第3話

 アルフレッドの意識が戻ったのは、その日の夕食後の時だった。


「目が覚めたか、アルフレッド」

「う、俺は······」

「落ち着け。解毒は済んでいる。他に異常はないか?」

「はい、団長。問題なさそうです。それから、リア······」

「アル! 心配して駆けつけたのよ! 良かったわあ、目が覚めて!」

「え、お前、その話し方は」

「良かったわあー!」


 ドン、と音がするような勢いでアルフレッドに抱きつくリアーナ。それにただただ驚くアルフレッドは耳を赤くして混乱している。


「お、おい、どうし······」

「シッ! 静かに! あんたのおかしな嘘のせいでこうなってるんでしょ!」

「き聞いたのか、リアーナ。違うんだ! これは」

「今は合わせて!」

 

 はじめは口をパクパクとさせていたアルフレッドも、ノーヴィックや部屋の外のギャラリーに気づき、演技のスイッチを入れたようだ。再び熱でも上がったように顔を赤くしながらだったが、病み上がりなので問題ないだろう。


「あー、心配かけてごめんね、······リア」

「いいのよ、大切なアルが無事でいてくれたんだから」


 抱き合いながらいちいちゃと話し合う二人を見て、呆れた顔のノーヴィックは「医者を呼んで来るから」と言って、ギャラリーを追い払いながら部屋を後にした。

 ノーヴィックが出て行くのを見届けてから、リアーナは大慌てでアルフレッドから離れて顔をまじまじと見つめた。


「な、なんだよ、そんなに見て」

「体調は大丈夫なの?」

「ああ、そのようだ。······もしかしてカールソン家にも連絡が行ったのか?」

「そうよ。それで慌てて来てみたっていうのに、あんた何で『俺のリアは自分にベタ惚れ』とか嘘ついてるのよ!」

「そ、それは、副団長の婚約者がじゃじゃ馬だと威厳が損なわれる······。あ、いや、男所帯でついつい皆の願望にあわせて話してたら」

「こうなったっていうのね。はあ。それがあんたの理想の女の子なのね。じゃじゃ馬な私とは真逆じゃない!」

「いや、理想ってわけじゃ」

「大変だったんだからね! 突然謎の『可愛いリアちゃん』を求められて! 周囲の期待に応えないといけない空気も感じちゃって」

「そ、それは申し訳ない······」

「こっち向きなさいよ! もう! いつも顔を背けるんだから! 礼儀知らずよ!」


 ぽんぽんとリアーナに詰められていると、アルフレッドが空咳をし出した。マリーが慌てて水を手渡すと、あっという間にグラスを空にして二杯目を飲んだ。


 この男が、自分とは真逆の理想の婚約者の妄想を垂れ流していたのには腹が立つが、それでも彼は何者かに陥れられた被害者であり病人だ。まだ犯人が見つかっていないのだから、近くで見張っている方がいいだろう。


 リアーナはため息をつくと、アルフレッドを指差しながら宣言した。


「······副団長が情けない嘘をついていたのがバレるのも可哀想だし、仕方ないわ。めちゃくちゃ恥ずかしいけど騎士団の前では『俺のリア』になり切ってあげるわよ! 設定を話しなさい!」




     ◇     ◇     ◇




・『俺のリア』は自分にベタ惚れ。

・離れていることをいつも寂しがる。

・恥ずかしがり屋。昔は手を繋ぐのも恥ずかしがって、袖口を掴んで散歩していた。

・俺の前では感情表現が豊かで素直。

・俺のそばにいるといつも嬉しそうな顔をする。

・俺と一緒に過ごしたいからと細腕で剣術までやろうとした。

・騎士団の任務で怪我はないか心配しているが、仕事には理解がある。

・声が甘くて可愛い。

・いつも『リア』『アル』と呼び合っているが、他の人が俺を『アル』と呼ぶと拗ねる。

・昔からおいしいものを食べると、すぐ分けてくれようとする。優しい。

・笑顔が可愛い。怒っても可愛い。何してても可愛い。······


「······ああ! もういいわ!!!」

「お嬢様、演じる役の人物設定は大切ですよ。設定を叩き込めば、役に入り込んで自然に動けるようになりますから」

「役って言っても私のことでしょ! あいつの作った『俺のリア』が現物と乖離し過ぎなのよ!」


 リアーナは部屋の寝台に突っ伏して現実逃避を図ろうとしていた。

 それというのも、先程アルフレッドから聞き取りを行い、ようやく『俺のリア』の全貌が見えてきたのだが、その中身がリアーナ的には大問題だった。こうしてマリーがメモに取ったものを読み返してみても、恥ずかしさ満載で身悶えが止まらないのだ。


「無理よ、こんなの!」

「ですが、お嬢様はやると宣言なさいました。大丈夫、お嬢様はやれば出来る子ですから」

「それにしても設定が具体的過ぎない? 長年の妄想なのかしら。アルフレッドってああ見えて変態······」

「いえいえ、このくらいでは変態としてはぬる過ぎますよ。それにこの設定って、間違いなくお嬢様のことをベースにしてますよね?」


 そう言われてみると、ところどころに現実が混じっているようにも思う。動機は違うがリアーナが剣術を習い出したのは事実だし、昔は稽古の後にクッキーを三人で分け合って食べたりもした。

