第92話 悪魔達の誤算

 悪魔憑き達の作戦は、ティルティを偶然誘拐出来たところからスタートした。


 この娘の身柄さえあれば、ソルド・レンジャーは間違いなく無力化出来る。知り合いですらない生徒を見捨てることさえ出来なかったあの男に、大切な身内を傷付けられるリスクを踏んで戦うことなど出来るはずがないからだ。


(妹の身柄を盾に武装解除させ、そこを潜伏している悪魔達で叩けば……確実に殺せるだろうな)


 ソルドを先導しながら、男子生徒に憑依した悪魔はせせら笑う。


 今回召喚された悪魔達の中でも“二番目”に強大な力を秘めた悪魔が、複数の悪魔からの援護を受けながらも仕留め損ね……それどころか、終始押されていたという事実は、悪魔達の中に一際強い警戒心を抱かせるのに十分過ぎた。


 こいつを排除しなければ、地上に悪魔の楽園を築くという野望も達成出来ない。


 そう危機感を抱いていた矢先、降って湧いた人質という幸運。これを利用しない手などあるはずもなかった。


『さあて、ここら辺でいいだろう……くくく、どうだ、罠と分かっていてもついて来るしかない傀儡の気分は?』


「御託はいい。それより、ティルティは無事なんだろうな?」


『そう焦るな……まずはその腰につけた剣を捨てろ、でなければ話し合いも出来ないだろう?』


「…………」


 さほど葛藤もなく、ソルドは剣を投げ捨てる。


 殊勝な態度だ──などと、油断はしない。

 悪魔達は思念で繋がっているため、ソルドが虚空から幻の剣を生み出すという常識外れの技を習得していることも把握している。


 不意打ちによって一気に命を刈り取るためには、ソルドに確実な隙を生じさせなければならない。


「捨てたぞ、ティルティはどこだ」


『そう急くな、今会わせてやろう……』


 そう言って、悪魔は異界への扉を開くフリをしながら、とある概念魔法を発動する。


 《複製体ドッペルゲンガー》。特定の生物から、その存在そのものという“概念”を抽出し、偽物を作り出す魔法。


 単なる幻ではない。その記憶、肌質、魔力、気配から声、口調に至るまで完璧に模倣し、複製体そのものすら自身を本物だと思い込んでいるという手の込んだ偽物だ。


 これを見分けることは、理論上不可能。


 その偽物をひけらかし、救うために行動を起こした瞬間に、偽物内部に仕込まれた自爆魔法を使ってドカン。


 そこへ、潜伏中の悪魔を畳み掛けるという寸法である。


(これならば、確実に殺せる!!)


 そんな確信と共に、悪魔は虚空に浮かぶ裂け目からティルティそっくりの複製体を取り出し、見せ付ける。


 ピクリと眉を顰めるソルドを見て、勝ったと確信を抱いた。


『ほら、お前の可愛い可愛い妹だぜ? こいつを助けて欲しければ……』


「おい、そんな偽物で誤魔化せると思ってんのか? さっさと本物のティルティの居場所を教えろ」


『土下座して許しを……は?』


 最初は、ハッタリで揺さぶりをかけているのかと思った。

 だが、ソルドの確信に満ちたその言葉は、どう見ても偽物であることを疑いもしていない人間のそれで……。


「に、兄さん……! っ、そうです、私は偽物ですから、纏めて斬り捨ててください!!」


『ひゃ、ははは……! 随分と健気な妹じゃねえか、本当にこれが偽物だと……!?』


 次の瞬間には、目の前にソルドがいて……手には虚構の剣が握られていた。


 殺される、と恐怖に駆られた悪魔は、複製体を盾にして何とか後退する。


 容赦なく両断される複製体。

 魔力の塵となって消えていくその姿を見送って……ソルドは、先程までよりも更に途方もない怒りの感情を瞳に宿し、燃え上がらせていた。


「おい……ふざけてるのか? 俺が、妹とそうじゃない物の区別もつかないクズだとでも思ってるのか? ……ティルティを本当に誘拐したというなら、証拠を見せろ。でなければ、今すぐ貴様を斬り殺す……!!」


『ひぃ……!?』


 優位は自分達にあるはずだ。

 人質がいるのは本当だし、周囲には伏兵を無数に忍ばせている。


 だというのに、目の前の男を殺せるビジョンが、全く頭に浮かばない。


 今のひと振りで、場の優位が完全にひっくり返っていた。


(くそっ、なぜ俺の《複製体ドッペルゲンガー》を見破れるんだ!? こ、こうなれば、本物を盾にするしか……!!)


 ふざけた存在に恐怖しながら、次は本物のティルティを連れ出すべく異界への門を開く。


 そして、目の前に引きずり出すため手を伸ばした。


『は、ははは、ちょっとしたジョークだろう? 心配するな、すぐにお前の妹を見せて……や……?』


 ──汚い手で私に触れないで貰えます?


 そんな一言が聞こえたかと思ったその瞬間、異界が強制的に閉ざされた。


 突っ込んでいた腕が狭間に取り残され、激痛と共に切断される。


 悲鳴を上げながら、悪魔の力で再生治癒を行うその姿を、ソルドは無機質な眼差しで見下ろしていた。


「よく分からんが……ティルティは無事みたいだな。なら、遠慮はいらないか」


『ひいぃ……!?』


 投げ捨てていた剣を拾い直し、構えを取るソルド。


 その恐怖に追い立てられるままに、悪魔は叫んだ。


『ま、待て!! 人質はあの娘だけじゃない、王都の人間全てがそうだ!!』


「なに……?」


『俺達の仲間が、王都中に潜んで襲撃の合図を待ってるんだ……!! ひ、ひひひ、俺に手を出せば町が大変なことになるぜぇ……!?』


 これでまだ交渉の余地が出来る──と、もはや当初の目的が影も形もなくなった思考を巡らせながら、悪魔は告げる。


『ほら……聞こえて来ないか? 悪魔に蹂躙される、町の人々の悲鳴が……!!』


 その一言と同時に、遠く離れた町中で爆発音が響いた。


 険しい表情のソルドに、にやけ顔を浮かべる悪魔。

 しかし……その表情は、すぐに困惑の色に変わっていく。


 なぜなら……悪魔の脳裏に響くのは、仲間であるはずの悪魔達の悲鳴だったからだ。


『た、助けてくれ!!』

『なんなんだこいつらはぁ!?』


『……なんだ、何が起こっている……!?』


 ソルドは目の前。もう一人の警戒対象であるスフィアも学園にいる。町は悪魔に対し無防備なはずだ。


 なのになぜだと、悪魔は更なる焦りを募らせていく。

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