第6話 穏やかな日常
ティルティがレンジャー家にやって来て、三年の月日が経った。
俺は十歳、ティルティは九歳になり、それなりに充実した毎日を送っている。
とはいえ、何もかも順調かといえば、そういうわけでもないんだが。
「魔神流剣術、一の型……《氷狼一閃》!!」
裏庭で、いつもの修行中。訓練用の木剣を居合の要領で抜き放ち、正面の丸太をぶった斬った。
刃のない木剣で、丸太なんて斬れるわけがない。前世の常識ならそうなるし、俺も実際に父さんが斬ってみせるまで半信半疑だったわけだけど、俺も修行の末にこの境地までは辿り着けた。
二つに両断された丸太が、ゴロゴロと転がっていく。その断面は綺麗なもので、ただの木剣で斬ったと言っても誰も信じないだろうほどだ。
しかし……その先にはなかなか進めない。
「うーん……やっぱり、断面を凍り付かせるのがどうしても上手く行かないな……」
父さん……師匠の指導の下、ひたすら基礎練習を重ねる中で様々なことを学んだ。
目だけに頼らず、感覚で気配を掴むこと。
剣の声に耳を傾けること。
そうした積み重ねもあって、相応に上達もしてきたんだが、未だに《氷狼一閃》一つすら習得出来ていない。
恐らく、剣を振る速度を神速の域にまで高めることで擬似的な真空状態を作り出し、その空間内にある水分が蒸発していく過程で生じる冷気を、剣に纏わせているのだろう……と技の原理を分析しているのだが、やはりいざ実践するとなれば上手く行かないものだ。
けどまあ、それも当然だろうな。
師匠はあの時、本当に剣を抜いたのかも分からないほどの速度で斬撃を放ち、納刀までもをしてみせた。
俺はまだ、振り抜くだけで精一杯。あまりにも格が違う。
《氷狼一閃》を完璧に習得するには、恐らくあの次元の剣速が必要なのだろう。
実際、今の俺でも断面を凍結させることは出来ないが、ひんやりと冷たくするくらいは出来ているわけだし。方向性は間違っていないと思う。
「でも、あまりのんびりもしていられないんだよな……」
ティルティはモブ貴族……レンジャー家に拾われてそれなりに平穏な暮らしを送る。ここまではゲーム通りだし、俺も望んだ流れだ。
しかしその生活は、貴族達からの度重なる粛清に対し報復の機会を狙っていた奴隷商……“タイタンズ”の襲撃によって、終焉を迎えることになる。
俺が強くなろうとしているのは、その運命を変えるため。それには、せめて《氷狼一閃》の習得くらいは必須なんだが。
「うーん……」
父さんが戦えるなら、こんなに心配する必要もなかったかもしれないんだけど……「膝に矢を受けてしまってな……もう本格的な戦闘は出来ないんだ……」って遠い目をしながら言ってたから、指導者としてはともかく、戦力としてはあまり当てにするわけにいかないし。
「兄さ〜ん!」
困った……と少しばかり途方に暮れていると、俺を呼ぶ元気な声が聞こえてくる。
振り返れば、こちらに駆けてくるティルティの姿が見えた。
まるで女神の降臨を目の当たりにしたかのような、眩しい笑顔。
ここに来たばかりの頃は痛み切ってパサパサになっていた銀髪もすっかり綺麗になり、月光のように美しい輝きを放っている。
翡翠の瞳には俺に対する全幅の信頼が見て取れ、そのあまりの可愛らしさに卒倒してしまいそうだ。
「ティルティ! どうした、ここに来るなんて珍しいな?」
駆け寄ってきたティルティを、俺は両腕を広げて迎え入れ、ぎゅっと抱き締める。
訓練の最中で汗臭くないか? って少し心配になるんだが、ティルティとしてはそんなことより俺とスキンシップを図りたいらしい。
こんなにも俺に懐いてくれるなんて……本当に感慨深いよ。
「珍しいな? じゃないですよ、もう昼食の時間なのに全然戻ってこないから、こうしてわざわざ迎えに来てあげたんですよ?」
「おっと、もうそんな時間か。気付かなかったよ」
「もう、兄さんの剣術おバカ」
めっ、と鼻先を指でつつかれ、俺は苦笑と共に「ごめんごめん」と平謝りする。
そんな俺に、ティルティはやれやれと仕方の無い弟を見るような眼差しを向けて来た。
俺の方が一つ歳上ではあるんだが、ティルティが冬生まれ、俺が春生まれだからそうなるだけで、学校基準で言えば同い歳と言っても差し支えない。
そのためか、ティルティは時々こうして俺にお姉さん風を吹かせたくなるみたいだ。超可愛い。
「それで、今日も先にお風呂に入りますよね? もう準備してありますから、早く行ってきてください」
「いつも悪いな、ありがとう」
「いえいえ、お役に立てて嬉しいです」
えへへ、と微笑むティルティの可愛さに心臓を貫かれた俺は、もう一度抱き締めたい衝動をぐっと堪えて頭を撫でる。
