第14話 ライク・ハルトマンの願い

 僕の名はライク・ハルトマン。ハルトマン侯爵家の御曹司だ。


 御曹司と言っても、大して権力があるわけじゃない。

 いくらなんでも、まだ十歳の子供に権限を与えることは、どこの親だってしないだろうから、それは仕方ない。


 仕方ないんだが……それでも、与えておいて欲しかったと思うのは、僕の我儘だろうか?


 何せ、僕の父は……ハルトマン侯爵その人は今、突然の病で倒れ、政務も執り行えない状態なのだから。


「はあ……今日もくだらない会議だった」


 一応は直系の長男ということで、十歳の僕にも会議へ参加し侯爵家の方針に意見を述べる権利はある。


 だが、その実行力などあってないようなものだろう。父がいなくなった途端、家臣達は各々が好き勝手に強権を振るい、侯爵家を支配しようと動き始めたのだ。


 お陰で領内の治安も乱れ、目に見えて税収も減り始めている。

 これで家臣達が己の過ちに気付き、心を入れ替えて協力してくれれば良かったのだが……責任の押し付け合いに必死で、建設的な話し合いなど何一つとして行われなかった。


 こんなことでは、遠からずハルトマン侯爵家は破綻するだろう。

 我が家が担っている貿易の重要性を考えれば、王家からの介入によって“ガワ”だけ同じ全く別物へと変えられてしまってもおかしくない。


 そうなれば、文字通り全てを失うだろう。

 僕自身はもちろん……シルリアも。


「……くそっ」


 自分の無力が嘆かわしい。


 僕にも魔法が使えれば、誰もが納得するような力があれば……あんな愚鈍な連中なんてすぐにでも黙らせて、僕の手で侯爵家を盛り立ててみせるというのに。


「はあ……ひとまず、彼らの様子を見に行くか」


 ガストの町から自領へと帰る途中、賊の襲撃に遭ったというレンジャー男爵。

 その一人息子が、単独で相手を全滅させたとシルリアから聞いた時は、妹の言葉ながら少し耳を疑った。


 だが、あの子の《千里眼クレヤボヤンス》の魔法は確かだ。


 遥か遠く、壁に隔てた先にある景色さえ正確に見通すことの出来るその魔法の力には、これまでも何度も助けられてきたのだから。


 だからこそ、シルリアの目を信じて彼を……僕が"個人的な手駒"として囲い込んでも家臣達にとやかく言われないであろう男爵家の人間を従者にしたというのに、話が纏まって早々に会議に呼び出されたのは少々困りものだった。


「信頼関係を結ぶには、最初の印象が肝心だというのに……まあいい、まだ出会って初日だ、大した差はないはずだ」


 ソルド・レンジャーがどの程度の実力を持っているのか、僕も正確には知らない。

 賊と彼との戦闘を実際に視ることが出来たのは、あくまで《千里眼》を使うことが出来るシルリアだけだからだ。


 今回の件も、あくまで先行投資の部分が大きい。

 いずれ、僕がこの侯爵家を手に入れるための手札カードの一枚になってくれることを願っての起用なんだ。

 先は長いのだし、今日一日の差なんて大したことじゃないだろう。


 そう思いながら、彼が向かったはずの医務室へと足を運び……なぜか、そこには誰もいなかった。


「……うん?」


 いや、正確には彼の父、レンジャー男爵家当主のガランド・レンジャーはいる。

 だが、僕が会いに来たソルドも、彼の妹も……一緒にいるはずのシルリアさえいない。


 どういうことかと首を傾げていると、テーブルの上にメモ紙が一枚残っているのを見付けた。


『借りてく。訓練場に来て』


「……相変わらず、要点以外の修飾が無さ過ぎるな。いや、分かるのだが」


 僕の妹は、どうにも伝わればそれでいいだろうとばかりに口にする単語を最小限に止める癖がある。


 それでちゃんと意図するところは伝わっているのだから、あれも一種の才能なのかもしれないが。


「ソルドは訓練場にいるのか……一体何をしているんだ?」


 訓練場というからには訓練なのだろうが、シルリアがわざわざ「借りてく」と言ったからには、何かしらの意図があってのことだろう。


 ……もしかしたら、彼の実力を騎士団に披露しようとでもしているんだろうか?


 あり得なくはない。彼の実力を知っているのは現状シルリア一人だけだし、いくら従者は僕の意思で決められるにしても、曲がりなりにも侯爵家を継ぐ者が無能無才の貧乏貴族を従者に置くのはあまり外聞が良くないからな。


 だが……果たして、我が家の騎士を相手に、僅か十歳の少年がどれほど戦えるものなのだろうか?


