第62話 “悪役令嬢”ティルティ 前編
「……テラードがやられたか。全く、だから慎重に動けと言っていたというのに」
マジェスター公爵家所有の屋敷にて、一人の男がそう呟いた。
彼の名は、ハルバート・マジェスター。マジェスター公爵家の現当主である。
そんな彼は、魔法による繋がりが途絶えたことからテラードの失態を悟り、深い溜息を溢す。
「これは、一度“禊”をしなければならないな。やれやれ、面倒な……」
実のところ、ソルドの知る世界線でも、テラードはこの一件で破滅する運命だった。
スフィアという生き残りを出してしまったことを切っ掛けにクロウによって尻尾を掴まれ、断罪されるのだ。
その責任を取る形で、当主は引退。
テラードと繋がりのあったタイタンズの拠点は壊滅し、一件落着と相成るのだ。
「さて、次なるマジェスター家の舵取りは誰に任せるか……どうせ私が裏で操るのだから同じことだが、出来るだけ従順な駒であることが望ましい。ああそれと、汚れ仕事をやらせる実行役も選ばなければな……」
分家のリストを眺めながら、引退後に使う“人形”を誰にするかを考える。
本来であれば、ここでテラードの代わりとして家に招かれ、汚れ仕事を押し付けるための“実行役”に選ばれるのが、ティルティとなるはずだったのだ。
事実、既にハルバートの脳裏にはテラードが“回収”しようとしていた妾の子がいるという情報を思い出し、ちょうどいいから利用しようと皮算用を始めていた。
このまま行けば、ハルバートの目論見通りにティルティがマジェスター家へと招かれ、ソルドの知る“悪役令嬢”ティルティ・マジェスターへと変えられるだろう。
だが、そうはならなかった。
他ならぬ、ティルティ自身の手によって。
「旦那様、お客様です」
「む? ……客だと? 聞いていないが、誰だ?」
「ティルティ、と名乗っております。旦那様の娘だと主張しておりますが……」
「ほう。いい、通せ」
まさか呼び出す前に本人の方から来るとは思っていなかったが、手間が省けたとハルバートは笑みを浮かべる。
そうして通された少女を見て、ハルバートは息を呑んだ。
「お初にお目にかかります、公爵様。ティルティ・レンジャーと申します」
僅か十二歳とは思えない、完璧な礼。
さらりと流れる白銀の髪は月光のように煌めき、幼女趣味など持たないはずのハルバートでさえ惹き込まれそうなほどの色香を放っていた。
そんなティルティが妖艶に微笑むのを見て、ようやく正気に戻ったハルバートは、すぐに公爵としての威厳ある態度で応対する。
「よく来たな、我が娘よ。わざわざここを訪れたということは、マジェスターを名乗る決心がついたということか?」
当然だろうと、ハルバートは思う。
レンジャー家などという、ほぼ平民と変わらない貧乏男爵家の娘として過ごすのと、マジェスター家という家柄も権力も全てが揃った公爵家の娘、どちらがより魅力的かなど言うまでもない。
そして案の定、ティルティは笑顔のままこくりと頷いた。
「はい、
「そうかそうか。……む? いずれ、だと?」
「はい。公爵様がお手紙で仰られていた通り、レンジャー家の養子のままでは兄さんと結婚出来ませんからね。成人して、きちんと婚約出来たら、その一瞬だけ名乗らせて頂きます」
「…………」
自身がソルドと結婚する妄想でもしたのか、ほんのりと頬を朱に染めて恥じらうティルティ。
だが、そんなバカバカしい話は、ハルバートには到底受け入れられない。
「悪いが、お前にはすぐにでもマジェスター家に来てもらう。一人息子のテラードがしくじったからな、その代わりを務めて貰わねばならない」
ハルバートは、表に出さないまでも相当に憤っていた。
結婚する時だけ、マジェスターの名を使う。
そんな風に、都合よく使い捨てるためだけに利用されるほど、マジェスターの名は軽くない。
しかし、ティルティは──それまでの乙女チックな笑みを引っ込め、ゾッとするほど冷たい声色で呟いた。
「それは、タイタンズを使って裏社会から世界を牛耳ろうなんていう、今時子供でも考えないようなくだらない仕事のことですか?」
「なぜそれをお前が……!! くっ、舐めるなよ、小娘が!! マジェスター家が長年かけて育て上げたタイタンズの力があれば、決して不可能な野望ではない!!」
