第56話 ティルティの逆鱗

 ソルドがダンジョンで大暴れし、ガランドが望まぬ英雄としての道を歩み始めてしまった頃。

 レンジャー家の屋敷では、ティルティが自室の机に向かいながらぶつくさと文句を言っていた。


「もう、兄さんは……ちょっと元侯爵様に挨拶に行くだけだからって言っていたのに、まさかそのまま任務に行ってしまうなんて」


 ティルティの不満点は、ソルドに置いていかれたというその一点だ。


 もちろん、ここ数年はそういうことも増えていたし、常軌を逸した力を持つソルドを前にしては、直接戦闘であまり力になれないことを理解もしている。


 が……魔法の鍛錬はしっかり積み、最近ではシルリアとの模擬戦でも負けなしになっているので、シルリアがついて行ける案件ならば自分も行きたかった、と思ってしまう。


「はあ……兄さん、会いたいです……」


 目を閉じると、初めて出会った時のことを今でも思い出せる。


 今考えても泥だらけで汚らしい出で立ちだった自分を、優しく抱き締めてくれたソルドの温かさ。


 自分が逆の立場だったとして、そんなことが出来るだろうか? 正直、あまり自信がないとティルティは自嘲する。


 その後も……なかなか心を開くことが出来なかった自分を、誰よりも側で支え続けてくれたのがソルドだった。


 あれからもう、六年が経つ。

 兄妹として日々を過ごし、絆を深めて……想いは強くなるばかりだった。


「兄さん……」


 分かっている、ソルドが一度だって自分をそういう目で見たことはないことくらい。


 自分はあくまで妹で……そうでなければ、シルリアのようにソルドの隣に立つ資格すら持たない、単なる元奴隷の捨て子でしかないのだから。


「……はあ、ダメですね。兄さんがいないと、 考えがすぐに後ろ向きになってしまいます」


 パンパン、と自らの頬を軽く叩いて気合いを入れ直し、机に向かう。


 ティルティが現在行っているのは、前回派手に失敗した“使用者に魔力がなくとも扱える魔道具”の改良だ。


 魔力が全くないせいで、魔力の制御すら出来ない兄でも扱える魔道具を、と色々な試行錯誤をしているが、なかなか難しい。


 こういう時は、兄さんに聞くといい発想を貰えるんですけど……と、すぐに頭をソルドがチラつくせいで、やはり集中出来ないと体を投げ出す。


「うぅ〜〜」


 諦めてベッドの上に転がり、クマのぬいぐるみ──いらなくなった古着を再利用して、孤児院に寄付する玩具に作り替える練習だという名目で、合法的(?)にソルドの古着から作った──を抱き締める。


 ちゃんと洗われてしまったので匂いがするわけでもないが、顔を押し付けて胸いっぱいに息を吸い込むと、まるでソルドに抱き締められているような気がして安心するのだ。


 ……少し変態っぽい行動だなとは自覚しているので、ソルド本人にも、そして家族にも絶対に知られたくない秘密である。


「ティルティ、いるかしら?」


「わひゃあ!? は、はい、います、お母様!!」


 ベッドから転げ落ちそうな勢いで驚いたティルティは、大慌てでぬいぐるみを元の場所である枕元に戻して……なぜか、直立不動の姿勢を取る。


 そして当然、そんな部屋に入ってきたミラウ・レンジャーは、義理の娘が見せる不可解な行動に胡乱な目を向けた。


「……ティルティ、何をしているの?」


「いえその……背筋を真っ直ぐ伸ばす練習です……」


「そ、そう……」


 なんとも言えない複雑な表情のまま、ミラウはチラリと少し乱れたベッドの方に目を向けて……若干言いづらそうに口を開いた。


「その……ティルティも年頃だから、そういうことしたくなるのは分からなくもないけれど……この家は壁が薄いから、気を付けるのよ? ソルドの部屋は隣だし」


「お母様、一体何を想像しているんですか!? そもそも私、物音なんて立てていませんでしたよね!?」


 ミラウの勘違い(?)に、ティルティは顔を真っ赤にしながら反論する。


 が、ミラウはそんなティルティへ慈愛の表情を向け、「隠さなくていいのよ、男女問わず誰にだってそういう欲求はあるもの」などと発言しだした。


 お母様、よくお父様のことをロクでもない遊び人だって言っていましたけど、実はあなたも同じようなものなのでは……? と、あまりにも失礼過ぎる、的確な予想が立ってしまったティルティは、大慌てでそれを振り払う。


