマスターが情けない声をあげる訳にはいかない。そんななけなしのプライドが声を上げる事を全力で拒否したのだった。


「そもそも、生き物のエネルギーを直接取り込む行為……すなわち食事は生きて行く上で最も重要な事なのだよ? ヴァンヴァン?」


 冒険者ギルド・シュー『ヴァーン』支部のギルドマスター『ヴァン』・ノワールは刺された部分を確認しながら苦虫を噛んだようにまゆ根を寄せた。


「ヴァンヴァン言うな……たく。少しは上司に対する尊敬の念をだな――」


あればそうして尊敬してまーす」


 チッ、と舌打ちをして頬杖をつく。

 この少女に見える女性が傲岸不遜にも見られる態度を取ることはよく分かっている。それだけの付き合いはしてきたつもりだ。

 こういう時は適当に流すに限る。


 痛む右手から視線を外し、頬杖の体制に戻ってボーッと虚空を眺めつつ食堂の喧騒に身を任せた。

 既に昼間から酔っ払っている複数の男達や、午後からの狩りの打ち合わせを兼ねて食事をする冒険者パーティ。客に注文を聞いて回る給仕の少女の声。

 無意識に周囲の会話から情報収集をしてしまっている。……悪い癖だ、と思いつつも二十何年も続けてきたことをいきなり辞めるのは難しい。

 『おいあれ――』『あの――か?』『あれが噂の――』『――術師ってやつか』

 ……。なにやらこちらへの無遠慮な視線とヒソヒソと話す声を捉えてしまったが。

 無視して対面の相席者に問いかけた。


「ところでアプリス、午後からのカウンセリングなんだが」


「予約は一件。同郷の二人組の冒険者達ね。終わったら帰るわ」


 アプリスはとうとう歌う事をやめ、キッチンに熱い視線を送り始めた。

 今頃シェフは背筋に悪寒を感じているだろう。ぼんやりと視線を彼女の向いている先の厨房へと向ける。

 食堂内に立ち込める美味しそうな匂いが尚のこと二人の空腹を際立たせていた。


「混んでるからな、もうちょいかかるんじゃ――」


「アンタがアプリスか?」


 会話に割り込むように野太い声が入り込んできた。

 視線を向けると顔を赤らめた中年の冒険者……というか冒険者崩れのゴロツキが複数立っている。先程捉えた視線の主達だろう。


「営業時間外です。お帰りください」


「ちょいと小耳に挟んだんだけどよぉ? どんな奴でもアンタの催眠術でチャチャッと強くしてくれるらしいじゃんか?」


 サラッと会話を拒絶したアプリスを無視して続ける男。

 確かに、アプリスは催眠術師という【特性】を持っている。

 だがそれを使って能力向上を行えるなんて聞いたことが無い。……そもそも彼女が行っているのは冒険者達が負った心の傷を癒す催眠治療メンタルヒーリングだ。


「そのお得意の催眠術って奴でよぉ、俺様を大陸一強くしてくんねぇかなぁ?」


 言ってゲラゲラと仲間たちと笑い合う。

 絡まれたこっちとしては楽しさなんぞ欠けらも無いのだが。

 と言うか、ギルド内でこんな横暴な奴を野放しにしているとか、どうなってんだよこのギルド。マスターさっさと出てこいや……あ、俺か。

 ちら、と視線をやると『はよ何とかしろ』とアイコンタクトが飛んできた。

 仕方ないので席を立つ。


「まぁまぁ皆さん。酔いも回っているようだし、彼女に用事があるなら後日予約をとった上でカウンセリングする、ってのが決まりだから。……ここは俺に免じて大人しく席に戻ってくれないかな?」


「あぁ? 誰だおっさんてめぇ! しゃしゃってんじゃねぇぞ!!」


 いやアンタよか若いよ……?

 ヴァン渾身のギルマスムーブも不発に終わり、ため息をひとつ。

 つい、と視線を移すと『ほんとお前使えねぇな』とジト目をいただいた。

 あー、もう、ホントごめんて。


「あのね、俺ここの――」


「アンタ達さ、占いって信じる?」


 名乗り出ようとした所でアプリスが口を挟んだ。赤銅の瞳は、感情を殺したような色をしている。

 ヴァンは追加でため息を漏らすと、やれやれ。と椅子に深く座り込んだ。


「占い? んなもん信じるわけねぇだろ」


「そ。んじゃ私の術じゃ意味ないわ。私の術は太古の魔術系統に近いから。信じていない人には効果がでにく――」


「そんなこと言って、本当は催眠術なんてできないんだろ? なぁ!? 詐欺師の『催眠アプリ』さんよぉ!!」


 あ。

 ヴァンが声を漏らすや否や、男達の一人が仰け反って床に倒れ臥した。

 次いで二人目、三人目と意識を刈り取られ床に次々に崩れ落ちた。


「あーあ……それは、だめだってぇ……」


 ヴァンの声に異変に気づいた客がザワザワと動揺を広げ始めた。


「ヴァンヴァン」


 右手をプラプラと振り、何食わぬ顔で席に戻るアプリス。あの一瞬で三人の顎を正確に掌底でぶち抜き、意識を刈り取って行ったのだろう。

 ヴァンでさえもギリギリ動きを目で追うことが出来た程度だ。もしあの攻撃を自分が食らっていたら……かわせる気がしなかった。


「ヴァンヴァン?」


「はい」


「コイツら指導しておいてあげるから、特別室にぶち込んどいて」


「……ハイ」


 かくして、自分よりデカくて重いおっさんどもを一人で運ぶという大任を仰せつかったのだった。






―――???の手記―――


 ……さて。

 『傍から見ると十五、六歳くらいの少女とその保護者がギルドの食堂でご飯を待つ風景』から始まった一連の騒動だったが、おかしな点は『いくつか』あった。


 今後アプリスを追うにあたっておかしな点というものをまとめておくことにしよう。


・見た目詐欺

・実年齢は二十代半ば

・【特性】は催眠術師

・『催眠アプリ』というあだ名があるが呼ばれるとキレる

・ギルド所属の精神治癒士メンタルヒーラー


・そしてなにより、滅法強いっぽい


 そうそう、忘れないようにもう一度メモを残しておこう。


・見た目詐

(何故かここで手記は途絶えている)


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