つかれた(再掲)

粟生屋

☔️


ザアザアと雨の音が暗い山道にこだます。

ぬかるんだ夜道は、泥のように雨靴にまとわりつき、足取りがひどく重くなる。

8月の季節特有の湿気と熱気によって体温が上がり、体を冷却しようと全身から汗が噴き出す。

しかし、雨露を凌ぐためにきたレインコートは、体内の熱を微量たりとも逃がす気がなく、ただ生暖かい液体が全身を伝う。

これじゃあ着た意味がないなと思うほど、衣服はそのまま雨に打たれたように汗で濡れて、さらに体が重くなる。

全身の水分と体力奪われながらも、真夜中の暗く足取りが悪い山道を進むのには、ある目的があった。

背中に背負った重く大きい荷物を捨てるためだ。

終わりが見えない山道が続き、気を紛らせようと脳が別のことを考えるように促す。

私はこの出来事の原因となった彼女のことを思い出した。



数時間前、私と彼女はベッドに横になりながら、気だるい沈黙が続く時間を過ごしていた。

別れましょう

沈黙を破ったのは、彼女のほうだった。

そしてもう一言付け加える。

あなたといたらつかれるの

振り向かずに私もつぶやく。

僕もだよー

聞き終わらないうちに彼女はベッドから起き上がり、白いワンピースを床から拾い上げて浴槽へと向かう。

シャワーの音を背後から聞きながら、僕は彼女の肉体に二度と触れられなくなったことを惜しんでいた。


彼女がいなくなった今、私は浴槽に立って彼女のものだったものを処分しなければならかった。

ビニールでものを包み込み、ガムテープでさらに梱包する。

そして、夜に車に乗せて、山道の入り口へと向かう。

荷物を背負いながら、これがかなり疲労する作業だと実感する。

彼女はいつも僕をつかれさせる。これからもずっと



そうこう頭を巡らすうちに、山道が途切れ、やっと目的地にやってきた。

目の前に大きな湖が広がる。

湖は深く、茶色く濁っている。

ここならきっと荷物を誰にも知られることなく捨てられるだろう。

私は荷物を湖に投げ捨てる。

幾多の雨が規則正しい波紋を水面に浮かび上げている。

そこに荷物を落とす。

湖に不自然な半円が広がると、水面は激しく揺らぎ、一面に不協を与えた。

やがて、荷物が底に沈み、姿が見えなくなると同時に不協は収まる。

湖はかつてと同じ、最初から荷物を捨てた事実がなかったかのように、再び規則正しい波紋を描き続けた。

私は振り返り、先程の山道へと戻る。

重い荷物から解放されたにも関わらず、足取りは一向に軽くなる兆しが見えない。

まだ、荷物を背負っているような錯覚をひきおこす。


明日にはきっとつかれているだろうな


私はそう微かに苦笑しながら、ゆっくりと山道を歩いていった。


 衣服を脱ぎ、風呂場へと入る。

青いタイルが張り巡らされている室内は、薄暗く、冷たい。

浴槽に浸かろうと考えたが、浴槽にはすでに、水が溢れでるほど入っており、水は汚れて濁り底が見えない。

昨日の湖を思い出し、入るのをやめた。

ひとまず、シャワーをひねり全身を濡らす。

乾燥していた汗は水を含み粘性を帯び、体全体がベトベトになる。

そこに、石鹸を擦り汚れを落とす。

シャンプーをするために、一時的に視界を閉じる。

暗闇の中では、感覚が鋭敏となり、洗髪料の香り、シャワーの音、タイルの床の感触がより明確になる。

タイルの規則正しい凹凸の中で、奇妙な感触を感じる。

それは、徐々につま先から始まり、ゆっくりと足を侵食し、絡みつく。

シャンプーを洗い落として、目を開き、足元の方を見やる。

黒く長い髪の毛が足に絡みついている。

彼女で昨日浴槽を使ったことを思い出し、足から降り解き、水で流す。

髪の毛は排水溝へと流れてゆっくりと姿を消した。


脱衣所で、タオルを腰に巻き、体の熱を取るためにぼんやりと佇む。

肩が一段と重くなり、疲労を実感する。

背後からヒタヒタと水音が響く。

洗面台の鏡に頭をつけて、鏡の冷たい感触を楽しむ。

鏡は部屋に面しているため、部屋全体を見ることができる。

視界の端に白いものが映る。

彼女のワンピースだ。

ワンピースは水に濡れて、肌に張り付き、彼女の青白い肌が透けて見えた。

彼女が戻って着た。

濡れた長い髪が顔を覆い表情は見えない。

手を伸ばし、彼女の姿を鏡越しに指でなぞる。

口角が徐々に上がるを感じた。


冷房がよく効いてる部屋にいる。目の前に老年の女性が座っている。僕は自身の肩をさすりながら言う。

とにかく肩が凝るんですよ。先生

女性は笑みを絶やさずに言う。

つかれている人によくありがちなことですね。ここにきたらすぐに皆さん良くなりますよ。

よかった。そう言いながら僕は笑みを隠しきることができなかった。洗ったばかりの服の感触を感じながら勝利を感じる。物事には確信が必要だ。果たしてほんとに疲れているのか、あの後すぐにここへ向かった。女性はこのことに関してかなり腕利きであることが近所では有名だった。

では見てみますね。女性が僕の肩に触れ目を閉じた。しばらくの沈黙が流れる。女性が口を開ける。

あなたはつかれていませんよ。

目を見開く。ありえない。そんなことは、でも僕にははっきりと彼女が見えるんですよ。

女性は困惑したように言う。いいえでも、私には何も異常がないように思いますよ。勘違いといった場合もありますからね。念の為除霊をしておきましょうか?

いいえ結構です。そういって僕は部屋を後にした。焦燥感が襲う。外は猛暑と熱気に包まれているのに僕の身体はまだ冷たいままだった。彼女に憑かれていることが勘違いだった。あの女がいったことが信じることができなかった。僕が彼女に憑かれるようなことをしたのに。

 彼女が別れを告げた日。出て行こうと玄関で靴を履いている彼女の首を絞めて殺した。その遺体を彼女だとわからなくなるまでに、浴槽で解体し湖に捨てた。

 殺されるなど不意の死を遂げた霊魂は、怨みによって相手の体に取り憑く。彼女と例え肉体上別れて、彼女はまた僕のところに戻ってくるしかない。

 そう思っていたのに、僕は彼女を殺していずに、彼女はただ戻ってきただけなのだろうか、それともただの妄想なのだろうか? それならまだいい本当は...嫌な考えが過ぎる。もし本当に僕は彼女を殺していて、湖に捨てたが、彼女にとって僕に殺されるということに何も怨恨など感じていないとしたら....

全て湖と雨によって隠された彼女の痕跡は消え去った。彼女はもうどこにもいない。消えてしまったのだ。猛暑の中ただあてもなく進み続ける。もうつかれを感じることは無くなっていた。



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つかれた(再掲) 粟生屋 @inouuu

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