実の所、この三年間の間に成長したのは、俺の剣術だけじゃない。
ティルティも、自分に出来ることを見付けたいと色々勉強した結果、九歳にしてどこに出しても恥ずかしくない立派な貴族令嬢としての作法を身に付け……魔法まで習得していた。
流石は、ゲーム本編でヒロインと激闘を繰り広げる悪役令嬢というべきか、その才能は凄まじく、風呂いっぱいのお湯を、涼しい表情で一日に何度も張り替えられるほどの魔力量を有している。
ちなみに、普通の人は風呂桶いっぱいのお湯なんて出そうとしたら、途中で魔力が尽きてぶっ倒れるらしい。だから、使用人の少ないレンジャー家では、未だに薪風呂が現役である。
そんなレンジャー家の生活水準を、ティルティの魔法一つで大幅に改善してしまったんだ。もはや彼女なしには、日々の生活すら成り立たない。
「ほんと、ティルティが家族になってくれて良かったよ。でも、だからってあまり無理はするなよ? 便利になってくれてありがたいのは確かだけど、そんなことよりお前自身が一番大切なんだからさ」
俺がそう伝えると、「一番大切……えへへ……」と照れ顔を見せるティルティ。
微笑ましすぎて温かい眼差しで見つめていると、ハッとなったティルティはそんな自分を誤魔化すように言った。
「私より、兄さんの方が大変そうです! 剣の修行、上手く行っていないのですか?」
「うーん、ちょっと行き詰まっててな……父さんに相談してみようかと思ってたところだよ」
父さんのことは師匠って呼ぶことの方が多いんだけど、ティルティの前では父さん呼びをするよう気にかけてる。
何でも、ティルティとしては“師匠”呼びは他人行儀で嫌らしい。剣の修行に関する話をする時だけだって言っても、こればっかりは納得されなかった。
ティルティが“家族”に拘るのも分かるので、まあ仕方ないかと思いつつ、他愛ないお喋りをして……俺一人だけお風呂に立ち寄った後、食堂へ。
するとそこには、家族全員食事の準備万端のまま待っていた。
「先に食べていてくれても良かったのに」
「またそんなこと言って、ティルティが寂しがるぞ? まあいい、今日はお前に一つ良い話があってな」
「良い話?」
何だろう、と首を傾げる俺に、父さんはもったいぶりながらその内容を告げた。
「もうお前も十歳だろう? だから、専用の剣を買ってやろうと思ってな!」
「っ、いいの!?」
父さんからのサプライズに、俺は身を乗り出さんばかりに驚いた。
魔法が主流のこの世界では、型に流し込んで固めるだけの量産品の剣なんて全く需要がないので、どうしても一本ずつオーダーメイドする形になってしまう。
そのため、剣は非常に高価な“工芸品”であり、騎士としての身分を表す“身分証兼アクセサリー”という側面を持つ。要するに、貧乏男爵家の息子がホイホイ買い求められるような代物じゃないのだ。
だからこそ、ずっとただの木剣で我慢してきたんだが……ついに、本物の剣を握れる日が来たらしい。嬉しくてこの場で飛び上がりそうだ。
「この三年間、お前が毎日欠かさず修行を積んできたことは、俺もミラウもよく知ってるからな、二人で話し合って決めたんだ」
「ありがとう父さん! 母さんも、俺今まで以上に頑張るよ!」
技の完成もそうだが、いつまでも木剣のままじゃ急な実戦に対応出来ない不安もあったし、それが解消されるのはめちゃくちゃ大きい。
破滅の運命回避に向けて、また一歩前進したぞ!
「あー、それで、なんだが……ソルド、一応聞くんだが、町の剣術道場で剣を習ってみる気はあるか……? 他にも同年代の子供とかいたりするんだが……」
「……? いや、別にそんなに興味はないかな。父さんの指導で十分でしょ?」
「そ、そうか、そうだよな……」
めちゃくちゃ複雑そうな表情で何度も頷く父さんに、母さんが白い目を向けている。
またなんかやらかしたんだろうかと、俺まで釣られて白い目を向けそうになっていると……そんな空気を変えるように、ティルティが元気に手を挙げた。
「お父様、それなら私も、兄さんと一緒に剣を見に行ってもいいですか?」
「ティルティも?」
「はい! 兄さんよく言ってましたよね、剣は俺と一心同体だって。つまり、これから兄さんの半身とも言える相棒を買いに行くわけですから、私も見学したいです!」
ダメでしょうか? とティルティは問いかける。
当然、俺としては断る理由がないし、それは父さんも同じらしい。快く頷いた。
「よし、じゃあ三人で行くとするか」
こうして俺は、生まれて初めて自分専用の剣を手に入れるため、鍛冶屋へ向かうことになった。
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