第8話

 だって『夫婦』になるのでしょう、わたくし達······?


 ビクトリア王女がとんでもない爆弾発言を投下して来た。しかもただ事実を口にしたという風にあまりにもあっさりと告げたことで、誰もがアルフレッドは了承済みなのだと誤認してしまうほどの威力があった。


 リアーナだって自身が彼の婚約者でなければ、それが事実なのだろうと思ったに違いない。だが二人は婚約解消などしていないし、教会にも婚約申請済みなのだ。

 一瞬のうちにあれこれ悪い考えが頭を駆け巡ったが、これまた簡潔に隣のアルフレッドが王女に返答した。


「いいえ、王女殿下。私の婚約者はこの女性、リアーナ・カールソン嬢でございます。恐縮ながらどなたかとお間違えでは?」

「あら嫌だ、その方とまだ婚約中でしたの? わたくしと婚約するためですから、早く対応なさってとお願いしておりましたのに」

「御冗談を······」

 

 困ったわという風にしなやかな指を頬にあてて小首を傾げた王女は、さらに強力な爆弾を放り投げた。


「婚約者の目の届かないところでは、いつもわたくしのことを惚気けて下さっているのでしょう? 『俺のリア』と」


 静まり返っていた広間が突如としてざわめきに包まれる。


「たしかにリアちゃんも可愛いんだけど、副団長の言ってた『俺のリア』とはちょっと違うよなとは思ってた」

「俺も。イメージ的にはビクトリア王女殿下の方が······」


 リアーナから顔を背けて、団員達がそこここで噂話をしているのが聞こえるが、アルフレッドが鋭い眼光を巡らせて黙らせた。


「ビクトリア王女殿下、お初にお目にかかります。ただいまご紹介にあずかりましたカールソン伯爵の娘、リアーナと申します」

「あなた、殿下の許可なく話に割って入るなど不敬ですよ!」


 空気を変えようと挨拶に入ったリアーナを、赤銅色の髪をした侍女が眦を吊り上げて注意してきた。ビクトリア王女を崇拝しているのだろう、もう一人の焦茶色の侍女も控えろという目線を向けてくる。


「いいのよ、ミリアン。ごめんなさいね、カールソン嬢。あなたはもしかして知らなかったの? 彼がわたくしと婚約する話は」

「ええ。一言も聞いたことはございません」

「それは悪かったわね。あなたには申し訳ないけれど、第三騎士団内でもわたくしとアルフレッドとのことは有名だったのよ。いつもわたくしのことを誉めていたりね」

「殿下、それは違います!」


 アルフレッドがはっきりと訂正を入れても、ほほほと声を上げて笑うビクトリア王女に流されてしまう。


「いやね、照れなくてもいいの。アルフレッドのその気持ちがわたくしを動かし、お父様をも動かしたのよ」

「えっ?」

「あなたとの婚約が内々に決まったの。後は貴族院と教会の承認を得るだけまで進んだわ」

「私は王女殿下との婚約を求めた記憶はありませんが」


 王女がアルフレッドの近くに寄り、白蝶貝のような爪で可愛らしく彼の袖を摘んだ。


「王命となるのだから、これからは体面を気にしなくていいのよ。ええ、わたくしを浮気相手にしたくない気持ちはよく分かっているわ。優しいのね、うふふ」

「そういうことではありません!」


 当事者のはずなのに、いつの間にかリアーナはこの会話から弾かれ、目の前でいちゃつく二人を見ているだけになっていた。アルフレッドが元々ぶっきらぼうなタイプなので、美女に触れられて、照れ隠しに怒っているふりをしているように見えてしまうのだ。


 爪先から体が冷えていき足元に力が入らない。リアーナは落ち着きを取り戻そうと意識して呼吸をしたところ、ビクトリア王女がこちらに向き直った。


「ねえカールソン嬢。彼はあなたにとっては不誠実な婚約者だったかもしれないわ。でもね、あなたも全然会いに来ていなかったというじゃない。お互いに不誠実になってしまうということは、相性が悪いのよ」

「殿下!」

「相性は人によって変わるわ。婚約者として夜会に出る義務も話さず、歩み寄る気持ちもない者同士の心が結びつくこともない。それはあなたとの場合。わたくしにとっては『アル』は誠実で、正しく結びつく相手なのよ。······分かって下さるわね?」


