第95話 悪魔の王

 ソルドが悪魔にトドメを刺したのを"異界"から見物していたティルティは、鼻歌交じりに現実世界へと帰って来た。


 場所はもちろん、タイタンズ残党が拠点としていた隠れ家の中。

 そこで、悪魔についての理論や伝承を纏めた資料を物色し始める。


「ふふふ、やっぱり兄さんは最高ですね。世界最強です」


 資料を読みながらも、ティルティの頭はソルドの雄姿でいっぱいだった。

 特に、自分に手を出されて激怒していたという点が非常に良い。


「兄さんが誰に対しても優しいのは良いことですが、やっぱり私だけを見ていて欲しいですからね。ふふっ、ゴミ共が必死に集めた資料も手に入りましたし、今日は良いこと尽くしです」


 ルンルンと、その場でスキップすらしそうな様子のティルティ。

 その傍らで、資料の精査もしっかりと進めていく。


 が、その表情は徐々に呆れ顔へと変わってしまう。


「この人達……こんな乏しい認識で悪魔を使おうとしていたんですか? 無謀にもほどがあるでしょう」


 タイタンズ残党の資料を見れば、悪魔に対する認識が深まると考えていたティルティだが、特に新しい情報がないことに失望する。


「マニラですら知っていた概念魔法の知識すらないなんて……もはやここまで来ると、彼女がどうやって概念魔法を知ったのかの方が気になりますね」


 マニラが知ったのは前世の知識なので、ティルティが望む情報は出て来ないのはおかしな話でもないのだが……だからこそ猶更、タイタンズ残党の行動は稚拙に過ぎた。


 こんなもの、自殺と大差ないだろうと。


「後は精々、悪魔召喚の魔法陣くらいですか……いくらなんでも、基礎理論すら不明のものなんて試しようがないんですけど」


 はあ、と溜息を溢し、ティルティは不要となった資料を闇魔法によって作り出した亜空間へと放り込む。

 二度と読むことはないが、こんなものでもタイタンズが今回の元凶だという証拠にはなる。


 なまじ、残党は全員ティルティが"実験台"として使い潰してしまったので、これくらいは持ち帰らなければ事件が迷宮入りとなってしまうのだ。


「さて、と。こんなところで……あれ……?」


 しかし、資料の整理を進めている中で、その奥に埋もれるように少し異質な魔法陣を見付けた。

 構成はほぼ悪魔召喚と同じだが、明らかにより複雑化している。


 素直にその用途を考えるならば、より強力な悪魔を呼ぶためのものであるのは間違いないだろう。

 しかも。


「既に使用された痕跡がある……それも……恐らく、三回……?」


 どういうことだろうかと、ティルティは思考に耽る。


 これまで、ソルドが対峙し"それなりに"強かった悪魔は、ルイスの体を乗っ取った悪魔と、先ほど倒した悪魔の計二体。この魔法陣が使われた回数と合わない。


 しかも……この魔法陣は、恐らく三回目の使用で破損しているのだ。


 それも、


「……少し、面倒なことになるかもしれないですね」


 単に、耐用回数を超過したことによる破損ならばいい。

 だがそうでなかった場合、これまで学園に混乱をもたらしてきた悪魔達とは次元の違う存在が、この現実世界に紛れ込んでいる可能性もあるわけで……。


『ハハハ、なかなか見所のある小娘じゃねえか』


「っ……!?」


 突如聞こえた声に、ティルティは咄嗟に腕に巻いた呪具に魔力を込め、闇魔法を発動する。


 空間ごと対象を圧殺する極悪魔法、《空間圧壊ディメンションブレイク》。

 通常であれば、ドラゴン級の魔獣を相手に、騎士小隊が全力を挙げて構成しながら発動出来ない切り札とも言える魔法なのだが、ティルティはノータイムで発動してみせた。


 しかし──その必殺の魔法は、"声"の主に何の影響も与えることなく、ただ自身のいる隠れ家を余波で吹き飛ばすのみに終わってしまう。


 その結果を驚きもせず、ただ舌打ちと共に流したティルティは、崩壊した隠れ家から飛び出し、"それ"を見上げる。


『おうおうおう……ただの人間にしては随分と良い魔法してるじゃねえか……クハハハ、連中が負けたのも納得だぜ』


 そこにあったのは、ただ濃厚な闇の塊だった。


 人でも魔獣でもない、ただただ巨大なエネルギーの集合体。

 なぜ、それが一つの生命体として存在し続けられるのか、ティルティをしても全く理解できない。


 だからこそ逆に、それが最後の一体……悪魔達の親玉なのだと、ティルティはすぐに察した。


『どうした? 俺の存在を見て恐ろしくてビビり散ら……』


「《炎獄インフェルノ》」


 まだ何事かを喋ろうとしていた悪魔に向け、ティルティは一切の迷いなく魔法を放つ。

