第9話

 アルフレッドはビクトリア王女との朝食は断ったものの、こちらには戻って来られなかった。王女だけでなくザイルバーガー公爵にまで、彼女のそばで護衛するよう指示されてしまったからだ。

 

 気まずそうな顔のノーヴィックが部屋に来たので、用意しておいたランチボックスとピクルス瓶を受け取ってもらった。もしアルフレッドに渡すのが難しいようでしたら、適当に消費して下さいと言うと、「自信を持て、あいつの『リア』は君だ」と肩を強く叩かれた。


「わたくし、違うかもって······」

「そんな事はない。あいつも昨日あんなに否定していたじゃないか。俺からアルフレッドの思いを勝手に伝えるわけには行かないが、幼い頃から縁を結んだ『可愛い婚約者』は君以外あり得ない。不安になるだろうが信じるんだ」

「······はい」

「王族の言葉を否やとした。それがあいつの義であり、君への真だろう」


 義とか真とか言われても分からない。彼は知らないのだ、演技でアルフレッドと親密にしていたことなど。今まではリアーナと会ってもろくに口も利かない男だったし、『俺のリア』だって一度もリアーナのことだとは明言していない。彼は自分の婚約者がそうであったらいい、と思って口にしていただけなのだ。


 形だけ婚約者のリアーナの名前を使って、実際にはビクトリア王女のことを言っていたという可能性だって捨て切れない。

 今はまだリアーナが正式な婚約者だが、昏睡する前までは婚約解消もかくやという状態だった。その理由がビクトリア王女との秘めた恋だったとしたら? アルフレッドは隣国に嫁ぐ予定のビクトリア王女のためにも、婚姻するまでの恋人として世間に公表するつもりはなかった。それが辛くて、内緒で呼んでいた愛称『リア』を使って思いを吐露していたのかもしれない。


 目を伏せてぐるぐると考え出したリアーナを見て、ノーヴィックは席を立ってもう一度肩を叩いて来たが、今度は優しいものだった。


「カールソン嬢。今日はこのままハンクス辺境伯のタウンハウスに送る。王城に着くと報告やらでアルフレッドもすぐに戻って来られないかもしれないが、待っていてやってくれ」


 


     ◇     ◇     ◇




 簡単でいいと話したのだが、マリーは気合を入れてリアーナを化粧し髪を結ってくれた。


「あちらのお屋敷にお邪魔するのは久しぶりですね。それとラウエル様もいらしているのですよね?」

「そうね。でもハンクスのおじさま達は領地におられるのだもの。私達のことは伝わっているはずだけれど、アルフレッドがいないんだと少し気になるわよね」

「ハンクス辺境伯様は構わないとおっしゃっていたのでしょう?」

「そうなんだけどね······」


 ほう、とため息をついてしまうと、マリーに叱られた。


「お嬢様、ここから出たらため息は禁止ですよ。明るく元気なお嬢様でいないと、アルフレッド様が心配します。今は事情があってこちらに来られないようですが、きっとお嬢様のことを気にして見ているはずですからね」

「そうね」


 最後にアイビーグリーンのリボンを髪に飾ったマリーは、鏡越しに微笑んだ。


「お嬢様、扉を開けたら女優ですよ。ビクトリア王女様とどちらが『リア』なのか、見る人が見たら分かるのですから」

「そうね。マリー、ありがとう」


 春の新緑のようなリボン。アルフレッドの瞳の色だ。この色が広がる南部の森に帰る時、自分はどうなっているのだろう。

 リアーナは勇ましく微笑み返した。




     ◇     ◇     ◇




 エントランスに向かうと、すでにビクトリア王女は降りて来ていた。アルフレッドと話すために早く動いていたらしいが、出立に向けて忙しく動いている彼を引き留めるのも憚られたのか、手持ち無沙汰にザイルバーガー公爵夫妻と会話をしているようだ。


 リアーナが公爵夫妻に辞去の挨拶をしようと進み出ると、ミリアンと呼ばれていた王女付きの侍女に早速睨まれた。


「婚約者が倒れたと聞いてさぞ心を痛めたでしょう。次回は楽しいご用事でぜひお越しになってね」


 昨日の慰労会には欠席されていた公爵夫人は、お礼を言うリアーナにあたたかく声をかけてくれた。高位貴族との付き合いが少ないリアーナにも、ご夫妻の人柄が稀有なものであるということが察せられる。


 ビクトリア王女はこのまま騎士団と一緒に王城に向かうということで、リアーナとはここでお別れとなる。それで王女にもご挨拶をと声をかけると、「ちょっとこちらに来て」と王女の馬車に乗せられてしまった。


「リアーナさんにとって周りに聞かれたくない内容でしょうから、ここでお話しさせていただくわね」


 乗り込んですぐにそう言われてリアーナは身構えてしまう。


「あなた、アルフレッドと前からうまく行ってなかったのでしょう? 今回は何故か嘘のように仲良くしていたみたいだけれど、そんな風にころころと気分で態度を変えるような人は彼にふさわしくないわ」

「それは······」


 薔薇の香りだろうか、甘い籠もるような匂いが馬車の中に染み付いている。強い視線を感じていたたまれずに窓に顔を向けると、可愛らしいレース仕立てのサシェが窓枠に揺れていた。


「わたくしは彼を愛しているし、騎士が何たるかを理解している。それにわたくしと結婚することで辺境地の防衛も、王国騎士団との連携も今以上に結びつきが強くなる。あなたにそれが出来て?」


 ビクトリア王女が顔を近づけてきた。美しい眼差しが強すぎるような気がして恐怖を覚える。こんなに綺麗で何もかもをお持ちの方がアルフレッドを好きなのか。


「二人で夜会にも出ないほどうまく行ってないのなら、彼のためを思うなら、あなたから婚約解消をしてちょうだい。その方があなたにとってもまだ傷は浅いわ。

 了承してもらえるのなら、カールソン領の野菜の流通について、個人的に優遇してあげる。あなたにも事情はあるでしょうけど、なるべく早く決断してお帰りになって。そうしたらすぐに優遇案をお送りするように手配するわ」


 優美な王族の口元から溢れるのはリアーナにとっては残酷な言葉だ。芳しい匂いを纏う可憐な美貌の王女。たとえ権力を持っていなかったとしても、女性として彼女には敵わないと思ってしまいそうだ。でも負けてはいけない。リアーナは森の匂いが好きなのだ。


「王女殿下、あいにく今すぐ帰るわけにはまいりませんの。ハンクス辺境伯様のご指示で王都のハンクス邸に呼ばれていますので、少なくともご挨拶はいたしませんと」


 口に笑みを浮かべてリアーナは答えた。

 その様を、ようやくリアーナが恭順の意思を示したと見たのか、ビクトリア王女の表情が緩んだ。


「それなら仕方ないわね。挨拶までは許すわ。これは温情よ? 離れるのが長くなるほどあなたが辛くなるのですからね。わたくしを愛するアルフレッドをこれ以上見たくないでしょう?」

「そうですわね。そんな婚約者は見たくはありません」


 裏切り者なら捨ててやる。リアーナが怯まずに見返すと王女は僅かに揺らいだらしく、苛立ったようにレースのサシェを握りしめた。中でポプリが潰れ、その甘い匂いがむわりと濃く広がっていくと、再びビクトリア王女が場の空気を支配した。


 ならばあなたがすることは一つよ、と切り出した美しい王女のその瞳が色を深めた。


「あなたの意思で、彼に別れを告げなさい」


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