第20話
雨によって急遽用意された部屋は、王城内の宿泊用客間だった。
「こちらにあるものはご自由にお使い下さいね」とフレッチャーに言われて見てみると、リネンや女性用の着替えなどが置いてあったので、リアーナとマリーはひとまず濡れたものを取り替えることにした。
「ホフマン隊長、これで安心しました? では僕は他の方の誘導もありますので」
あっさりと立ち去るフレッチャーを見送りながら、ホフマンは忌々しそうに息を吐き、リアーナ達に向き直った。
「カールソン嬢、私はアルフレッドを呼びに行ってきます。鍵をかけて部屋にいて下さい。今までの行いが悪かったのは反省しますが、今回ばかりは信じていただきたい。アルフレッドの唯一のあなたには」
「ホフマン様、お気持ちは分かりましたわ。ではここにいることをアルフレッドか家族に言付けをお願いできます?」
「もちろんですよ。でも本当に気を付けて下さいね。団長もいつもと違う感じだったので、何か起きているのかもしれませんから」
「ええ」
扉に鍵をかけて、簡単に洗面を使わせてもらい、乾いた服に着替えたらだいぶ人心地がついた。
「マリーも早く着替えちゃいなさい」
「パパッとやりますわ! 少しお待ちを」
持って来ていた携帯保温瓶のお湯が冷めてしまったので、部屋に備え付けられていた湯沸かしを使って温め直していると、扉をノックする音が聞こえた。
家族かトビアスが来たのかしら、と思ったリアーナが「どなた?」と聞くと、「姫様のお越しです」という声が返ってくる。
マリーの着替えが済んだことを確認し、慌てて扉を開けると、先程とはまた違う装いのビクトリア王女が少し困ったような顔で立っていた。
「中でお話してもよろしくて?」
「ええ、もちろんです。殿下」
しずしずと室内に入るビクトリア王女は、先程と比べ随分落ち着いた雰囲気になっている。
「カールソン嬢も着替えは済ませたわよね?」
「ご用意下さったものをありがたく使わせていただきましたわ。侍女も」
「それなら良かったわ。それと······何だかごめんなさい。わたくしったら」
どうしたのだろう。頬に手を当ててすまなそうにしている王女は、何かを切り出したいのに躊躇っているように見える。
「王女殿下、お体冷えましたわね。お湯を沸かしましたのでお茶でもいかがですか? 南部の花茶ですけれども」
「ありがとう、いただくわ」
マリーの手によって淹れられた南部の花茶がビクトリア王女に供される。銀のスプーンでかき混ぜた王女は、横の侍女の試飲確認を済ませてからゆっくりと口に含んだ。
「まあ! はじめてのお味ですけれども、飲み口が爽やかで落ち着くわ。このお茶いいわね」
「ありがとうございます。南部に咲くクートという花を乾燥させたものを紅茶にブレンドしたものですの。ほんのりと酸味がございますが、それがお肌にいい効果があるとかで南部女性には人気なのです」
「そうなのね。心なしか頭もすっきりしてきたようだわ」
微笑む王女は柔らかくたおやかだ。そういえばあのきつい匂いが今はない。雨で流されたか、一度お風呂に入って洗い流したのか。
「わたくし、ちゃんと隣国ハプラムの王弟殿下と結婚するつもりなのよ。たしかにアルフレッドには少し憧れていたけれどね。そう決めていたはずなのに、彼がわたくしを好きというのを聞いたら、なぜか気持ちが抑えられなくなってしまったの。······こんな大事にする気などなかったのに、あなたにも迷惑をかけたわ」
「姫様!」
そう言って殊勝に頭を下げるビクトリア王女に驚いたリアーナは、侍女達とともに慌てて止めるよう懇願をする。
「王女殿下、おやめ下さいませ! わたくし気にしておりませんわ!」
「でも······」
「本当にいいのです。それにしてもどうなさったのですか? その、以前とは······」
言動がまるで違うとは言いにくく、リアーナが言葉を濁しているのを察して、王女がふうとため息をつきながら話を続けて行った。
「そうよね。なんだかこの頃のわたくしは、とにかく心が踊っていて······ふわふわしていたの。『俺のリア』はわたくしのことを言っていると聞いたら感情が抑えられなくなって······。
あのね、ゼカリヤ王弟殿下は歳は少し上だけれども、温厚で良い方なの。幼い頃に婚約者を亡くされて、ずっとお一人でいらしてね。あちらで王位を継ぐわけでもないし、二人で穏やかに過ごしましょうと言っていたの。
なのに私がどこかでこの国に居たい気持ちがあったから、アルフレッドに縋ってしまったのだわ。『リア』だなんて呼ばれたこともないのに、何故勘違いしたのかしら? 愛し合っている二人を引き離すつもりはなかったのよ。ごめんなさいね」
マリッジブルーだったのかもしれない。そう小さく呟いた王女は、またお茶を口にして目線を落とした。
「王女殿下はその噂をどなたから伺ったのですか? わたくしも今回のことがあるまで全く知らなかったのですが」
「えっ? 侍女のミリアンからよ。彼女の兄が第三騎士団に居て、この噂を教えてくれてね。そう、有名な話ではなかったの? ······あらそういえばミリアン、あなたにも『リア』が付くわね」
ミリアン。王女の横で赤銅色の髪の毛をきちりと結い上げ、やけにリアーナにきつい侍女。彼女のその感情を削ぎ落としたような立ち姿を見て、あることに気づく。
赤銅色······第三騎士団にもいた、その髪の毛の人が。
「ミリアンさん、お兄様の名前は、······ニール・フレッチャー?」
そこまで聞いて、リアは飲んでいたカップを取り落とした。異様なほどの甘く重苦しい匂いが一瞬で部屋に充満したのだ。グラグラと頭が回り、気持ち悪い。見ると、ミリアンがハンカチで口を覆いながらボトルの中身をドボドボと絨毯にこぼしていた。
「あなた何を······」
「カールソン嬢、どうなさったの? 大丈夫? ミリアン、ハンナ、大変よ! お医者様を呼んできて!」
「······効きが悪くなってますね、姫様。この女もアルも効きにくいし、どうなってるのかしら」
「なに、を言ってるの、ミリアン?」
リアーナが朦朧としながらも目を凝らすと、焦茶色のハンナと呼ばれた侍女とマリーも床にうずくまっている。
「お嬢様、お逃げく、だ······」
マリーの悲痛な叫びも虚しく、空のボトルを投げ捨てたミリアンが割れた破片を踏みつけながら扉を開けて、外にいた騎士ニール・フレッチャーを引き入れた。彼も用意周到に口を布で覆っている。
「ビクトリア王女殿下、大丈夫ですか?」
「え、何をするの、いや······」
フレッチャーは取り乱すビクトリア王女を介抱するふりをして、薬を含ませたハンカチを嗅がせてあっという間に意識を失わせてしまった。
「殿下に何をするのです! あなた方の狙いは何なの?」
「うるさいわね、リアーナ・カールソン。あんたにはこれから一仕事してもらうのよ。さあホフマンが戻る前に移動しましょうか。姫様やあんたの侍女が大切なら言うことを聞きなさい」
王女と同じく意識を失わせたマリーとハンナを縛り上げ、風呂場に転がしたフレッチャーが戻って来て、いい笑顔で言った。
「さあリアーナさん、僕達の指示通りに動いて! 演技は得意だよね?」
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