 あらやだ、初めて人前で愛称を呼べたわ、と頬を薄っすらと染めるビクトリア王女。豪華なはずの金髪が素朴なミモザのようにも見えて、とても可愛らしかった。




     ◇     ◇     ◇




「リアーナさん、大丈夫ですか?」


 食事を避けるための免罪符にしていた見張り当番のせいで、アルフレッドは王女のいる大広間から動けなくなってしまった。

 ノーヴィックに指示され、急遽付き添い役を買って出てくれた団員の誘導で部屋に向かっていたリアーナは、頭が理解を拒否しているようにぼんやりしていた。


 気遣われても、淑女のように振る舞えないほど動揺は激しく、「大丈夫だ」という言葉が喉から出てこない。


 付き添いの彼は、日頃からリアーナ達にも挨拶をしてくれる人懐っこい人なのだが、恐る恐る話しかけてくるところを見ると今のリアーナの様子がよほどひどいのだろう。


「僕はニール・フレッチャーと言います。まだ下っ端ですけど。あの、皆は好きなようにあれこれ話してますけど、あなたの人生を他人に娯楽として消費されては駄目ですよ」

「······ええ」

「吐き出すだけでも楽になることもあります。そういう時は僕を使って下さい」

「どうして、そんな、に親切に」

「リアーナさんは可愛らしい方だし、副団長の性格的にも二股なんてするような人じゃない。そう信じてるからです」

「······ありがとう。フレッチャー様」


 ひとまず何も考えず横になりたい。フレッチャーに礼を言って部屋の扉を締めた途端、リアーナは寝室へ走ってベッドに飛び乗った。




     ◇     ◇     ◇




「お嬢様は、休んでしまわれました」

「そうか······」


 慰労会終了後。ようやくリアーナの元に駆けつけたアルフレッドだったが一足遅かったようだ。テーブルに用意された料理も手を付けられていないようで、リアーナだけでなくマリーも食べていないのだろう。


 それはそうだろう。アルフレッドはしっかり訂正したが、ビクトリア王女は何も聞き入れてくれなかったのだ。あまつさえリアーナの前で自分と夫婦になるなど······。冗談にもなっていなくて腹立たしい事この上ない。


 眠っているリアーナを思い、アルフレッドは寝室の扉を見やるが彼女が起きてくる気配はない。本当は寝室に続くこの部屋にすら他の男は入れたくないが、不測の事態が起こらないとも限らない。仕方なくノーヴィックをリアーナ達の部屋に呼び寄せて、マリーを含めて話し合うことにした。


「ビクトリア王女はあれか、前に護衛代理をしたあの時からまだお前に御執心なのか?」

「······近衛配属もずっと断っていますし、第三ですからほとんど王族とも関わる業務はありません。ですが剣術大会には毎回剣帯やハンカチを渡されたりして、どうしたものかと困っていました」


 アルフレッドは苦渋の表情を浮かべる。実際ビクトリア王女が彼を自身の専属騎士にしようと画策したことは一度や二度ではないのだ。その度にノーヴィックから断ってもらっているが、この頃は辺境伯を継ぐ準備を前倒しして退団しようかと考えていたくらいだ。


「それよりハプラムの王弟との婚姻はどうなってるんだ? あれだって立ち消えになったなんて聞いてないぞ。それなのにアルフレッドと婚約とか口走って、いくら内輪の会だとしても迂闊すぎないか」


 防音魔法をかけているからとはいえ、ノーヴィックは王族に対してずいぶんな言い方をする。これが彼の通常の性格だと知っているアルフレッドは気にならないが、マリーは無表情ながらも驚いているのが見て取れる。

 リアーナに絶対に信頼を寄せられているマリーのことは、前から観察をしていたのだ。そして協力も頼んでいる。


「団長、それなんですけど」


 難しい顔をしたままのノーヴィックは、アルフレッドがこれから言おうとしていることを察したのか、ことさら眉をしかめた。


「前から気になっていたんですが、うちの情報が漏れていませんか? ザイルバーガー公爵邸に我々が逗留させてもらうのはよくある事とはいえ、到着日を知らせたのは病院を立つ直前ですよ? それなのにわざわざ王女がここに来た。それに『俺のリア』の話だって、ただの雑談が詳細に伝わっている。毒のことと関係あるのではないかと考えてしまいますが」

「そうだな、明日には俺らも王城入りするというのに、王女がなぜここに来たのか俺も気になっていた。ザイルバーガー公爵は、近くの教会や孤児院へ慰問に来た帰りというのを信じているようだが、この近くの教会って中央教会だろ? ······神官長か?」


 忌々しい、と吐き捨てながらノーヴィックが膝を叩いたが同感だ。

 教会の高官による汚職は前々からまことしやかに囁かれている。ただ教会は国から不可侵の権利を得ており、現状では王族も許可なく教会深部に立ち入ることがかなわない。言ってしまえば罪を犯しても、お金を積んで神官となれば逃げ切れるのだ。


「断定は出来ませんが、何かが動いている気がします。それとマリー、ビクトリア王女が何を言っても戯言だ。俺はリアーナを裏切っていないし、婚約も結婚もリアーナだけだ」


 マリーはいくつかの軽食をアルフレッド達の前に並べてお茶を置きながら、呆れ顔を見せた。


「それ、ちゃんとお嬢様におっしゃって下さい。私から申し上げても素直に受け止めて下さらないかもしれませんので」

「そうだな、リアを不安にさせてはいけないな」


 そうだ、何のためにここまで辛抱したと思ってるんだ。

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