 シルリアとて、僅か九歳という年齢では十分に天才と言えるほどの魔法の実力がある。

 あれで男に生まれていたら、間違いなく僕ではなくシルリアが次期当主として推されていただろうと思えるほどに。


 そんなシルリアでさえ、本職の騎士が相手では訓練にもならないほどあっさりとあしらわれてしまうというのに……まともな師すらいないだろう男爵家の子供が、騎士を相手にどこまで奮戦出来るのか。


 楽しみな気持ちと、万が一失望させられたらどうしようかという不安が混ざり合った複雑な心境で、訓練場へ足を踏み入れると、そこには……。


 数多の騎士達が死屍累々と転がる中、ただ一人その中心に佇むソルドと、彼の訓練風景(?)を見物する彼の妹、そしてシルリアの姿があった。


「……あ、ライク様、会議は終わりましたか?」


「あ、ああ、終わったが……これは、どういう状況なんだ……?」


 ひとまず頭に浮かぶ疑問を解消するため、僕はソルドに問い掛ける。

 それに対し、彼は当たり前のように答えた。


「これですか? 騎士の皆さんが俺が習得したばかりの技の修行に付き合ってくれるということだったので、練習台になって貰っていたんです。わざわざ俺がやりやすいようにサンドバッグ状態にも耐えてくれるなんて、頭が上がりませんよ」


 多分、違うと思うのだが……。


 一人や二人なら、子供相手に花を持たせようとそんなことをするかもしれないが、これだけの人数が何もせずサンドバッグになり続けることを良しとするはずがない。


 だが、それを直接指摘するのはなぜか怖くなったので、他のことを尋ねることにした。


「技……?」


「はい、ええと……言うより見せた方が早いですね」


 そう言って、ソルドは剣を鞘に納め、腰に構える。


 ……剣はあくまで飾り、それが騎士の常識だ。

 かつては剣が主流だった時代もあったそうだが、魔法技術の発達によって剣が活躍する場は失われ、今では精々が魔法を発動するための"杖"の代わりとして使う程度。


 だが、彼が今取っているのは、間違いなく"杖"としてではなく"剣"としての構えだろう。

 それでどうするつもりなのか、と考える僕の前で、ソルドは剣を抜き放ち──


 少々離れた位置にあった藁の案山子が、真っ二つに両断され、凍り付いた。


「……は?」


 何が起きたのか、さっぱり分からなかった。


 魔法を発動したのならば、発動前と後に間違いなくその痕跡が……魔力の燐光が生じるはずだというのに、それもない。


 剣を使ったようにも見えたが、彼が立っている場所から案山子までは随分と距離がある。


 それに……断面が凍結するなど、魔法以外にあり得ないだろう。


「……君は、今……魔法を使ったん、だよな……?」


「いえ、使ってないですよ、俺に魔力はないですから」


「……そうか」


 使っていて欲しかった。


 いや、本当に、魔法もなしにどうして剣だけでこんなことが出来るんだ? 何をどうしたら剣で物体を凍結させられるんだ?


 そんな僕の疑問に答えるように、ソルドはどこか得意気な顔で言った。


「これが俺の……父から教わった"魔神流剣術"です」


「魔神流……聞いたことがないが……」


「無理もないです、一子相伝らしいですから」


 いや、一子相伝であることと、一度もその名を聞いたことがないことはまた別だと思うが。


「というか、僕が聞きたいのは流派の名前ではなく、どうやって剣術だけで遠く離れた物体を斬り裂き、凍り付かせてみせたのかということなのだが……」


「五感を研ぎ澄ませ、剣の声に耳を傾ければ出来ます」


 出来るわけがないと思うが。


「おにい


「……なんだ、シルリア」


 呆然とする僕に、シルリアが得意気な顔を隠そうともせずに声をかけて来た。


 他人から見れば、シルリアの表情は常に無で、何の感情も浮かんでいないように見えるらしいが……僕には分かる。


 これは、とびっきりの悪戯に成功した時に見せる、渾身のドヤ顔だと。


「言った通り。でしょ?」


「……ああ、そうだな」


 シルリアが、ソルドを僕に推薦して来た時……こう言っていた。


 ──彼の存在は、いずれ王国の常識を全て塗り替えると。


 それが嘘でも誇張でもないかもしれないと、僕自身も今、間違いなく確信を抱き始めていた。

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