 嘘も現実を織り交ぜると本当っぽくなるしね、などとリアーナが感心していると、呆れた顔でマリーがこちらを見下ろしていた。


「お嬢様はお小さい頃から可愛らしかったですし、今だって素直じゃないところはありますが、そこも含めて可愛らしいですよ」

「素直じゃないって、褒めてないわ」

「マリーがそう思うのですから、アルフレッド様だってお嬢様のことを本当に可愛いと思ってらっしゃるのでは? 多少盛ったとしても実際にそう見えているのかもしれませんよ」

「『俺のリア』は私と真逆でしょ?」

「主観と客観は違うものです。婚約者目線も」


 マリーは丁寧に紅茶を入れ、蜂蜜を一匙添えてリアーナに手渡した。


「アルフレッド様の心の内はアルフレッド様にしか分かりません。人の心を決めつけてはいけませんよ、お嬢様」




     ◇     ◇     ◇




 騎士団員は明後日にここを立って王都に戻るというので、リアーナ達もそれに併せて帰ることにした。そうなると南部のカールソン領とは帰路は別になる。この演技もあと少しの辛抱と思っていたら、家から手紙が届けられた。


「うーん······」

「お嬢様、どうなさったんです?」

「あのね、私って滅多に領地から出ないじゃない? それでハンクス辺境伯様が、丁度いいから王都に行ってアルフレッドと婚姻のことを進めたらっておっしゃったらしいの。滞在には辺境伯家のタウンハウスを使っていいからって」

「それでは、王都に行って夜会にも出席なさるってことですか? いいお話ですね!」


 マリーは喜んでいるが、リアーナの顔は浮かない。なにせまだアルフレッドを狙う犯人も見つかっていないのだ。そんなチャラチャラしたことをしている場合ではない、と言いたいが貴族家の令嬢として両家の意向は絶対だ。


「あ、あと、ラウエルも学院がお休みになるから、私がいるなら騎士団に見学に行きたいんだって」


 一つ下の弟ラウエルは今年王立学院を卒業する。彼は幼少時からとにかくアルフレッドのことが大好きで、彼が騎士団に入るとなった時には自分も一緒に入団したいと困らせたほどだ。そんなことを言っていたラウエルだがカールソン家の後継ぎでもあるので、ついでに姉妹あわせてアルフレッドに王都のことや夜会のことなど教わって来いということらしい。


「本当に我が家の両親は大らかね······。ハンクス辺境伯家もだけれど」

「ですが、直接話すというのは大切なことです。いい機会になるのではないですか?」


 それはそうなのだが、相手はあのアルフレッドだ。婚約してからとみに会話がなくなり、思春期特有のなんとかで異性と話したくないのかと思ったけれど、まさかそれが今に至るまで続くとは思わなかった。それならばこれはもうアルフレッドの特性というものだ。リアーナとは話さない、顔を合わせない、という特性。

 それが改善できないことには、アルフレッドと膝を詰めて婚姻式の準備など無理なんじゃないだろうか。


 リアーナが悩みつつもマリーとあれこれ話していると、外からアルフレッドが声をかけて来た。


「リアーナ。ちょっといいか?」


 入室してきたアルフレッドは、リアーナの手元の手紙を見て僅かに表情を強張らせたが、いつものように淡々と話し始めた。


「お前にも手紙が届いたと思うが、親の意見を聞きこのまま王都に一緒に来ないか? 服は向こうで用意できるし。俺はつい城内の寮で寝泊まりしてばかりだったが、お前が来てくれればタウンハウスの者達も張り合いが出るだろうしな」

「え、じゃあ、タウンハウスにはアルフレッドは居ないのね?」

「いや、そんなことはない。でも嫌だったら帰らないが······」

「いやね、当人を追い出してまでお世話になれないわよ。逆に居心地が悪くなりそうだから、居てほしいわ」

「居てほしい······本当か?」

「ええ」


 リアーナの返答を聞いて、アルフレッドは一瞬目元を緩ませたように見えたが、またいつもの仏頂面に戻ってしまった。


「それと、今後のことも話し合えと」

「そうね。話さないとね」

「そうか」

「ラウエルもあなたがお兄様になることを楽しみにしてるしね」

「兄······そうだな、そうなるな」

「でもいいの?」


 そんなに不機嫌そうな表情をしているのに、アルフレッドは本当にこの結婚を進めていいのだろうか。リアーナは最後通告のつもりで問いかけた。


「理想の婚約者像と真逆の女と、幼馴染だからっていう理由で結婚して。あなた不服なんじゃないの?」

「不服じゃない」

「そう? それならいいけど······」


 言葉だけなら真摯に聞こえるが、アルフレッドの顔は真っ赤だし、目は合わないし、表情も強張っていて、とてもそうは見えない。

 それでも、ここ数年で一番会話したような気がする。おかしな嘘のせいもあるけれど。


「とにかく、皆さんの前で私と話す時に、そんなぶっきらぼうな口調はやめてね! 『俺のリア』になりきるためには、あなただってそれに見合った演技をしないといけないのよ!」

「分かった」

「······本当に分かってる?」

「分かってる」


 リアーナはため息をつきたくなったが、今更他の人を探すのも大変だ。アルフレッドがそれでいいと言うならいいか。

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