6話  お願い、来ちゃダメ

なにが起こっているんだろう。


一瞬では理解できなかった。目に見えるのは黒い渦巻。この地獄で初めて付き合った友達―――5014番を中心に吹き荒れている暴風と、そして。


その少女の裏でニヤッと笑っている、悪魔が見えた。



「きゃ、きゃああっ!?」

「あ、悪魔だぁあああ!!悪魔だぁあ!!」

「……………」



俺は呆けたまま、ただその悪魔を見上げる。成人男性の5倍はある大きさだった。


悪霊を形にしたような姿。その怪物が、5014番の肩に両手を置いて再び顔をほころばす。



『きひっ、きひひっ……!!ようやく、ようやくこの時が来たぁああ!!』

「………」



同じ空間にいたすべての人が、悲鳴を上げながら逃げ込む。


恐怖の前ではみんな一緒だった。実験体として使われる孤児だろうが監視役の男だろうが、全員平等に部屋から逃げ出す。


しかし、悪魔はその姿を見過ごさなかった。



『さぁ、先ずはお前だ!』

「っ!?ぐ、ぐあああああああああああっ!!!」



……さっき、俺と戦っていた男。目を開けた次の瞬間には、男はもう悪魔の手に掴まれていた。


太ももを怪我して逃げるのが遅かったのだろう、男は簡単に胴体を握られる。ヤツの顔には恐怖心と涙でいっぱいだった。



「い、いやだ!!いやだぁあああ!!死にたくない、死にたくないぃいい!た、助けてぇ!!誰か助けてくれぇええ!!死にたくなひっ、死にたくな―――かはっ」



そして、そのままぷしゅっ、と男の全身から血が走る。


文字通り、握りつぶされて死んだのだ。


力が無くなった男の死体は、当たり前のように怪物の口元に放り込まれる。食べられた、と思った。


だけど、違う。口に放り込まれたのは間違いなかったけど、肉体が噛み千切られたりはしていなかった。


ただ、肉体が一瞬で枯れて、皮膚が腐りきったままドン、と床に落ちただけ。



「っ……!?こ、これは、涙の魔女の……!」



そして、その姿を見た俺は驚愕する。これは、俺が前世でプレイしたゲームのラスボス戦に出る技だったから。


魂を食って、肉体のすべての生気を吸い取る技。ソウルイーター。


どうして?どうしてこのスキルがここで……!?男の死体に釘付けになっていた、その時。



「うぁっ!?あ、ああああああああ!!くそ、くそぉおお!!い、いやだ!!死にたくないぃいい!!」



悪魔が手を伸ばして壁を壊すと思ったら、次の瞬間には別の男の胴体を掴んでいた。


今度も握って殺すと思ったら、違った。ぽきっ、と首が折れる音が鳴り響き、あっけなくもう一つの命が散る。


その後は、さっきと同じだった。悪魔の口の中に放り込まれて、一瞬で死体が床を転ぶ。


体中のすべてを吸い取られ、見ているだけでも反吐が出そうな醜い死体。



「な、なんだ!?どういうことだ?一体なにが―――ぐおぉっ!?!?」



状況を確認しに来た他の男たちも、一気に体を握られて即死してしまう。


今度は、口に入れられるんじゃなくてその場で魂を吸い取られ始めた。



「……………………………」



このスキル。この戦い方。あまりにも、あまりにも……ラスボスの涙の魔女に似ている。


まさか、まさか……?震える唇をぐっと噛み締めて、友達である少女の様子を確認しようとした時。



「ようやく出てきやがったな、この悪魔が!!」



門の外で、挑戦的な笑みを浮かべている初老の男が目に入ってくる。


たぶん、この収容所の総責任者だ。監視役の男たちがペコペコと頭を下げていたのを見たから、間違いない。



「ははっ、いいじゃないか……その小娘さえ殺してしまえばなんとかなるんじゃないか?オラオラオラァア!!」

「なっ……!?」



小娘を殺す、という単語を聞いて俺の体が反射的に動く。


男の行く道を防ごうと、俺はとっさに起き上がった大の字になった。男は顔をしかめながら、俺ごと殺すつもりで剣を抜く。


しかし、次の瞬間。



「…………………………………え?」



すべてを斬りつくさんとばかりに走ってきた男の勢いが、止まった。


男は呆けた顔になる。虚ろな目をして、何故か悪魔を見上げていた。なんのことか分からなくて後ろへ振り向くと、悪魔の目の辺りから赤い光が放たれていて。


それからまた前を向いた時、俺は目にしてしまう。



「きひっ、きひっ、きひひひひひひっ!!!!」



目の前にいる男が、急に狂ったような笑い声を上げながら――――持っている剣で、自分の頭をぷしゅっと突き刺す光景を。


血しぶきが上がる。命が無くなった体はすぐに崩れ落ちた。


ゴミでも拾うみたいに悪魔は指先でそれを掬い上げ、簡単に飲み込んで―――抜け殻にする。



「…………」



……このままだと、俺も殺される。


分かっていながらも、俺は逃げるという選択肢が浮かばなかった。


今、目にしているこの展開があまりにもゲームのラスボス戦に似ているからでもある。しかし、それ以上に。



『あ………あぁ……あ……』

『きひっ、きひゃはははっ、きひゃはははははははっ!!!』



悪魔に半ば飲み込まれている友達を見てると、足が動かなかった。



『そっか、次は貴様か!!きひひひひひっ!!』

『だ………………………め、だ…………めぇ……』

『きひっ、きひひっ、きひゃはははっ!!』



悪魔の手が差し伸べられる。目から血の涙を流しながら、俺を殺させないと必死に足掻いている少女の姿が見えた。


俺はとっさに策を巡らせる。悪魔は確かな思念体ではあるが、どうせ力の根源は魔力だ。


なら、俺が持っているこのスキル―――【境界に立つ者】を利用して、俺が吸い取ったらいいんじゃないか?あの子を助けるためには、これしか……!!


だけど、悪魔の黒い手はあまりにも素早く伸びてきて。



『―――――――――――ぁ?』



そして、俺の目の前でパッと止まってしまった。


一瞬、信じられない静寂が流れる。なにが起きているんだろう。


悪魔も理解ができないらしく、手をぶるぶる震わせながらなんとか俺を掴もうとする。


だけど、掴めない。俺にはひしひしと伝わっていた。


力と魔力を集中しても俺を握りつぶせない、悪魔の悪あがきを。



『な……なんで?どうしてだ……!?どうして!?なら……!』



次に光る、悪魔の目。


赤い光が全身を浴びせて、そのまま飲み込むような勢いで注がれる。これは、さっきの男を殺したスキル……!!



『……………な、なっ!?』



しかし、なんの異常はなかった。俺はいたって―――平気だった。


悪魔は、信じられないとばかりに声を上げる。



『なんだ、なんだ……!?なんで精神攻撃が効かない!?なんで体を掴めないんだ!?くそ、くそぉお……!!』



………あ、【覇王の格】。


そっか、精神攻撃が無効化されると記されていたから……!


なら、ちょうどいい。俺はふらふらする足元に無理やり力を入れる。


吹き荒れる黒い暴風に耐えながら、俺は前に踏み出す。



『ダ……メ』

「…………」

『おねが、い。来ちゃ、ダ、メ……』



向かう先は。


血の涙を流しながら必死に訴えかけている、友達の隣だ。

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