 空中で燃え盛る地獄の業火が、まだ残っていた隠れ家の残骸を焼き尽くすが……やはり、その悪魔に対しては何の影響もない。


「《凍獄アイスエイジ》、《嵐雷葬送ストームレクイエム》、《巨人岩拳ストーンナックル》」


 それでも関係ないとばかりに、ティルティは次から次へと魔法を叩き込んでいく。

 空間ごと凍てつかせる絶対零度の凍気、雷轟く破滅の嵐、圧倒的な質量を持つ岩の拳。


 そしてトドメとばかりに、"異界"ですらない現実では使うつもりのなかった切り札も躊躇なく放った。


「叩き潰しなさい……《闇巨人タイタン》!!」


 魔人の力を再現し生み出した、漆黒の巨人。

 単なる質量とも異なる、最も魔獣に近い存在による一撃が、もはや周辺の地形すら変える勢いで振り下ろされ──それでも、悪魔にはほぼ何の影響ももたらさなかった。


『……無駄だっての。オレはそこらの悪魔とは、文字通り次元の違う存在なんだからな。つうか、人の話くらい最後まで聞けよ、ちゃんとママの教育受けてんのかぁ?』


「…………」


 打てる限りの手を打ち尽くし、それでも一切痛手を与えられなかった。

 その結果に、ティルティは絶望の淵へ立たされる──


「なるほど、なら……これはどうですか? 《光槍ライトスパイク》」


 ──こともなく、新たな魔法を紡いで攻撃を仕掛けた。


 やれやれと、悪魔は溜息と共にその魔法を受けて……自身の体を確かに貫いた痛みに、ありもしない目を見開いた。


『おお……? 痛え、だと……?』


「良かった、これは効くみたいですね。先ほど、散々悪魔達を相手に実験を繰り返した甲斐がありました」


『……マジかよコイツ』


 その悪魔にとって、ティルティが放った光魔法の一撃はまだまだ致命傷には程遠い。

 この状態のまま千発撃ち込まれようと、消滅しない確信があった。


 しかし、そもそも魔法で傷を付けられたこと自体が、悪魔にとっては驚愕だ。

 聖属性のような特殊な力もなく、自身の頭脳と試行錯誤によって、この短期間で対抗魔法を独自開発するなど、常識の埒外にも程がある。


『本当に人間かよ、てめぇ。でもまあ……なればこそ、このオレが入る"器"に相応しいなぁ!!』


「っ!!」


 喜々として、悪魔はティルティの体に入り込もうとその"闇"を広げていく。

 いくらダメージが通る魔法を作り上げたといっても、ほんの僅かに痛みを感じさせる程度ではその勢いを止めることなど出来るはずもなく、ティルティは飲み込まれた。


『ヒャハハハ! 先走ったバカな部下共の戦いには間に合わなかったが、このふざけた小娘の体がありゃあ、オレ一人でもこの世界を滅ぼせる!! 精々オレのために、その全てを捧げな。おっと、抵抗したって無駄だぜ? オレ様くらいになりゃあ、わざわざ契約なんてしなくても、強引に体を奪うくらい……』


「…………るな」


『……あ?』


 悪魔にとって、現実世界で自らの存在を保つためには、依り代となる肉体が不可欠だ。

 ようやく望む器を手に入れたと歓喜する悪魔だったが……ティルティの様子がおかしいことに気付き、訝し気な声を上げる。


「この体も心も、全部兄さんの物だ。薄汚い悪魔が、勝手に奪おうとするなっ!!!!」


『っ、うお……!?』


 その激しい怒りの感情に押し流されるように、悪魔はティルティの体から追い出された。

 疲労困憊といった様子でその場に膝を突くティルティだったが、悪魔はそれ以上追撃しようとせず……やがて、歓喜の雄叫びを上げる。


『ク、ククク……クハハハ!! いやそうか、そういうことか!! だよなぁ、ただの人間が、魔法で悪魔に傷を付けられるわけがねえ……!!』


「…………?」


 悪魔が何に喜んでいるのか、ティルティには全く理解出来なかった。

 分かるのは、なぜか目の前の悪魔が、突然戦意を失ったということだけ。


『こんなナリでお前を手に入れようなんざ、ちっとばかり礼儀ってもんが欠けてたな。ハハハ! 待ってろ、必ずお前に相応しい器と力を手に入れて……お前の全てを手に入れてやる』


 そう言って、周囲の闇が渦巻き、空に吸い込まれるように消えていく。

 最後に、不穏な言葉を残して。


『おっと、今のお前にゃ何のことか分からねえだろうから、一応自己紹介しとくか。──オレの名はサタン、悪魔の王だ。じゃあな……オレの伴侶パートナーよ』


「は……?」


 ふざけるなと、そう叫ぼうとしたティルティだったが……一度乗っ取られかけた体では、そこまでの自由は利かず。


 悪魔サタンが去っていくのをただ見送り、その場に倒れることしか出来なかった。

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