ハルバートの言っていることは、決して間違いではない。ソルドの知る世界線でも、タイタンズの力で世界が終焉へ向かうバッドエンドルートはいくつも存在し、確実に有り得た未来として描かれているのだから。
しかし、ティルティはそんなことは有り得ないとばかりに笑い飛ばす。
ソルドがいるのに、タイタンズがそこまで好き勝手出来るわけがないだろうと。それに。
「不可能ですよ。だって……タイタンズは今日、私が貰っちゃいますから」
ティルティ自身に、そんなことをさせるつもりが毛頭ないのだから。
「一体何を言って……ぐわぁ!?」
ハルバートの全身を、突然の痺れが襲う。
何が起きたのかと混乱するハルバートは、いつの間にかティルティの腕に装着された腕輪を見て、目を見開いた。
「そ、それは……呪具!? なぜ、どうやって手に入れたぁ!?」
「……? おかしなことを聞きますね。こんな玩具、誰だって作れるでしょう? 才能のない私だって作れたんですから」
「は……? ま、まさか、お前が個人で呪具を開発したと!? そ、そんなバカな!!」
タイタンズがそれを開発するために、マジェスター家は何十年も資金を投じ、何十人もの研究者を雇い上げて来た。
それを、まだ成人もしていない小娘が一人で完成させたというのだ。有り得ないと、そう叫ぶ。
「そりゃあ、ゼロから作るのは大変ですよ? でも私の場合、三年前に現物を目にしましたからね。ああ……魔人化なんて物騒な機能は当然消してありますよ? これに備わっているのは、魔力と身体能力の強化だけです」
「……あ、有り得ない……」
呪具は、絶大な力の代償として、装着者を魔人にしてしまう。
そう、呪具とは本来“装着者の力を高める”ために作られたものであり、“魔人化は失敗の証”なのだ。
そのデメリットは、タイタンズでさえ未だ克服出来ず、諦めて何とか利用出来る形に誤魔化す方向へシフトしているのが現状だった。
それを、目の前の少女は克服したという。
たった三年、それっぽっちの期間で。
「私、本当はこんな物騒なものじゃなくて、もっと兄さんやレンジャー家の発展に役立つ魔道具を作りたいんですよ! 魔力がなくとも魔法を操れるようになる魔道具、それが最終目標だっていうのに……発動して貰うところまでは出来ましたけど、魔力がない人に魔法を制御させる仕組みがどうしても出来ない……!! はあ、本当に……私にもっと才能があればなぁ」
もはや、目の前の少女が何を言っているのか、ハルバートには理解出来なかった。
魔力がなくとも、魔法が発動出来るようになる魔道具?
そんなもの、
作れないから、開発の目処すら立たないから、今も魔法の才能が重視されているのだ。そんなものが現実の物となれば、文字通り世界がひっくり返りかねない。
「だから、タイタンズは私が貰います。ハルトマン家に加えて、マジェスター家がかき集めた資金と人材、設備があれば……私の目指す魔道具も完成するかもしれませんからね」
鬼才という言葉さえ生温い、才能の化身。
そんな存在が、知らぬ間に自分の娘として生を受けていて……自分の過ちで失い、今まさに自分へと牙を向けている。
その事実に、ハルバートは乾いた笑い声をあげた。
(は、ははは……一体、何なのだ……レンジャー家は……)
タイタンすら両断する剣の怪物に、タイタンズの総力を挙げてすら作れない魔道具を容易く生み出す天才児。
知らず知らずのうちに、そんな理不尽な兄妹に手を出していたと気付いたハルバートは、絶望の内に白目を剥く。
「あなたは今から、私の洗脳下に入って貰います。全ての罪を告発する文章を作り、正当な裁きを受けるんです。タイタンズも解体して、基幹部だけは私のために残す……どうせそういう手筈はとっくに整えていたんでしょうし、出来ますよね? ……ああ、安心してください」
闇に閉ざされていく意識の中で、ティルティの声だけが脳を揺さぶる。
やっていることの凄まじさに比して、あまりにも幼い少女の声が。
「悪いことに使うつもりはありませんよ。あくまで世のため人のため……そうじゃないと、兄さんに怒られてしまいますからね」
ほんの一歩でも踏み間違えれば、こいつはいとも簡単に世界を滅ぼす希代の悪女になるだろう。
そんな確信を抱きながら、ハルバート・マジェスターの意識と自我は、永遠の眠りに落ちていくのだった。
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