「そんなことより、お母様は何をしにここへ!?」


「ああそうそう、あなたに手紙が届いたのよ。公爵家から」


「公爵家、ですか?」


「ええ、何かの間違いかとも思ったのだけど、封蝋は本物なのよねえ……」


 一応渡しておくわね、とミラウは手紙をティルティに渡す。


 何かしらの魔法や毒蜘蛛のような危険が仕込まれていないことは既に確認済みだろうが、それにしても怪しい。


 ミラウが部屋を後にしたのち、自分自身でも魔法を使って念入りに危険がないか確認したティルティは、慎重に中を確認した。


「これ、は……」


 中に入っていたのは、特に危険もない普通の手紙だった。


 しかし、それを読み始めた途端、ティルティの体は震え出す。


「どうして、今になって……!!」


 そこに書かれていたのは、ティルティのの名前だった。


 どこかの貴族だとは母から聞かされていた。だが、何かあっても絶対にその家だけは頼ってはダメだと言い聞かされ、家名すらも教えて貰えなかったのを覚えている。


 それが今、初めて分かった。


 マジェスター公爵家──手紙の内容は、実の父からの“再び家族になろう”という誘いだったのだ。


「ふざけないで!!」


 衝動的に手紙を破りそうになったのを、ティルティはギリギリのところで抑える。


 こんな紙切れに八つ当たりしたところで、状況は何も改善しないのだから。


「何とか、しないと……このままじゃ……!!」


 誘い、という体裁を取ってはいるが、こんなものは事実上の“命令”に近い。

 マジェスター家の血を引いているのが事実であれば、ティルティの親権はマジェスター家に帰属する。いくら六年間育ててくれたのがレンジャー家だからと言っても、そこを突かれれば覆すなど不可能だろう。ここは、そういう国だ。


 このままでは、ティルティはレンジャー家の娘ではなくなってしまう。ソルドと離れ離れになる。


 それだけは、絶対に避けたい未来だった。


 そして……そんなティルティの心を察したかのように、手紙の最後はこう締め括られていたのだ。


 ──“ティルティ・レンジャー”ではなく、“ティルティ・マジェスター”となれば、ソルド・レンジャーとの婚約も出来るだろう、と。


「は、ははは……あはははははは!!」


 その一文を見て、ティルティの心は一気に冷め──笑いが止まらなくなった。


 ……なるほど、確かにそうかもしれない。

 養子とはいえ、レンジャー家の娘としてソルドと過ごしていては婚約など出来ないし、ソルドからの目も“妹”のままだ。


「私は兄さんが好きです。誰にも渡したくない……でも」


 出来るものなら、生涯傍で添い遂げたい。

 たとえ親友シルリアだろうと、ソルドの一番は譲りたくないし、自分がソルド以外の誰かの下に嫁ぐなど考えたくもない。


 だが……だからこそ。


「ここまであからさまに、私を餌に兄さんが欲しいと書かれて……私がそれに頷くと!! 本気で思っているんですか、こいつらは!!」


 ソルドを“奪おう”としている者の言いなりになるくらいなら、一生ソルドに振り向かれる機会などなくていい。


 ティルティは、本心からそう思った。


「私個人の人生に関わるだけなら、兄さん達に迷惑をかけないために出ていくことも考えていましたけど……そちらがそのつもりなら、もういいです」


 手紙から顔を上げたティルティの瞳に、仄暗い闇の炎が宿る。


 ゲームの運命を変えるために六年間奔走してきたソルドにとっても……そして、ティルティの密かな恋心を利用してソルドを手に入れようと企んだマジェスター家にとっても予想外の形で、“悪役令嬢”ティルティ・マジェスターの本性が、現出した。


「マジェスター公爵家……兄さんと私の日々を邪魔する敵は、私が潰してあげます」


 こうして、ソルドとガランドの活躍によってその計画の悉くを潰されたマジェスター家に、新たな障害が人知れず立ちはだかるのだった。

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