第19話
「よくやった、アルフレッド! 少し休め、半刻後に決勝戦だ」
「はい······」
肩で息をするアルフレッドは控室のソファにドサリと座り、とにかく少しでも体力が戻るのを待った。
それでもじわじわと体から力がもぎ取られて行くのを感じる。なにせあの遠征から戻って来てからというもの、毒混入疑惑とビクトリア王女の攻勢と、なにより最愛のリアーナとの婚約解消騒ぎのせいで、ろくろく食べることも休むこともままならないのだ。
「ほら、水でも飲め!」
「すいません」
ノーヴィックが差し出すコップを受け取ろうとして、また目眩が襲い、取り落としてしまった。
「······大丈夫か?」
「ちょっと手元が狂っただけです」
訝しげに見てくるノーヴィックの視線から隠れるように、アルフレッドは深く背もたれに体重を預ける。
「お前、いま俺が出してる指が何本か分かるか?」
「······三本」
「馬鹿違うよ、一本だ。お前最近目がよく見えてないだろう? 頭痛はいつからある? 目眩は?」
「でも決勝戦に勝たないと、リアーナが!」
ついにバレてしまった。
それでもこの試合だけは出ないと一生に関わるのだ。昔から思っていたリアーナとの結婚。少し前まで当たり前の未来だったはずが、濃霧に巻き込まれたようにもう先が見えない。
早く優勝して陛下に、ビクトリア王女に、そしてなによりリアーナに言わなければ。望むものはただ一つ、リアーナとの結婚だけだと。
必死になって決勝戦に出たがるアルフレッドを睨み、バンとテーブルを叩いてノーヴィックが怒鳴る。
「馬鹿! お前もし失明でもしたらどうする! 辺境伯も継げずカールソン嬢とも結婚出来ないぞ!」
ぐっと押し黙ったままのアルフレッドと彼を睨みつけるノーヴィック。しばしの沈黙の後、観念したようにアルフレッドが謝罪を口にした。
「すみません。実は目覚めた後から時々見えにくくなってて······」
「それってもしかしなくても薬の後遺症じゃないのか? 帰城してから医師に見せたか?」
「いえ······」
リアーナのいる前で情けない姿を見せたくなかった。その気持ちでいっぱいいっぱいだったが、ずっと続く倦怠感と霞み目は、少ない食事量や気疲れではなくて薬の後遺症だったのか?
「くそっ。あの昏睡事件の狙いはこれだったのか!」
◇ ◇ ◇
決勝戦に入る前にまた休憩が挟まれた。後攻のアルフレッドが連戦になるので公平性を期すためだろう。
相手は第一騎士団のエースと目される人物なので強敵だ。そしてその彼も見目麗しいということで、アルフレッド同様に多くの女性の心を掴んでいるらしい。という情報をキャロラインが教えてくれた。
「アルフレッド様の決勝戦、手強いお相手になりますわね。第一騎士団は近衛の役割も担うからでしょうか、強さだけではなく家柄、容姿にも恵まれた方が集まっている感じですね。お姉様はアルフレッド様一択ですわよね? わたくしも将来の義兄様を熱烈応援いたします! お腹から声を出しますわ!」
「キャロ、嬉しいよ! 僕と結婚するのは確定ってことだよね?」
「そうね、リアーナ様をお義姉様と呼べる栄誉はわたくしのものですわ!」
「うーん、思ってた返答と違うけど、まあいいか」
トビアスが戻って来て、「皆様に伝えました。警戒を怠るなとのことです」と簡潔に返答をもらった。誰が見ているか分からないので、家族と相談し警戒していることを悟られてはいけない。リアーナは笑顔を返した。
「アルフレッド様が優勝したら、きっとその勝利をお姉様に捧げられますわね! ああそれをお受けするお姉様を想像すると胸が高鳴ります!」
「キャロ······声をもう少し落とした方が」
「キャロラインったら大袈裟だわ。でもここまで来たら勝ってほしいわね。彼の努力の結晶だもの」
誰よりも興奮するキャロラインとあれこれと話している内に、ようやくラッパが響いた。続いてドラムまで打ち鳴らされる。フィナーレらしい演出だ。
「皆様静粛に! これより剣術大会決勝戦を執り行う! 決勝まで勝ち上がった両名前へ!」
多くの歓声を背にし、二名の猛者が中央に進み出た。一人はアルフレッド。もう一人は第一騎士団の副団長、エリック・アッテンボローだ。
「いよいよね······」
リアーナが知らずと息を呑む。と、途端に雨が降り出した。バケツをひっくり返したようという表現がぴったりなほど強い雨で、会場は騒然とする。
「来場の皆様、落ち着いて下さい! 雨のため決勝戦は一時中断とします! どうぞ屋根のある場所へお進み下さい!」
日傘などまるで用を足さない大雨とあって、子供と女性陣から順に屋内へと進む。多少の混乱はあるが、会場整理係の騎士達が上手に誘導している。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「ええ。両家の皆さんは平気かしら? もし手がいるようならトビアス行ってきてくれない?」
「ええ。ではここにいて下さい。動かないで! いいねマリー」
「そうしますわ」
トビアスが両親達の様子を見に動くと、ホフマンが慌ててこちらに向かって来た。
「カールソン嬢、良かった会えて!」
「どうなさったの?」
「実はアルフレッドに頼まれたのです。あなたを控室に連れてくるようにと」
「え、ええと······」
彼が信頼出来るのか、保障がない。リアーナは目まぐるしく頭を回転させたが、うまい手が思いつかない。
「時間がない! とにかく急いで!」
ホフマンによって無理に連れ出されそうになると、マリーが慌てて「護衛騎士が戻るまでお待ち下さい!」と引き留める。
「信用されないのも仕方ない。醜い嫉妬で今まであなた方に突っ掛かっていたのですから。あいつは何もかも持っているのに、王女にも好かれて、美しいあなたまで······。ですが、あの男はただあなたと釣り合うためだけに努力したと言っていました。私が完敗したその彼が呼んでいるのです、お願いですから信じて下さい!」
「ホフマン様······」
リアーナが早くトビアスが戻って来ないかとヤキモキしていると、今度はフレッチャーが駆け寄ってきた。
「リアーナさん。突然の雨でお困りの皆様に、いそぎ王城内にお部屋を用意したんですよ。簡単なお着替えもありますので、こちらにどうぞ!」
さらりと誘導しようとするフレッチャーを、ホフマンがいきり立ったように語気を強めて詰問した。
「フレッチャー! お前何だって『蜜蜂の休息所』のポプリをカールソン嬢に渡すよう薦めてきたんだ? あれが王女殿下のお気に入りって知ってたんだろう?」
「ホフマン隊長。ご令嬢が濡れて震えているのに長々と引き止めるのですか? まずは部屋にお連れしましょうよ。それからポプリは人気だって聞いたからです。······心配なら隊長も来ますか? なんならハンクス副隊長もお呼びすればいい」
「フレッチャー様······」
「行きましょう、リアーナさん」
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